12話 異形殺し

蹴り飛ばされたジェリーウォーカーは受け身をとりながらも転がる。

すぐ起き上がったものの、腹と喉を抑えていた。

そして、

「…たいした、もんだよ」

笑っている。

咳き込みながらも。

そして、口だけが吊り上がっている。

人間に蹴り飛ばされたのだ。

顔では笑っていても、その事実に憤っていることが肌で感じとれた。

「さすがは『死神マーダー博士サイエンティスト』と呼ばれるだけのことはある」

「投降しろ。さもなくば」

蘇芳の肩が動く。

肩幅に開いた足。

閉じた脇。

上がる肩と開く指。

いずれも自然体からの構えだ。

「お前を殺す」

カクン、とジェリーウォーカーの首が傾いた。

首を傾げた、が正しい。

「殺す? 殺す…だと?」

四肢が小刻みに震えた。首や肩につられて揺れているのだ。

両手が腹を抱えた瞬間、皺の刻まれた壮年男性が破顔した。

発する返事は抱腹絶倒の嘲笑。

「交渉は無理か」

ひとしきり嗤ってから、人形殺しの快楽殺人鬼は応えた。

「…何が交渉だ。交渉とは相手に見返りを提供することだ。一方的な命令など取引になっていないだろう」

ドロリ、と鈍色が人形殺しを溶け込むように包み隠す。

金属独特の質感を失わず、それでいて粘液の特徴を思い起こさせる凶器。

不定形の液体金属はやがて四肢を伸ばした二足歩行型を象り、肩や肘、膝、手足の爪先から無数のひだがめくれて揺れる金属質の甲羅、あるいは装甲が現れた。

『こいつ…機神マキナか』

(しかも素材は可塑性金属ときた)

専門分野であるため蘇芳はその特性を把握していた。

『交渉決裂だ。蘇芳、やってしまえ』

異形殺しの科学者は闇を刃で斬った。



赤く脈打つ筋が這う、黒い鋼の装甲。機械仕掛けの神は右手の手甲剣を伸ばして構えた。

「ブラックスミス…噂に聞いていたが、生で見られるとはな」

「それは運がいい」

蘇芳の声で語りかけ、ブラックスミスは左手の指を上向きに揺らした。

「もっと近くに来たらどうだ?」

対するヒドラ人の機神マキナ…ジェリーウォーカーは手首を真横にひらひら振った。

ことわ…」




触手は宙を舞っていた。

ブラックスミスの足は大地を離れ、ジェリーウォーカーが伸ばした触手全てを切断していたのだ。

「…素晴らしい」

さらに背中から触手が形成され、次々に伸びていく。

ブラックスミスはこれら全てを膝打ち、蹴り、当身で捌き、軌道を逸らしては切り飛ばしていた。

(いいぞ)

ジェリーウォーカーの担い手は興奮していた。やはり地球人とは格が違う。それも『異形殺しの死神博士』。

破壊と殺戮の創造者。

(最高の…いだ)




