51話 黄昏の未来

星屑が身を寄せ合う天球儀。

紺碧の宇宙を集約させた俯瞰図が今、星間機構第一特別行政区マザーシップI評議会場の全天周壁画に映し出されている。

金に、銀に、あるいは赤に煌き周る、星海、もしくは星界か。

だが、評議会場の出席者達は天体観測に集まったわけではないのだ。

彼らが見つめる先は一点のみ。

太陽系第三惑星の北半球に浮かぶ島。

生まれたままの豊かな自然で知られる惑星だが、その地の風景は異星で語られる評判とは似ても似つかなかった。

葉を失った裸木が今にも倒れそうなほど大地で揺れている。

剥き出しの岩肌にはかろうじて機械か金属の面影を残す破片が埋め込まれ、距離をとって散らばる。

地層から浮かぶ太古の化石、その欠片を彷彿とさせた。

だが化石などあるはずがない。

かつてそこに存在した建築物の一部がその証拠だ。

『N el n m a 』とだけ刻まれたプレートである。

「以上が学院アカデミーの調査報告です」

最も大きな断片も映し出された。

衝立のように縮んだ外壁である。

その向こう側は隕石が落下したかのように大地が陥没している。

「地球のマスメディアは彗星によるものと公表しています」

「あながち間違いではなかろう」

議員の一人が杖頭に彫られた蛇を撫でながらしれっと答えた。

首から下はヒューマノイドだが、肩から上は見事に立髪が梳られた獣だ。

筋骨隆々の肢体を包んだスーツが鎧の風格を感じさせる。

ただしこれは彼にとって平素の出で立ちではない。

泥と血肉に塗れた特攻服こそが、あるいは勲章で飾った制服が普段着だ。

春宮平治大将。

防衛作戦部の最高司令官だ。

「少なくとも、八九〇〇年前には落ちたのだから」

コホンと咳払いしてから司会者は脱線させまいと気を配る。

「対物質天体…俗に言うブラックホールはオールド・ワンGクラスの一柱、『捕食隕石型生命体トゥールスチャ』を吸収、分解中にエネルギーを消耗して蒸発しました。その余波で『ネーベルング商会カンパニー』の第一研究所は倒壊、周辺一帯の森林や湖も蒸発しました。また、この一件で近隣住民の生活圏に影響は出ていません」

「だからあのように閉鎖的な土地を選んだわけか」

防衛作戦部第十四旅団を統括し、今回の作戦で司令官を務めた久貴少将。

前線の指揮は部下の神無月大佐に任せ、標的の拠点を調査させていた。

「万一、アレが外に出た時に備えてのリスク回避だ。しかし、最早必要なくなったと見える」

「次にこちらをご覧ください」

天球儀の焦点が地球から離れた。

代わりに浮かぶのは、銀河の最果てで蠢く暗黒の渦。

その奥は誰も窺い知れない。

「三十三時間前、歪みが生じました。ワームホールを通って脱出した可能性があります。エネルギー工学科の探査機から高密度のエレメントと炭素が検出されました。なお、探査機には硫黄を含む粘着質の流動体が付着していました。僅かですが、地球の砂礫も」

これが決定打だ。

久貴少将と同席していた神無月神楽は確信した。

標的は地球を離れた。

少なくとも、彼の友人が冒した危険に見合うだけの結果は返ってきたのだ。

(願わくば、次がないことを祈るよ)

「レベルGは脅威だが」

またもや蛇の杖頭を手にした議員が口火を切った。

「あのネーベルング人はどうした? のうのうと大手を振って歩かせるつもりかね?」

「放っておけ」

別の議員が口を挟んだ。

乱暴に髪を切り、白衣と着物を纏った女性である。

白亜の肌は化粧によるものではない。

学院アカデミーに在籍する評議会議員である。

「軌道エレベーターが完成すれば用済みだ。泳がせろというのが学院長の要望さ」

「要請の間違いではないのか? まあ、放っておけばが釣れるかもしれんしな」

「お互い様、ということで手打ちにするか」

中肉中背で丸い頭に白髪のかかった議員が提案する。

どこにでもいる凡庸な容姿だ。

背中からサイバネティクスの腕を二本伸ばしている点を除けば。

「夏目の始末を不問にすることが条件だが」

その夏目と同じ組織に身を置く女性議員は注目を浴びるが、当の本人はニヤニヤと笑みを浮かべるのみ。

「久貴君もそれで構わないかね?」

蛇の杖で肘をつく獅子頭の議員は、彼の部下にも確認をとる。

あくまで表向きだ。

「異存はありません」

それでいい。

神楽は上官と目配せする。

おかげで動きやすくなる。

最終的に挙手が多かったことから、地球圏の件は相互不干渉で帰結した。

「次の議題に入ります。内戦が終結した惑星フォルモサにおける反機構…」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



