17話 人外殺し

瞬時に手甲剣に圧力がかかった。

白い女がナイフでいったん押し返し、バックステップで間合いをとった。

その間に蘇芳は瑠璃を地に縛りつける白銀のナイフを抜き取った。

「ありがとうございます」

頷くと、目の前の白い女を見つめた。

間違いない。

臨海地区で沿岸道路。

「またお会いしましたね」

「車の不具合は演技だったか」

「薄々気づいていたでしょう」

「まあな」

女は初めて会った時と変わらない態度だった。

身に纏う装束だけが別だ。

白銀の甲冑と純白のドレス

華奢な細身の肢体。

だが、折れそうに細長く見えて、足の運びから筋肉が引き締まっていることが窺える。

なにより、射るように視線が語る。

彼女も常人ではない、と。

少なくとも蘇芳自分と同じか、あるいはそれ以上に血の味を知っている。

血と、死と、暴力の世界の人間だ。

そんな世界に相応しいけだものじみた前屈みの姿勢を整えると、騎士然とした出で立ちの女は優雅に一礼。

髪と同じ色の長いまつ毛は閉じられた目を覆う雪片スノーフレークにも似た、どこか不思議と儚さがあった。

「あの時は自己紹介ができませんでしたね。私はルシア=ネーベルングと申します」



『ネーベルング?』

蘇芳の耳に内蔵された通信端末から怪訝そうにウルの声が飛び出した。

商会カンパニー…ネーベルング商会か)

ネーベルング商会。

機構が地球と技術協力を結んで以来、宇宙進出し、莫大な富を築いたネーベルング家が経営するグループ。

一方で古くから地球内外にかかわらず、人ならざる存在を研究し、その力を人に付与させてきたという異能の一族でもあるという。

当然、異形殺しすら実行する。

西洋風の騎士めいた装束も肯ける。

もっとも、お辞儀と同時に閉じられた目は、東洋の黙祷を彷彿とさせた。

死者への手向け、といったところか。

『お前も運が悪いな。地球の人外殺しに目をつけられるとはよ。いや、悪いのは女運の方か』

古くから人外に目をつけるというなら、地球外のアンドロイドを狙うのは当然だ。

目的が分からない。

ただし、先日瑠禰を攫ったジェリーウォーカーの雇い主は分かった。

商会カンパニーの最近の動向について探れ)

『了解』

(紫苑にも伝えろ。双子は任せた)

ウルの指示を受け取ったらしく、瑠禰と目が合う。

アンドロイドの少女は顔を引き締めて頷いた。

璃緒の手を引くと、二人の後ろ姿は車道へと小さくなっていく。

ルシアは後を追わない。追わずとも、行き先の検討がついているのだ。

蘇芳は気に留めない。

ここで仕留めれば済むことだ。

「名乗らなくて結構です。星間治安維持機構の夏目蘇芳博士ですね」

オブラートに包まれた声は少女のように高く、母親が子供に話しかけるように穏やかだ。

騎士というより聖女のように慈愛に満ちている。

そこに慈悲があるかどうか別だ。。

「俺をか?」

宇宙科学技術学院アカデミーの外宇宙調査団に所属。辺境の星々を旅した末、物体を目に見えない原子レベルから構築する業を習得。その禁忌をもって異形を殺し、貴方達がマキナと呼ぶ機械仕掛けの神を生み出した」

読み上げるようにプロファイルを明かされた。

「よく知っているな」

黒いフードが下ろされ、黒い前髪越しに東洋系の顔立ちが覗く。

男にしては白い肌が浮かび、そこから放たれる視線は北国の湖水を湛えた瞳を捉えた。

眼を晒すことなく、真紅と紺碧の瞳は対峙した。

「一つお願いがあります。あの人形ドールを譲ってください」

ルシアの片手からナイフが消えた。

白銀に覆われた手がアンドロイドの少女が逃げていった先を指し示す。

(お願い、か)