ジェリーウォーカーに恐怖はなかった。むしろ自分こそが恐怖の対象だと恐れられ、信じられてきたからだ。

ヒドラ人の快楽殺人鬼はこれまでも機神マキナやアンドロイド…とりわけドールを好んで抹殺してきた。

彼の故郷は生物的特徴からして古い文明圏にあった。当然の如く環境破壊や戦争が進み、荒廃した惑星を捨てた。とはいえ、機構の傘下に入る者はほとんどいなかった。

長寿が多かった彼らは自分たちより遅れて発達してきた生命体を食用の家畜としか見なさなかったからだ。

実際、同族同士でも互いを劣等扱いすることが多く、加えて捕食という極めて原始的な本能が強かったことから争いも絶えなかった。

ゆえにジェリーウォーカーの使用者もまた、同族や人類相手に一方的な殺戮を仕掛けたものだった。

しかし機構の技術が発達して機神マキナが登場し、元の持ち主を殺して奪ったジェリーウォーカーを使うようになってからは彼の興味は一転した。

機械の体という感覚が変えてしまったのだ。

ロボットを壊す時手に伝わる触感。

肉片からは得られない物だった。

特にアンドロイドは面白い。

壊れる時の表情はその機体によって違って見えた。

ひび割れたのに無表情のままの物。

四肢から外されて感覚がないのに、手足が粉々になるたび顔を歪める物。

あのドールはどっちだろうか。

気になった。

気に入った。

早く手に入れたい。

この機神マキナを中身ごところす。

あの瑠禰ドールは最後の楽しみだ。





いつまでもやまない触手の応酬。

長期化すれば蘇芳の体力がもたなくなるだろう。

ヒドラ人の体力にほとんど限りがないのは事実だ。

アメーバ状になることでエネルギーの消費を抑え、あらゆる環境下でも活動、擬態化を可能にするからだ。

(だが不死身ではない)

生物であるゆえに終わりはある。

問題はそこに行きつくまでの過程プロセスだ。

あるいは、手段メソッド

それを導き出すべく、蘇芳は攻撃をかわし、逸らし、切り捨てては周囲に目をやる。

場所は生活圏から離れた工業地帯のコンテナ倉庫。

時刻は人間活動が絶えた深夜。

つまり、

『蘇芳。遠慮しなくていいぜ』

人工知能は相方のやろうとしていることを先読みしていた。

な)

『お前にだけは言われたくねえな』

たしかに、と蘇芳は笑みを浮かべた。

ブラックスミスは小刻みに震えた。





(なに)

黒い機神マキナは失せていた。

(どこへ行った?)

