32話 街歩き
瀬戸内海。
地球の北半球に位置する極東の島国、日本にある二つの陸地に囲まれた海。
一年中温暖な地中海性気候に恵まれた風光明媚な四国には、いくつもの中核都市が存在する。
そのうちの一つが、沿岸部の臨海地区と並んで活気のある商業施設が密集する
約二十年前の規制緩和により、全国各地が右へ倣えの如く大規模なショッピングモールを次々と郊外に建てた結果、客足が遠のいた商店街はほぼシャッター街と化した。
にもかかわらず、この街のアーケードが今なお存続しているのも、商工会議所が「産学連携」と称して近隣の企業や学術研究機関とサービス向上を図った結果である。
ゆえに、
「姉さん見てよ、あの時計」
濃い緑と茶色を基調としたシアトル系コーヒーチェーン店。
その二階の窓が音を立てずに割れた。
絵本の挿絵を彷彿とさせる門の
江戸時代に実在したという郷土出身の発明家。
彼が生み出したからくり人形を、地元理工系大学のロボット研究チームが当時と同じ技術で製作した物だという。
これが市街地に出現したせいかどうか不確かだが、少なくとも軒並み閑古鳥だった商店街に賑わいが戻った時期は同じ頃。
今や繁華街の一角は観客の立ち見席である。
双子もその喧騒に溶け込んだ。
「よくできてるよね。僕らと全然違う原理なのに」
「ええ。それに表情は変わらず、動きは精細さを欠いている…しかし」
瑠禰の目がほそくなる。
「どこか惹きつけられます」
地球の技術は機構のそれより数世紀分遅れている。
ゆえに、ぎこちなく稼働する意志なき自動人形は旧時代の遺産である。
にもかかわらず、双子のアンドロイドは、からくり人形達が演奏を終えて扉の向こうに帰っていく後ろ姿まで見届けた。
「あんなに面白いのがあったなんてなあ…こんなことならもっと早く連れてきてくれたらよかったのにな」
「仕方ありません。そもそもこうして白昼に街中を出歩けるのも、これが先生の課題だからです」
そうだった、と璃緒は苦笑した。
「あ〜あ…けど、どうせなら課題とか訓練とか関係なしに遊びに来たかったよなあ」
そうぼやきながらも、璃緒は思い出したようにチラチラと歩いてきた通りの向こうに目をやるのだった。
『呑気なもんだぜ』
からくり人形が舞うコーヒーショップより数メートル離れた角のコンビニ。
美術館に面した通りのショーウィンドウ越しにいるのは夏目蘇芳だ。
『あいつら、これが尾行を撒くための訓練だって分かってるよな?』
姿なき声の主は人工知能のウル。
立ち読みのフリをしつつ雑誌越しに双子の様子を窺う相方にも振った。
『すっかり観光気分だぜ』
そうでもない。
道ゆく人の流れに押されることなく、アンドロイドの姉弟は並んで時計を見上げている。
コーヒーショップとも、その向かいにある蕎麦屋とも距離を置いている。
店内に刺客がいた場合に備えて、引きずり込まれないように間隔を開けているのだ。
二人とも蘇芳から教わったことを守れている。
あとは、実際に刺客が二人に接近しないように警戒…
「こんにちは」
否応なく、金髪に白い上着の女性が視界に飛び込んできた。
たちまち蘇芳の警戒心に火がつく。
雑誌に顔を向けたまま、視線のみを飛ばした。
「誤解しないでください。前にも言ったはずです。人目の多い場所では何もしません」
それに、とルシア=ネーベルングは軽く両腕を広げた。
先日と同じ薄いグレーのショルダーバッグを肩にかけているのみ。
「挨拶もなしに殺すのですか?」
真っ直ぐに伸びた指は細く、野花の茎のように容易く折れそうだ。
「目的による」
丸腰だろうと容赦しない。
蘇芳の地球に滞在する主な目的は惑星の環境調査と異星人犯罪者や異形の討伐だ。
そして、異星人犯罪者とは機構の敵対者である。
相手がプロの殺し屋で、しかも異形を利用する魔術師と、それに与する輩から殺しても構わないという。
相手が地球人だろうと。
師の娘だろうと。
「あの子達に用はありません。今日はあなたと話したくて来ました」
「何を?」
双子の所有権か。
人工龍のウィルスか。
あるいは、『
いずれにしても、死神を冠する異星の博士は拒絶の意を示すつもりだった。
次の言葉を聞くまでは。
「母さん…あなた達がアンバーと呼ぶ科学者のことです」
雑誌を握りしめる手を下ろした。
すぐそばのレジでは店員が駐車券を客に渡している。
ドアの隙間から外界の喧騒が届く。
いずれもテレビに映る映像と音声のように無関係に流れて消えていくのみ。
(ウル。二人に繋げろ)
『あいよ』
いろいろ言いたいことがあると言わんばかりの響きだったが、体内端末はマスター登録した二体のアンドロイドに通信を呼びかけた。
『あれ、どうしたんですか先生?』
最初に応じたのは璃緒だが、どうせ瑠禰も聞いているはず。
(予定変更だ。二人とも先に帰れ)
『昼食はどうされますか?』
察しのいい姉は理由を聞かない。
そばで璃緒が不満そうに口を尖らせる様が思い浮かんだ。
昼は行きつけの中華料理屋で食べて帰る予定だったからだ。
『家の冷蔵庫にピザの広告貼ってたろ? デリバリーで注文しろよ』
『了解であります!』
ピザと聞いて璃緒は素直に従うことにした。
『いいじゃねえか、たまには。どうせ二人に金は渡してあるんだろ?』
(ああ。ただし、道中絶対に寄り道はするな)
『そして、敷地から出ないまま門の外で出前を受け取る…ですね?』
『門の内側までならセキュリティが動くから。ダイジョブですよ、それくらいちゃんと覚えてますから』