崩壊した『ネーベルング商会カンパニー』のスウェーデン支部研究所跡地から大西洋を約六千メートル以上横断した地点。

大地を隠す摩天楼が凍てつく朝の空気に包まれる中、ガラス張りの窓が陽光に照らされる。

外界からはその中など窺い知れない。

『ネーベルング商会カンパニー』の本社がそうであるように。

一九二〇年代初頭に完成した石造りの外構はいまだ赤煉瓦を積み上げ構築された。

その内部は鉄とガラスと合成樹脂などで構成された機械の要塞だ。

その全貌を明らかにはせず、より遥か昔から街を支配してきたように、北の巨人の棲処は佇む。

二十年以上前二つの塔が西の過激な狂信者達によって失われて以来、特に。

太陽の恩恵を独占し、足元に濃い影が伸びる。

それは日が昇るにつれて、より一層大きく膨れ上がるだろう。

下界を見下ろし踏み締める、神話の巨人さながらに。



その巨人めいた機械の要塞の中、正確にはより深い階層へ、摩天楼の主は降りて行く。

「ルシアから連絡はないのか」

目を伏せた秘書は首を横に振る。

レナード=ネーベルングは歯牙にも掛けない。

「今回の計画にあの子を入れる予定などなかったからな」

人工龍のウィルスが予想以上に早く効力を見せたのだ。

急遽東アジアにいた娘とコンタクトを取り、余裕があるならアンドロイドを確保しろと命じた。

しかし元々暗殺稼業を事務的かつ義務的にこなしていただけに過ぎない。

そのうえ音楽活動にしか興味がなかった彼女は失敗し、日本での生活がしたかったという理由でズルズルと計画を引き伸ばしたのだ。

結局アンドロイドと魔術を行使するため必要な電子頭脳のプログラム形式は手に入れたが、量産化に着手するまで実物を手中に収めておくことは叶わなかった。

そのうえ、覚醒を防げなかった『トゥール火柱スチャ』はブラックスミスの力で太陽系外へと消失した。

社内にはひっきりなしに株主達から連絡が殺到するが、レナード個人を咎めることはできない。

(嫌味くらいは聞いておこう)