ジェリーウォーカーのモノアイが拡大した。

サーモグラフィーから生命反応なし。

「どこに」

「遅い」

激痛。

背中を駆け巡る。

粘液状の実体を保護する機械の体。

それが今、本来の姿を彷彿とさせるほど、くねらせて身悶えしていた。

激痛の大元は一つに留まらず。

悪食の原生生物は思考もままならない。

『やるねえ、表面を断熱素材でコーティング。サーモグラフィー除けの保護迷彩ができんのはお前くらいだぜ』

蘇芳…否、ブラックスミスはすぐそばで佇み、背中から人形殺しを炭素コーティングした右手で指し貫いていた。

ヒドラは再生できない。

体に異物があっては、細胞が修復できないのだ。

それは同じ性質を持つ機神ジェリーウォーカーも同じこと。

「読みが甘かったな」

さて、と異形殺しは人形殺しを内側から掴んで宙へ掲げた。

快楽殺人鬼はこれまで向けられてきた一種の感情を露わにした。

それは衝動ともいうべき。

恐怖。

「最後に聞いておきたい」

最後。

何が『最後』だ。

『最期』の間違いだろう。

「巷で新種のコンピュータウィルスがばら撒かれている。機構と連盟惑星の知らないコードで書かれた物だ。それを作った犯人ハッカーに心当たりはないか?」

なんだ、そんな、こと。

口のない顔でジェリーウォーカーは笑みを歪めた。

「知…る、わけが…機構、に…入って…ない…星…だろ…」

機構に属さない星。

それでいて、地球在住の人形殺ヒドラしを差し向けた。

となると、場所は特定できた。

今まさに彼らのいる惑星なのだ。

「け、ど…無理、だよなあ…こん、な…広さ…で…見つか」

「ああ、すぐには見つからない」

チリ、と大気が焦げつく。

「その前に、貴様を殺す」




黒い煤を散らしながら、ブラックスミスの手がジェリーウォーカーの頭を鷲掴みにする。

『血は酸素を含むからなあ』

「ご、あ」

ぐしゅ、と硬いものと柔らかい物が同時に潰れた。

鉄錆を含んだ香りの飛沫がかかる。

「…報いは受けたか?」

心臓の残骸から立ち昇る火柱。

それは幾重にも束ねられ、業火と化し、煉獄の檻へと鍛えられる。

黒い機械仕掛けの創造者はたちまち橙に染められた。

炎の息吹きからふいごを吹く音が聞こえたような気がした。

あるいは、中で蠢く機械と生物が混合した存在。

その断末魔か。

残ったのは、人の輪郭をした炭。

そして錆びついた金属片。

それが成果物だ。

『んじゃ、どちらもラボに転送な』

「そうしてくれ」

機体は失せ、黒いフードに身を包んだ蘇芳は頷いた。

『あと、戦術チームが今から中に突入だ。聴取が嫌ならとっとと帰ろうぜ』

「ああ。帰って双子を修理する」

もちろん、ヒドラの死骸をカプセルに回収する作業も省かない。

共に焼いたジェリーウォーカーの素材を抽出するため。

復元後はどう加工したものか。

それは明日の仕事だ。

(ヒドラからは聞き出せなかったか)

瑠禰を狙う犯人。

そして、ファフナーにウィルスを仕込んだ存在。

両者は間違いなく同一だ。

動機。

瑠禰が魔術を使うアンドロイドだからだろう。

(あとは目的か)

宇宙へ進出し、自律型ロボットが闊歩する時代になってもなお、魔術は文明の片隅に息づいている。

機構の中枢にいる要人の中にも使い手はいる。

ごく僅かだが。

そもそも魔術を使う機会そのものがほとんどと言っていいほどないのだ。

魔術は禁忌。

過去に人類を翻弄した古き異形の支配者達が、気紛れで人類に与えたのだ。

それが人間を破滅させると知っていたうえで。

ゆえに、この地球には魔術師が数えるほどしかいない。

少なくとも一つの島か大陸につき、一人いるとかいないとか。

(それだけの希少種だ。アンドロイドとはいえ、瑠禰が狙われるのも頷ける。だが)

なぜ、瑠禰が惑星スカイにいると分かった。

アンバー博士は双子の存在を秘匿したかったはずだ。

だから、辺境の星に最期まで住み、亡くなってからはファフナーを警護防衛システムとして託した。

外部との金品のやり取りはずっと彼女の名義が使われていた。

双子の名前は一切出さなかった。

(いや…むしろ、それが原因か)

博士もまた狙われていたとしたら。

彼女は優秀なロボット工学の研究者で人格者だった。

恨みを買われることはなかったはず。

(学院や機構でなければ…ハッカーの所在が正しければ…地球か?)

アンバー博士と地球。

両者を繋ぐ物は何か。

まだ、ある。

なぜアンドロイドの瑠禰が魔術を使えるのか。

双子の設計から製造まで全て一人で一貫したのはアンバー博士だ。

博士は双子にあらゆる知識を身につけさせた。

その中に魔術もあったが、あれはあくまで書物の知識程度だ。

(やはり謎を解く鍵は博士か)

双子との仮契約は一ヶ月で切れる。

正式に登録したら、惑星スカイの凍結スリープ・モードは解除されるだろう。

(またあの場所へ行く必要がある)

防衛作戦部の実働部隊が古びた工場に流れ込む。

蘇芳は隊員たちの間をかき分け、陣頭指揮を執る隊長らしき男と軽く会話を交わす。

(神楽はまだ遠征中か。泰山がいないだけましか)