蘇芳の口から笑みの籠った溜め息が溢れる。

車の調子を見た時交わした約束。

にもかかわらず、頼み事とは。

白銀の騎士甲冑に身を包んでいるが、純白ドレスの暗殺者はお姫様でもあるようだ。

「目的は?」

「知る必要はありません」

必要もないか」

金属音。

再度、刃が相見あいまみえる。

ただし甲冑ドレスの手に最早ナイフはなかった。

それはどう見ても一振りの剣だった。ナイフのように片刃だが、長く、やや反り返っており、柄は小さく丸い。

余分な装飾をいっさい纏わず、刀身だけが鈍い銀を放っている。

「刀か」

「詳しいのですね」

騎士ナイトと見せかけて武士サムライとはな」

薄紅色の細い唇が両端を頰へと引き寄せた。

サムライではありません。彼らは正面からの戦が仕事です。むしろ」



声だけが闇夜を走り、黒いフードは切り裂かれた。

ぷっつり、刀の質感が消えた。

街灯が照らすのは蘇芳だけ。

ルシアの姿は消えていた。

手首の刃に沿って、蘇芳色の鉄錆が地面を濡らした。

「暗殺はニンジャの役目ですよ、夏目蘇芳」



再び、白い甲冑ドレスは闇夜に消えた。街灯の下にいるのは黒いフードがずり落ちた蘇芳だけである。

彼はあらためて自分の状態…損傷と負傷を確認した。

(肘から手首にかけて…か)

袖は裂かれ、地面を鉄錆の滴が濡らす。

(咄嗟に上体を逸らした。袈裟懸けは免れたか)

手首から伸びていた手甲剣は砕け散った。壊れたならまた作ればいい。

(だが、それよりも)

あの荘厳な騎士甲冑は見えない。

どこかに隠れたのだろう。

だとしたら、茂みから音が聞こえてくるはずだ。

にもかかわらず、音はいっさい聞こえない。

彼女は闇に透きとおったように蘇芳の視界から見えなくなったのだ。

(見えない…そうか)

防衛作戦部の秘密工作員達は偵察や暗殺など暗部の仕事を引き受ける。

その際彼らが纏う戦闘服には光学素材が用いられることがある。

特定の条件、あるいは光のスペクトル下にある環境で機能するという。

しかし、実際その隠蔽スーツが見破られた事例は今のところほとんどない。

地球の技術もそこまで追いついていたということか。

しかし光学迷彩には条件がある。

あくまで周囲のスペクトルに合わせなくてはならないのだ。

今は夜。

明かりといえば、外灯か、空に浮かぶ衛星か。

それを探るためにも、刃を交える必要がある。

(いいだろう)

蘇芳の口端が吊り上がる。




肩から切り裂かれた袖を引きちぎり、傷口に巻き付けた。

手甲剣は手首から引き剥がした。

たちまち、黒い破片が足元一帯にばら撒かれる。

(接近戦のプロか)

