epilogue
一般的には
白亜の造形が散在する研究所のうち、中心から宙に向かって伸びる巨塔。
学院長の執務室は中央本部の最上階にある。
「分かった。連絡ありがとう」
七瀬薫が空間ウィンドウをスライドさせると、そこに浮かんでいた友人の顔が消えた。
入れ替わるように、正面のデスクで肘をつく人物が促した。
「どうじゃった?」
開いているのか閉じているのか分からない、白眉に覆われた眼。
若いロボット研究者は見つめている視線を感じながら、胸を張って答えた。
「北海支部調査隊からの報告内容と同じです。外縁部調査隊の赤坂博士曰く、整合率は八十三パーセント合致。研究所の土とドローンに付着していた採取物は同一だと判明しました」
「そうか。では、引き続き追跡を灰塚君にテコ入れせねばなるまい」
痰を飛ばすような声が上がった。
部屋の中央に置かれた来客用のソファに薄汚い白衣が腰掛けている。
濃い色合いの木目や皺一つないテキスタイルなど、この空間の調度品に似つかわしくない男だ。
「またあの女狐に貸しを作るとはな」
「不服かね、秋葉原博士」
不服、とせせら笑い浮かんだ。
ロボット工学による研究で機構に君臨する秋葉原の当主は両の手を広げて肩をすくめた。
舞台俳優の仕草だが、華やかさとはかけ離れている。
「だってそうでしょう、学院長。あのグレート・ワンは起き抜けに相当のエネルギーを消費しました。再び冬眠状態に入れば、無機物と同化して見つけにくいのですよ」
そもそも見つけたところで捕獲できるのかどうか。
睡眠中もレベルGは脳波を絶えず飛ばしている。
「光年単位どころではない。連中にとって距離など関係ありませんからな…場合によっては亜空間を通り越して非物理世界にも土足で踏み入れる。彼奴らを追跡できるのは余程強くてイカれた輩です」
「夏目博士は追跡から外す」
知恵と知識の揺籠をいまだ抱く怪物。
彼の決定は絶対だった。
「貴方のやり方に反対するつもりはありません。ただ、奴の上司として忠告を申しているだけです。結果的に地球のカルティストがグレート・ワンを悪用する計画を未然に防げた。だが同時に、グレート・ワンが目の届く場所から離れてしまい、管理下に置く機会を逃してしまったわけだ」
たしかに、と七瀬は相槌を打つ。
秋葉原の見据えた状況に対して納得したからだ。
好意的に同意してくれたと勘違いし、そうだろう、そうだろうと秋葉原は一人で納得して頷く。
「当事者に高みの見物をさせておくのですか? 度し難い責任転嫁だ」
「地球圏から出て行った今、最早あの異形は彼の管轄外だ」
「それがおかしいと言っている」
秋葉原が食ってかかったのには、理由がある。
地球に滞在しながらも、蘇芳は外惑星の調査研究を任されている。
今さら外縁部へと旅立たせても別段珍しくはない。
『まあ秋葉原博士、いいではありませんか』
執務室の巨大スクリーン。
粉雪のように小さな星屑が集まっては散り、渦を巻き、規則正しい放射状に広がるなど一定のリズムに従って舞い上がる。
視覚化したエレメントの三次元モデルである。
秋葉原の専属AIであるカレルは、アバターの代わりにこの映像を用いる。
『そうでなくても、夏目博士はこれから忙しくなってきます。今更外縁部まで彼を送り出すのは無理でしょう。仕事が山積みですからね。月毎に出す土壌水質検査の定例報告がまだ未提出ですし、ネーベルングの古城に眠っていた魔法の記録調査を任されたばかりですよ。他にも試作機の操作実験、年明けにエネルギー工学科で行われるエレメント加速光炉改良型の試験運用…あと内燃機か』
「ダ・マ・レ!!」
離散。
そのまま吹き荒れた光の粒子は凍てついて身動き一つとれなくなる。
額縁と化したスクリーン。
その様に七瀬は溜め息をついた。
プッツリと、包丁で切れ込みが入れられたようにカレルの言葉は途切れると、秋葉原は改まって落ち着いた声色で進言した。
「あの男には今回の騒動の責任を負わせる必要がある」
「アレはあの者だけの責任ではないぞ、秋葉原白夜」
白夜、と。
ロボット工学科学部長は眉一つ動かさない。
その目を見据える白眉の下が見つめ返しているのだから。
「私はあらゆる状況を観る必要がある。なぜなら警戒すべきは一つだけではない。夏目君にはまだやらねばならない使命が残っているのだ。だが、責めはしない。いずれあの
別の形とはどういう意味か。