報告書を提出することを約束し、機構の科学者は潮風の吹き付ける工場に背を向けた。

無人の市街地を異星の大型自動二輪が駆け抜けるが、見た者はいない。






一人、除く。

「異星人とはいえ、結局は単細胞生物…ですね」

一人、覗く。

「今度は私が会いに行きます。おやすみなさい、ブラックスミス」

白い裾を翻して、彼女の胸元を白銀が煌めく。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



紫苑は事後処理のため現場を離れられない。

ゆえに、蘇芳は夕食より先に双子を地下室に連れて行った。

作業台に横たえると、交互に二人の間を往復しながら工具を動かす。

『相変わらず璃緒の方がやられ具合ひでえな』

状態観察記録装置にアクセスし、ウルは故障の具合と回復の経過をおおよそ見積もって計算する。

『敏捷性と反射神経に偏ってるせいか? もうちっと耐久性を上げた方がいいんと思うんだが…なあ蘇芳、お前はどう思う?』

答える代わりに、蘇芳は璃緒を見た。

璃緒は目を合わせようとしない。

合わせられないのだ。

ただ、できることは一つだけ。

「…ありがとう、ございます」

「なぜ礼を言う?」

「姉さんを…助けて、くれたから」

目をすがめて蘇芳はドライバーを腕の関節に潜り込ませた。

「手に入れてすぐ壊れるようではな」

「そう、ですよね」

嫌々引き取ったアンドロイドなのだ。

これで使い物にならなくなったら。

「これじゃ使用人失格ですよね」

「主人失格だ」

蘇芳の横顔に目が動いたせいか、知らず璃緒の腕まで震えた。

「『主人失格』って」

「不本意だが引き取ると言ったのは俺だ。自分で言っておきながら、壊され、盗まれる一歩手前まで放っておいた。監督不行届だろう」

関節からドライバーが離れると、動かすよう促された。

試しに璃緒は曲げ伸ばししてみた。

ぎこちなさはない。

軽く、それでいてどこか骨の質感を感じさせる重みが伝わる。

「地球の重力は惑星スカイのそれより微弱ながら異なる。それに合わせて骨組みの重量を増やしてみた。より硬度の高い材質だ。違和感がなければこいつを使う」

「…お願いします」

今日は時間がないので破損した箇所だけ素材を入れ替えることになった。

しばらく様子を見て、慣れれば総入れ替えするという。

『瑠禰にも同じのを使うのか?』

「あれは少し毛色が違う。学院アカデミーでその手に詳しい男に相談してからだ」

毛色、と聞いて璃緒は思い当たった。

(そういえば、スカイでも同じようなこと言ってたよな)

璃緒と瑠禰の違い。

瑠禰にしか使えない力。

アンバー博士の教え子だったという、この黒髪の若い科学者はどこまで知っているのか。

「あ…博士は、姉さんの」

「俺も詳しくは知らない」

あっけなく、答えは返ってきた。

璃緒の必要とする答えではなかった。

しかし、初めて対峙した日と違った。

胸に刺さる不快感も、背筋から感覚が失われていくような恐怖もない。

長身の若い男は椅子に座って作業台の双子に工具を向けている。

遠くない目線が璃緒と合う時だけ、細かい働きをする手が止まった。

「そっか…博士でも分からないことってあるよな」

「だから」

再び目と手は傷ついた腕に集中する。

しかし届いた声は明瞭だった。

「必ず突き止める」

『矜持ってヤツだな』

茶化す声にも取り合わない。

ただ、黙々と修理に没頭する様はけっして不本意には見えない。

(ファフナーのメンテをしてた時)

かの龍が健在だった頃を思い出す。

瑠禰が食事に呼んでもなかなか璃緒はすぐに切り上げようとしなかった。

ファフナーにいいからいいからと促されてからようやく作業を中断した。

最後に過ごした日もそうだった。

「ありがとう、博士」

「蘇芳だ」

『「博士」だけじゃどこの誰か分からんからなあ』

そうだった。

璃緒にとっての『博士』はアンバー=ベルンシュタインだけだった。

今までは。

(決めたよ、姉さん。やっぱり僕もここに残る)

ここで働けるだけ働く。

いつかファフナーが元に戻るまで。

故郷の星に帰れるまで。

その日から双子は地球のアンドロイドになったのだ。












そう長くは続かなかったが。

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