アンドロイドを打ち負かしただけのことはある。

そのうえ、これまで多くの異形を抹殺してきたこの夏目蘇芳に傷をつけた。

異形殺しの科学者は素直に認めざるを得なかった。

この女は自分と同格だ。

「どうしました?」

野良猫に甘噛みされた時の口ぶりそのものだ。

声のする方を探ろうと耳をすませたが不確かだった。

スピーカーのように音声は別の場所から流れているに等しい。

星間機構あなた方の力は地球より進んでいると伺いましたが」

「そうか?」

ゆえに。

蘇芳は片手を前に突き出した。

ノイズと火花を纏った二メートル近い棒状が出現した。

それを片手で掴むと軽く回し、背中に滑らせ、背負うように両手で構えた。

長杖クォータースタッフである。

「まだそんな物を隠し持っていたのですか?」

「そうでもない」

外宇宙調査団の所属研究員は単独行動が多い。

防衛作戦部や現地惑星の鎮圧部隊が駆けつける前に異形との戦闘に巻き込まれるケースが後を絶たないのだ。

だからこそ、状況に応じて武器を使い分ける蘇芳が調査員に選ばれたのだ。

「他にもやりようはある。お前の実力レベルに合わせて手を変えただけだ」

「私のレベルに?」

柔らかい声に変化はない。感情に乏しい声だった。

そこへ畳み掛けるように蘇芳は肩をすくめた。

「無駄な労力を使う気はない」



長杖を伝って両手に痺れが走る。

いつのまにか白い騎士甲冑の暗殺者ニンジャが刀を振り下ろしていた。

「気に触ったか?」

「あなたこそ傷の具合は良いのですか?」

純白のスカートは裾をふわりと浮かせ、刀身もまた斜めに流れる。

それに合わせて長杖が傾き、蘇芳の上体がバランスを崩した。

ガラ空きになった腹めがけ、刀の柄から離れた片手が拳を作る。

ガントレットで覆われた突きは鳩尾を一直線に狙っていた。



しかし、

「遅いな」

蘇芳の膝と肘が重なり合い、銀の拳を挟んで寸止めしたのだ。

同時に、蘇芳もまた片手を長杖から離していた。

黒い革手袋に覆われた手はプレートメイルの覆われていない一点に伸びた。頭と胴体の繋ぎ目…首めがけて手刀が走る。

暗殺者はわずかに顔をこわばらせ、軽いフットワークで宙に跳躍、街灯をバックに再び闇に消えた。

「やはり手加減しているのですね」

またどこからともなく穏やかな声が木霊する。

「先程の手技…やろうと思えば手の表面を硬化させ、私の首を切断できたものを」

蘇芳は長杖を持ち直した。

足元にはいまだ手甲剣の残骸が散らばっている。

邪魔だと言わんばかりに蹴飛ばした。

(姿ばかりか音も熱も感知できない。高周波か)

ここまで機構の、それも学院アカデミーの技術と似通っている。

やはり、商会カンパニーは地球外の人外とも接触があるのだろう。

(あの女に聞かなくては)

目的が地球にはまだない技術だとしたら、瑠禰を狙う理由は分かる。

何に利用するか明らかにさせる。

それには拘束するか必要がある。

(次に接近した時に杖をワイヤーに)




「考え事ですか?」



早かった。

再度の奇襲。

長杖で塞げたが、逆に奇妙な感覚が伝わった。

(軽い? さっきと比べて…)

見ると、ルシアは片手で日本刀を構えていた。

また拳の打撃が迫る。

今度は素手でガードするべく片手を離し、膝から指先に意識を

「残念」

脇腹を熱い物が鋭くめり込んだ。

喉に、手の指先に、頭に熱と痺れが同時に伝わる感覚が駆け巡った。

鋭利な刃物が一直線に腹部を刺した。ただ、その事実だけが身体に理解させている。

喉の奥から鉄を含んだ生暖かい物が吐き気とともに流れてくる。

そんな光景が頭をよぎった次、硬く鈍い物が同じ場所を突き抜けた。

蹴りの衝撃を防ぎきれず、蘇芳の体は公園の木へと叩きつけられた。



眩しく照らす街灯をスポットライトに、ルシアは木にもたれかかる蘇芳に近づいた。

彼はまだ手に長杖を持ったままだが、体はナイフで木に固定されている。

対するルシア。その手には彼女が好み、得意とする通常装備が備わっていた。

日本刀と、ナイフの二刀流だ。

かつて、この星にいた宮本武蔵という剣豪が代表的な使い手である。

彼は日本刀の二振りを使ったが、西洋では一本を短いナイフにして防御に使い、もう一本を長剣にして攻撃に用いる手法が実在した。

彼女も同じだ。

大振りな日本刀が盾、小回りの利くナイフが攻撃手段にはなるが、暗殺という役割から見れば理にかなっている。



空には月が浮かぶ。

それは二人を照らす街灯に比べると柔らかい。それでも両者のどちらにも等しく降り注く。

殺す者と、殺される者だとしても。

「さようなら、夏目蘇芳」

鏡のように月を映し、ナイフの刀身が横殴りに薙いだ。









がくっ、と白い殺人姫の足元がぐらついた。

(なに?)

