18話 ネーベルング
コインを落としたようなチャイムを鳴らすと、紫苑が出迎えた。
「兄さん、待ってたわ」
引きずるように蘇芳は屋敷に帰還することができた。
「二人はどうした?」
「地下室で
蘇芳の肩に視線が止まった。
「ちょっと、その人…!」
背負われた白い女を見るなり、卵形の頭に恐怖と驚愕の表情が浮かぶ。
「気絶している」
「そういう問題じゃ…それに」
あらためて蘇芳の状態を確認した。
服の破れめからして、明らかに肩から肘にかけて切り裂かれ、右の腹部に刺し傷が剥き出しだ。
「見てのとおりだ。消毒薬と包帯を持って来てくれ」
その間にルシアを研究室へと運んだ。
寝台に横たえると、薬品用の冷蔵庫から麻酔薬を取り出し、注射器で体内へ流し込む。
(用心するに越したことはない)
万一意識を取り戻せば、また襲ってくるだろう。
それでもあえて止めをささなかった。聞きたいことがあるからだ。
そうしなければ、瑠禰を狙う輩はいつまでも跡を絶たないだろう。
「いつまで覗き見するつもりだ?」
モニターに映るドット絵の相棒が口笛を吹く。
『お人好しの色男め』
「何か分かったか?」
取り合わない。
つれない態度に肩をすくめるモーションを見せると、本題に入った。
『まあ、お前も知ってることだらけだが…ネーベルング商会の歴史は古い。
ネーベルングの、人間。
『名前の載った文献が増え始めたのは近代の手前…イタリアのメディチ家が医薬品で発展したり、ハプスブルク家がオーストリアやらスペインやらへ進出したり、アメリカ大陸が発見されたりする前から、医学、天文学、工芸を中心に栄えたとさ。どれも大元は…お前さんもご存知、
漆黒の瞳が薄らと赤みを帯びた。
「魔術か」
魔術。
科学が発達する有史以前から存在した
そして、異星の神とその眷属が生み出した禁忌の業である。
異星の神の一柱が、異形を倒す手段と
実際は人によって富と繁栄ないし堕落と破滅を引き起こさせ、やがて精神に異常をきたすか、肉体を崩壊させる奈落への切符でもある。
ゆえに機構は魔術と、それを扱う人類を魔術師と呼び、存在を危惧した。
魔術を抑止し、尚且つこれを上回る科学力で旧き異形の支配者達に対抗するべく組織された研究機関。
それが
『ま、宇宙に旅立った人類はそれでよかったが、地球側はそういうわけにはいかなかった。だから魔術は古今東西にあらゆる系統に分岐して普及した』
見てきたようにウルは先を続けた。
『科学が発達していなかった頃は魔術師は異形への切り札だった。だから表向きは魔女や異端を狩る教会でさえ密かに魔術師を保護し、秘密結社という形で地下に潜らせた」
だがなあ…とモニターのキャラクターは頭をポリポリ掻く。
「物事にはどうしたってデメリットがある。魔術も同じ。アレには人によって適性や優劣があった」
実際それは貧富の差も招き、教会を腐敗させ、環境衛生を乱し、中世を暗黒時代と呼ばせる原因を作ったのだ。
火薬、活版印刷、帆船が完成し、大陸から新世界に渡る人々が後をたたなくなったのも、そうした教会と魔術師の支配から逃れるためだ。
「だから近代以降になって、魔術と科学のボーダーライン、最も新しい魔術にして科学の始まりでもある錬金術の研究が進んだ』
錬金術の目的が金や不老不死なら王侯貴族はもちろん、当時の絶対権力だった神聖ローマ皇帝や教会も研究と開発を奨励した。
『ネーベルング商会』はそうして中世以前から時の権力者の庇護を授かってきた。
『で、十九世紀も終わりになるとアメリカを拠点に本格的に頭角を表し始めた。戦争特需ってヤツだ。兵器開発はもちろん、兵士の衣食住みたいな必需品を供給して政府や軍を惹きつけた。でもって、戦争が終わったら今度は大衆をターゲットにして便利な日用品から娯楽にまで手をつけた』
そうして戦後以降も栄え、『ネーベルング商会』という財閥に進化。
地球が機構の連盟に加盟してからは宇宙へ進出し、成層圏を往来するドローンや、光学兵器を無力化する防護スーツの発明など宇宙開発に乗り出すようになった。
一方で、北の巨人の血を引く彼らはいまだに異形の抹殺を行なっている
人類を守る以外の目的で。
『連中のことだ。おおかた兵器開発のためだろうぜ。瑠禰を狙うのもそれだ。どうせあいつの
モニターで胡座をかきながら膝を叩いて促した。
『で、どうよ? そのネエちゃんの装備…どこか変わった所はねえか』
それならすでに検査済みだ。
蘇芳は試しにナイフを一本手に取る。
壁には二つの額縁が貼られている。
地球圏での調査を任命する辞令。
学院の職員と撮影した集合写真。
いずれもあらゆる惑星の気圧や温度変化に耐えられるようエレメントが結合に使われている。
一点にのみ。
蘇芳は狙いを定めた。
目をすがめたのも一瞬。
片目は開いた。
投じた一閃。
切っ先は穿つ。
『
モニターに映るダーツ台。
スコア百。
薄汚れた白衣の左胸だ。
「同じ技術だ」
『地球じゃ暗黒物質は未解明だが…やるじゃねえか、北の怪物どもよお』
刀やナイフはごく一般的…というのは機構の対異形用の武具と変わらない。