空港に着くなり、早々とリムジンでニューヨークの本社に帰還した。

シャワーを浴び、朝食のベーグルサンドをとりながら臨時の株主総会に備えた手順を打ち合わせしながら。

エレベーターではなく階段を使って。

彼の執務室は最上階だが、地下の最深部こそがプライベート空間なのだ。

「地の底は実に心地いい。私の体に流れる血のせいだろうか」

秘書は首を傾けるだけで答えない。

彼女は淡々とタブレットの内容を読み上げるだけだ。

「ああ、スウェーデンの方は更地にしても構わない。元々あちらには事業に深く関わる代物などなかったからな」

「生存が確認された職員達の処遇はどうされます?」

「確保次第、ドイツに送れ」

最早日の目を見ることなどない。

彼らの未来を示唆した言葉だ。

人ならざる存在の高い知性は、時には人の理性を壊す。

は必要だろう」

「承知しました」

そのまま一字一句書き写すかのように、秘書は命じられたことを実行に移した。

形の整った長い足はステップを踏み外すことなく、複数のウィンドウを同時に操作する。

タブレットで今日のスケジュールを再調整。

空間に浮かぶタッチパネルからは総会参加者へのメッセージを送信。

すでに見積もられたスウェーデンの被害状況に合わせた補償の内訳。

そして、ドイツにも。

「あの『緑』ごときで根をあげるようでは、この先の仕事は務まるまい」

階段は扉の前で途絶えた。

ドアというよりも、荷物専用の昇降機に酷似している。

生体認証の電子ブロックから顔と手を離すと、レナードは分厚い体躯を折り曲げてシャッターを潜った。

秘書もまた長身をかがめて折れそうに長い脚をひねる。

そこは無機質な階段とは似ても似つかない調度品に囲まれている。

真紅のビロードの絨毯とカーテン。

オークを削って組み立てたテーブルの向こうには、玉座のような暖炉が重厚な佇まいを見せる。

デジタルの時代にあるまじき、羊の皮を舐めしたような表紙。

それら全てが集まり、群れなす書架。

もっとも、本当に羊の皮でできているかは持ち主すら知らない。

「過ぎ去ったモノを懐かしんでも仕方あるまい」

彼は身をかがめて暖炉を覗き込む。

「アレはどこにでも行き、どこにでも現れる。だが、どこにも行かないモノもいる。そうだろう」

秘書は聞いていなかった。

テーブルに腰掛け、ドイツの感染症対策センターに連絡している。

至急スウェーデンの研究所から行方不明になった研究員や作業員の行方を捜索してもらうのだ。

現地の収容施設に隔離させるために。

その間にネーベルングの巨人は、仄暗い暖炉の向こう側を覗き込む。











『深淵』へ。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



さく、と踵が幾重も重なる柔らかい物を踏みしめた。

最後の光輪を潜り抜ける前に、蘇芳は固く目を閉じていた。

おかげで、亜空間を抜ける直前の光を直視せずに済んだ。

目蓋の闇に慣れたため、まだ未明の惑星スカイを一望できる。

「霧が晴れてきましたね」

そばに佇む娘がぼんやりと浮かび上がる。

淡い色調で構成されているため、毎晩霧と厚い雲に覆われた星において、数少ない灯火のようだ。

(あるいは、花か)

けっして咲くことのない、明るい色の花だろう。

蘇芳には、なんとなくそう思えた。

すると見透かしたように、魔女の娘は

目を半眼開きにして口の端を吊り上げた。

既視感のある笑みに、蘇芳は何を言われるか見当がついた。

「どうしたんです? 私に見惚れたのですか?」

「顔色が悪いぞ。頻繁に転移しない人間は乗り物酔いに近い症状に陥るからな」

実際、ルシアは酔ってなどいなかった。

しかし、「顔色が悪い」という表現にいたく気分を害したらしい。

ゆえに、面白い嫌がらせを思いついたとばかりに蘇芳の背後に回り込む。

「何をする」

基本的に、蘇芳は敵意や殺意のない気配に疎い。

ゆえに、肩に両腕を回してきたルシアに抗えなかった。

「抱きつくな」

「抱きつきません。背負ってください」

「なんだと」

「顔色が悪いんです。やっぱり地球以外の空気には馴染めなくて」

無理矢理ついてきたくせにと言いかけたが、いや違うと蘇芳は訂正した。

「ここに滞在すると言い出したのは君の方なんだが」

「ええ。ですからしばらく時間がかかりそうです。新居に慣れるまではあの子達の手を借りないと」

宵闇に伸びる、白く細長い指。

地球のアーケードでも見かけた桜色の爪は丘に立つ屋敷を指し示す。

高い声の少年と無言で後に追いつく少女、流れ星めいて尾を振る龍が遅れて飛んできた。

初めて目にする光景だというのに、帰ってきたように蘇芳は感じた。

機構のコロニーにある実家でも、地球にある自宅でもないというのに。

『なあ、蘇芳。この際持ち家は一件で充分だ。ルシアにはここの大家でいてもらった方がいいんじゃねえか。税金の心配も要らなくなるぜ』

その言い方には語弊があった。

立場上、大家は自分の方である。

「借家として提供するなら話は別だが」

『おっ、そいつはいいな。家賃収入って手があったか』

「では通信環境を整えてください。あれがないと歌が届けられないので」

「それなら、いっそ実況動画でも」

言いかけた蘇芳は通信が入り込んでいることに気づいた。

相手は学院アカデミーからだ。

級友と家族、上司を含む。

『僕だよ、無事に着いたんだね』

『兄さん大丈夫? ルシアさんも怪我はない?』

『なぜ着いてすぐ連絡せんのだ?』

応えようとすると、今度は空間ウィンドウが開く。

『こちら防衛作戦部。蘇芳、どうやら脱出できたようで何より』

『あのデカブツくたばったか?! まだなら今すぐぶっ放すぜ! 場所を教えろ!』

『見てみろ、これが地球圏の被害届だ! もう言い逃れはできんぞ! 今度こそ少将から学院長に直訴…』

「思いついたんだが」

各ウィンドウから溢れ出る音量ボリューム無音ミュートレベルに引き下げてから、蘇芳は提案した。

「この星には何度も足を踏み入れた。だが、まだ探索したことはない。君がここでの生活に慣れるまで滞在しようと思うんだが」

「家賃は必要ですか?」

「必要ない。仕事を手伝えるなら」

耳元に熱い息吹を感じた。

笑みを浮かべた返事を載せて。

緑と湖水の映える北の大地から来た、地球の魔女。

『琥珀』の姫君が帰還したのだ。








薄墨の空。

宙の星はいまだ見えず。

霧に閉ざされたまま、黄昏の中だ。

東の空から黎明が差し込むまでは。

濃紺の宙は紺碧の空へ戻るだろう。

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