しかし観ている最中の学院長がこうして向かい合い、彼の息子を諭している。
いい歳して説教されるのはうんざりだったのか。
秋葉原白夜は腕組みしたまま胸を反らした。
「ご心配には及びませんよ」
場の空気を和らげるべく、七瀬は落ち着いたトーンで切り出した。
「異神と呼ばれる類は少なくとも百年眠りにつきます。地球の南半球に位置する海底から一度浮上した事例。お二方には記憶に残っている筈です」
カレルの代わりに映し出されたのは、ちょうどオセアニア大陸と南米と北極を結ぶ三角地点。
「地球の西暦でいうところの一九二五年じゃな。覚えておるよ」
「今でもゾッとするわい」
「ごく稀に地球圏の人間に脳波で訴えることはあります。ですが、本体が潜む海域では、今のところ大気中のエレメント濃度は一定、気象情報に影響はありません。機構だけでなく、アメリカ政府と国連が監視を続けています。当面は問題ないでしょう」
仮に覚醒しかけたとしても、その時こそは転移装置を正しく稼働させる。
地球圏から排出できればいいのだ。
完全に殺すことはできずとも、被害を最小限に抑えられる。
「まあ、当面の間はのう」
学院長の目は再び白眉の下に隠された。
秋葉原は肩を下ろしてソファの背もたれに体を預ける。
「まあ、いい。ああ、承知しました。学院長の仰ることには何でも従いますとも」
嫌味たらしく合意した秋葉原博士を尻目に学院長と七瀬は目配せする。
「では、我々は職務に戻ります。開発中の試作機が待っていますから」
『ええ、本日の試用運転開始まで一時間をきりました』
硬直の解けたカレルに促され、秋葉原は気を取り直したのか。
ソファに座っている時よりも軽そうに上体を起こした。
「さあ、行きましょう。終わったことをくよくよしても仕方ありませんし」
「終わったとな?」
白亜の壁は沈黙したまま。
二人の足は部屋の主に向いたのだ。
学院の支配者は問う。
終わったとな、と。
「終わりなどない。始まりさえない。終わりと始まりは同じなのじゃ。古き神は解き放たれた。封じられたものどもが息を吹き返したのじゃ」
偽りの太陽を頂いた宙の世界。
陽光が人々を照らし、濃い影を作る。
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白樺が並ぶ森の中。
葉の緑を鮮明に映し出す湖は、鏡面世界さながら。
「いや、むしろ硝子か」
蘇芳には炉にくべた碧い硝子を彷彿とさせた。
熱に溶かされ、しなやかに引き伸ばされてできた水溜りといったところか。
「実際、
そう呟き、浅瀬の底を試験官で掬い取った。
採取物を網目の異なる
長石。
輝石。
カンラン石。
黒雲母。
「配分によっては、ここが昔の活火山だったことが分かる。平均気温が低いため冷却に時間はそう多く…」
『まるまる九十分講義を聞かされた気分だぜ』
ウルは欠伸に近い呻き声を上げた。
空間ウィンドウではドット絵のキャラクターがうんと大きく伸びをした。
『着いた日からずっとこれだ。崖に登るわ、谷に下りるわ、川に潜るわで…キャンプかと思えば、地面を掘るか、水を汲むかだぜ』
「仕方ないだろう。以前転移した時それどころではなかったからな」
「それに助手もいませんでしたね」
唐突な声は背後から機材と共に雪崩れ込んできた。
岸に広がるシートを跨いで、薄色の登山服を来たルシアが声をかけた。
「瑠禰が呼んでいます。お昼ですよ」
『だとよ。ほれ、次の始業時刻まで作業中断だ』
一瞬名残惜しそうに湖を一瞥するが、試験官を篩にかけながら拠点に戻ることにした。
『璃緒も戻ってこいよ。ファフナーにメシ食わせねえと帰りは野宿するハメになるぜ』
「はいはい、了解」
蘇芳達とは反対側の岸で採取していた璃緒は口笛を吹いた。
胴体に合わせて尻尾を揺らす相棒が、上ずったような声を上げて下降する。
「着地に気をつけろ。シートに広げた鉱石が吹き飛ぶ」
「おっと」
地上から二十メートル近い高さまで近づいた龍に璃緒は合図する。
少年の相方はシートと湖からできるだけ距離を置き、尻尾から垂直になるように大地に降り立った。
そこからは蛇のように地面を滑り、璃緒に頭をぴったりと寄せた。
「精密機械と採取物は運ぶよ。シートをよろしく」
頷くと、頭に結んだ籐の籠にビニル製の巻き物を積んでいく。
璃緒は蘇芳と手分けして、機材や瓶が詰まった箱を肩に担ぐ。