ある一定濃度なら異形にとって餌食だが、高密度だと猛毒になる。
魔術の発動に必要なエレメントだ。
甲冑、籠手、具足もまた同じ。
地球で産出される素材と結合されてり、硬度は
「ブラックスミスを呼び出せば無傷だっただろう」
『そりゃそうだ…で』
で、と語気が強くなった。
「どうした?」
『どうしたもなにも…お前自分の体気にしろよ。さっきから血がドクドクドクドク流れてんだよ』
ああ、そうか。
あらためて蘇芳は自身の腹部を見下ろした。
ナイフは肉体を貫通して樹木に刺さったのだ。当然だろう。
「止血したはずなんだが」
『応急手当てしてたって、治療しなきゃ意味ねえんだよ。おい、紫苑。再生医療のカプセルはまだか?』
蘇芳は額を抑えた。
科学の進んだ文明に生まれながら、パソコンどころか携帯電話の文字を打つくらいしかまともにできない。
天才科学者の妹は極度の機械音痴だ。
まともにできるとすれば、検索エンジンで文字を打つことと携帯電話の通話くらいである。
(いや、文書と表計算なら)
『しゃあねえな、ちょっくら様子見てくる。代わりに瑠禰を遣すから…』
モニターがブラックアウトする。
蘇芳は作業台に備わった椅子の背もたれに手を伸ばし、どうにか腰掛けた。
(考えることが多い。だが、今は)
ウルが叱咤するのも肯ける。
蘇芳はのめり込むと周囲の制止を聞かなくなる。
三日間実験室で観察に没頭したり、地下室で自前の
その度に
(今回ばかりは別だろう)
ノックが聞こえたので促すと、瑠禰が救急箱を持ってきてくれた。
「再生治療カプセルがシステムエラーを起こしています。再起動までしばらく時間がかかります」
それを聞くと、より疲労が増した気がした。
「顔色が悪いです。止血し直します」
上着を脱いで、シャツの裾をめくる。
アンドロイドの少女は眼球に宿る視覚センサーを調節しながら、傷の程度を推し量る。
「このとおり、見事に貫通している」
「そうですか」
瑠禰は棒読みに近い一本調子で呟く。
その手は救急箱に伸ばさず、直接皮膚の破れめにダイレクトに接触した。
痛みを堪えようと蘇芳はわずかに目を細め、声を絞る。
「どうだ? 俺の見立てだと自然治癒に任せれば」
言葉の続きは激痛に奪われた。
またあの感覚。
白熱した刃。
切っ先から柄の近くまで、皮を破り、深々と肉の壁を突き進む。
同時に生温い物が溢れて滴る。
傷口を強く押したぐらいでは感じない無慈悲な鋭さ。
思わず、蘇芳は瑠禰の手を掴み、強く押し除けた。
「いったい」
なんのつもりだ、と言い終わらないうちに蘇芳の視線が腹部に止まった。
そのまま目を逸らさなくなったため。
(これは)
黒ずんだ赤に濡れて鈍く光り、裂け目から剥き出だった腹部の内側。
それが今は見えなくなっている。
代わりにあるのは、日に焼けていない薄い色の肌だ。
指でなぞってみると、平らな皮膚に微かな凹凸ができたことだけ分かる。
「まだ内側は治癒の途中です。激しい運動は控えてください」
退院した患者に必ずと言っていいほど、医者達が口にする最後の忠告だ。
「今のは」
『待たせたな』
決め台詞のような一言でウルが戻ってきた。
『今のは聞き流していい。どうせ元ネタなんぞ分からねえだろうからな。それよりカプセルの準備が』
モニターをエクスクラメーションマークが占領した。
「なにいっ。ちょっとよく見せてみろ…いや、そんな…たしかにお前」
「その理由は俺が知りたい」
蘇芳は袖を肩までまくしあげ、引き裂かれた腕を見せて促した。
「もう一度やってみせてくれ」
瑠禰は答えない。
代わりに頷き、傷口に手を当てた。
ナイフが走った軌跡を激痛が辿る。
蘇芳はじっくりその様子を目で捉えた。その前にウルに頼んだ。今目の前で起きていることを記録してもらう。
(再生…いや、むしろ逆か。治癒を早送りしている)
通常二、三日で傷口は閉じていく。
蘇芳が見ている光景は、人間の傷が治っていく様子を記録し、その映像を早送りで再生したに等しい。
「終わりました」
腹部と変わらない色合いの肌。
触れてみると、わずかにうっすらとした線が走るのみ。
『マジかよ…』
呆然と呟く声は驚きを隠せない。
蘇芳も同じ気持ちだったが、まずは礼を言う。
「感謝する」
「蘇芳様があらかじめ止血していたおかげです」
目元を緩ませ、瑠禰は頭を下げる。
「聞かせてもらえるか?」
何を聞きたいか。
言わずとも、機械仕掛けの少女は心得ていた。
慌てるそぶりを見せない。
「今から話すことを信じていただけますか?」
「内容による。予備知識として、君がただのアンドロイドではないことは知っている。原理は不明だが、魔術が使えることも」
ただ、と椅子から立ち上がる。
疲労も苦痛もなかった。
「治癒の魔術…魔術師の中でも使える者はほとんどいない」
いつもと変わらない足取りでモニター越しに地下室の紫苑に呼びかけた。
『どうしたの、兄さん。なんですぐ来ないのよ!』
「必要ない。悪いが、瑠禰の代わりに夕飯の支度を頼む。内容は任せた」
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