動かない。

なぜ。

足が、

「これは…」

膝から爪先にかけて両足を保護するグリーブ。

それが今地面に固定されていた。

見れば、黒い金属のような結晶に覆われていた。

「爪が甘かったな」

ルシア=ネーベルングは目の前の夏目蘇芳を見た。

木にもたれるように捕えられている。しかし、口は余裕の笑みで吊り上がっていた。

「暗殺者だろう。自分の足元ぐらい確認しておけ」

蘇芳はその場から動いていない。

ただ、右手には長杖を携えたまま。

そしてそれは地面を突き、



(まさか)



長杖は地面に散らばる黒い破片に触れていた。

それは破片全てをひと繋ぎに結晶化させ、ルシアのグリーブに到達し、硬化させて縫い付けたのだ。

(だから仕込み刀の破片が…)

ルシアは蘇芳から気を逸らした。

代わりに自らの足を拘束するトラップを排除にかかる。

刀を逆さに向け、黒い結晶をひたすら粉砕しようと振り下ろす。

「無駄なこと」

炭素結合によって構築されたゆえ、強度はダイヤモンド並みだ。簡単には破壊できまい。

その間に蘇芳は腹部のナイフを抜き、自由になったその身で接近した。

「手加減は終わりだ」

ルシアは左手のナイフを投擲。

それも一本だけではない。

投げる直後に懐に手を忍ばせたのか、複数本に増えていた。

躊躇うことなく蘇芳はその全てを長杖で薙ぎ払い、

「こいつは返す」

蘇芳は腹部に刺さっていたナイフを見せびらかした。

直後、あろうことか、投擲と呼べない投げ方で無造作に放り投げたのだ。

しかも狙った先は、


(しまった)


公園の広場に備え付きの街灯。

そのうち彼らを照らす一本から、LED照明の破片が砕け散った。

まだ街灯は複数あるため周囲が完全に闇に包まれることはない。

むしろ頭上から降り注ぐ月明かりが鮮明さを増すのみ。

空が映す先は自由の身になった黒衣に長杖の男、そして、純白白銀の甲冑ドレスに日本刀の女だった。

「どう、して…」

蘇芳は肩をすくめた。

「光に消える暗殺者か」

黒い破片が宙を舞う。

大地へ縛り付ける黒鉄の拘束を粉砕したのだ。

迫りくるルシアは両手を一振りに添えていた。

正面から臨むつもりだ。

蘇芳は長杖で受け止めた。

金属同士がぶつかり合う衝撃に火花を散らす。

蘇芳は刀の斬撃をガードする。

間合いを取る際、有利だ。

暗殺者は最早ナイフを出さなかった。

あれは投擲と刺突において本領を発揮するのだ。

もちろん使い方次第では直接のぶつかり合いにも使えるが、この異形殺しの科学者には無意味だと思い知らされた。小細工は通用しない。

正面戦闘に持ち込まれた女に蘇芳は同情する。

(皮肉なものだな)

本来暗殺者は人目を忍び、あるいは悟られないように標的を仕留める。

彼女の場合、装備の特性上近づかざるを得ないというのだ。

時には刀身を逸らして蘇芳のバランスを崩そうとする。

しかしその手はもう効かなかった。

それどころか、硬度の高い足枷を壊すべく体力と膂力を尽くした。

ゆえに刀を握る手に痺れを感じ始めていた。

握力を緩める隙を蘇芳は見逃さない。

長杖から外した片手がプレートメイルで覆われた腹に迫った。




「残念だ」

初めて海岸線で出会った日。

あの約束は果たされそうにない。




胴体を保護していた鎧は砕かれた。

表面を硬化させた左手を広げ、蘇芳は掌でルシアの腹を殴打した。

刀は地面に落ち、華奢な体が蘇芳の腕に倒れ込む。

「終わった…か」











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