ルシアも持てそうな箱を持ち上げ、三人は湖と森の中間を目指した。
そこには二つのテントが張られ、飯盒炊飯用の窯が火の元にぶら下げられていた。
ガスコンロでは鍋がコトコト蓋を鳴らしており、おたまを構えた瑠禰が懐中時計の秒針を目で追っている。
「アンドロイドなら必要ないと言いました。内蔵された時計の方が正確ですから」
「それがウチの姉さんなんです。キャンプの雰囲気をぶち壊したくないらしくて」
璃緒は肩をすくめるが、蘇芳は納得している。
「俺も嫌いではないな」
文明の利器が使えない野外活動こそ、調査員としての力量が試される。
実際、人類レベルの知性が存在しない惑星を探索することの方が多い。
そのような環境下では、燃料や医薬品なしで水や食糧を管理したり、日用品や健康状態を確保したりしなければならない。
「意外ですね。技術が発達した世界にいるはずなのに」
ルシアは正直に感心している。
一ヶ月になるが、蘇芳は自然に囲まれた生活に馴染んでいる。
商業施設や娯楽施設もない僻地の星だというのに、昔から生活してきたかのように溶け込んでいる。
「あちこちに飛ばされると、嫌でもこうなる。俺からすれば、君こそそうだ。ここでの生活が苦には見えない」
「母に鍛えられました。幼い頃住んでいた島と似ているんです」
「二人とも逞しいなあ」
しみじみと呟く少年型アンドロイド。
軽々と両肩にそれぞれ五キロ級のケースが収まっている。
その様子に蘇芳は提案する。
「お前も行くか?」
「行くって?」
「惑星探査だ」
璃緒が転ばなかったのは、寸前でルシアが上体を後ろから引いたおかげ。
「冗談ですよね?」
「調査団が今人出不足でな。体力と腕があって、研究知識のある者ならアンドロイドでも受け入れるそうだ」
むしろ、知性と身体能力が高く、あらゆる環境下でも活動可能なロボットが必要だと蘇芳は七瀬から聞いた。
昨日の評議会で失踪した異神の探索は続いているという。
他の研究分野からも人員を割いて。
ゆえに、空きが幾つもあるという。
「俺が入った経緯もそうだった」
『アンバー博士、その機会を見越したんじゃねえのか。さすがは本物の魔女だぜ』
二人は真っ直ぐ魔女の教え子を見つめた。
「あとは璃緒次第だ」
「姉さんが行きたいって言ってもいいですか?」
『いいんじゃねえのか? 魔術が使えるアンドロイドなんて大歓迎だぜ。なあ、魔法使いの科学者さんよ』
ウルに応える代わりに、蘇芳はかつての恩師の娘に話を振った。
「双子が不在となると、この星は管理者を失ったことになる。代理人が必要だ」
「私に務まると思いますか?」
蘇芳が立ち止まると、ルシアも歩を止めた。
沈黙と静止。
その向こう側は騒然と化している。
瑠禰が鍋の蓋を開けた直後、空高くに暴風が吹き荒んだのだ。
鍋に浮かぶソーセージ目当てだろう。
慌てて駆け出す璃緒を見つめながら、蘇芳は続ける。
「ここでの生活は慣れただろう。いや、馴染む筈だ。君の母が君と過ごした家がモデルだからな」
ルシアは異星の科学者を見ない。
鍋に首を突き出す龍と、割って入って阻止しようとする双子がいた。
「可愛い子には旅をさせよ。といったところですか」
「どこにいてもやっていける筈だ。あいつらも君もな」
軽く金の髪が揺れた。
やれやれと頭を振り、
「もしあの子達がここに留まると言ったら?」
「好きにさせろ。屋敷の仕事が減るだろう」
「母のようにここで生きろというわけですか」
そして、母のように死んでいく。
蘇芳はそれを望んでいるのだろう。
「君もそれを望んでいるのだろう」
家族と行き別れた、かつての惑星スカイの女主人のように。
「あとは、あの子達の好きにさせます。帰りたい時いつでも帰って来れるように」
再び歩き出す前に、金の髪と碧い眼は
揺れた。
薄紅色の唇に合わせて。
「あなたにも会えるように」
今にも湖水が溢れ出そうだ。
『雲行きが怪しくなってきやがったぜ』
ウルの言うとおりだ。
日差しが柔らかく感じるのは薄曇りのせいか。
また雨になるだろう。
だが、どうでもよかった。
硝子の湖が枯れないのなら。
BLACKSMITH vol.1 : Code Witchcraft 上山水月 @spheresophia
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