防犯の教訓はしっかり二人に叩き込まれていたらしい。
(頼んだぞ)
釘を刺すと、双子との通信を終えた。
あとは。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どこまで傲慢な連中だっ?!」
レナード=ネーベルングの宣戦布告。
直ちに神楽の口から防衛作戦部に伝わっていた。
報告の手間が省けるので蘇芳にとってはありがたい。
万が一にも、『
問題は
この日も学院長は技術協力している産業メーカーのトップ達と会談を続けていた。
よって、代わりの耳となるのが管理部と理事会なのだが、どこで嗅ぎつけたのかまたしても秋葉原白夜の耳に筒抜けだった。
「地球の蛮族共め、誰のおかげで今まで枕を高くして寝ていられたと思っている?! 我々機構が昼夜を問わず下等生物共から守ってきたからだろうが?! それいけしゃあしゃあと…ロボットの所有権? 強欲も甚だしいわ!!」
誰一人としてプロフェッサーの悪口雑言を止める者はいない。
宥めすかそうとした管理部の職員が首根っこを掴まれて背負い投げを喰らったという出来事が過去にある。
「また連中に会ったら伝えておけ! そんなに欲しけりゃ貢ぎ物でも持って来いとな! 彼奴らが隠し持っている化け物のミイラでも引っ張ってこちらに引きずり出せ!」
「あくまでただの噂だよ」
学生への講義があるとかで、ようやく秋葉原から全員が解放された後だ。
七瀬は機材の保管庫を開ける鍵を取りに来たという。
「『
言わずと知れた、異形どもの生みの親である。
彼らは有史以前から宇宙の覇権をめぐり、争ってきた。
その過程で家畜として生み出されたのが地球人である。
ゆえに彼らの祖先は不条理に蹂躙されることに激しく抵抗、二千年以上前に宇宙へ旅立ったのだ。
異星の神とその眷属に対抗しうる、より高度な科学力を求めて。
しかし、地球に残った一部の者達は違った。
彼らは古き異形こそが神であり、神になされるがままにすることが人間の本分だとし、狂信的なまでに崇拝したという。
やがて崇拝者達は、異形の神々…より高度な技術や知識を持つ地球外生命体からその知恵と力を与えられるようになった。
これが魔術師の始まりである。
「ネーベルングがもし旧支配者達から魔術を得たなら、彼らの背後にもそうした存在がいるはずだ。ウチの学部長はまさしくそれを狙っているらしい」
「それなら先に地球側の魔術師が見つけているはずだ」
もちろん、地球の魔術師の大半が悪というわけではない。
一部では、純粋に古き異形から人間社会を守るべく人知れず活動している者達がいる。
ただ、彼らは神秘の秘匿を最優先するため、宇宙の真理を解明しようとする星間機構や
利害の関係で対立することすらある。
「まあ、あの夜はあくまでご挨拶程度だったからさ。近いうちに彼らの誰かが会いに来るだろうね」
用心した方がいいと友人は肩を軽く叩くのだった。
七瀬としては冗談のつもりだったが、蘇芳にとっては冗談にならなかった。
実際、『近いうちに』来たのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ただいま…って誰もいないよな」
紫苑は仕事で市庁舎にいるはずだ。
そもそも彼女はマンションの部屋を借りているため、蘇芳とは元から一緒に住んでいるわけではないのだ。
「私達二人分を注文しましょう」
「だったら一人一枚ずつ頼もうよ。どれにしよかな…ん?」
リビングの壁に備え付けられた薄型テレビ。
一般家庭用のテレビであると同時に端末の画面として機能する。
そのランプが今明滅しているのだ。
「この点滅の仕方…たしかテレビ電話だっけ?」
すでに操作方法を知っているため、璃緒はリモコンを手にしたが、時すでに遅かった。
メッセージを吹き込むための発信音が鳴った後だったのだ。
液晶ディスプレイに清潔そうに身なりを整えた若い男の顔が浮かぶ。
画面の右端にはアイコンで『浦部』という文字が浮かんでいる。
『あ〜もしもし、蘇芳か? ウラベだけど、この間言ってたType-D…ファフナーだっけか? 約束どおり学院で渡したかったんだが…すまん! 今日は毎週恒例のサーバーメンテナンスなんだ。その当番に当たってちまってな…つうことで、人工龍の電子頭脳は、学院の総務部に預けさせた。ホントごめんな! あと…無事にこいつが直ることを祈る。お前なら直せるだろ? じゃあな!』
ぷつんと枠の中を切るように走る線と共に、ディスプレイはブラックアウトした。
しかし、双子の耳には蘇芳の友人らしき男性の声が反芻している。
ファフナー。
いずれの口からも溢れた。
「あの人…
「さあ。ですが、先生は彼にウィルスの除去を依頼していたようです」
しかしあの口ぶりから察するに、期待に添えない結果のようだ。
「先生でも難しいから頼んだはずなのにな」
最早二人の頭にピザはなかった。
リビングのソファに腰を下ろすと、璃緒は下を向いた。
「…ホントに、僕達だけで直せないのかな。僕らだってアンバー博士に作られたロボットだよ?」
「
さっと璃緒の腰がソファから離れた。
即、テレビの正面に立ち尽くす瑠禰のそばまで来ると真っ直ぐに見据えた。
「すみません、悪気があって言ったわけではないのです。あなたはあなたなりにファフナーのことを」
「そうだよ、僕じゃ無理だ。だから」
璃緒の両手がそれぞれ瑠禰の手に添えられた。
その目は真っ直ぐ見つめている。
心なしか、声は大きく、
「姉さんしかいない!」
滅多なことでは動じない、アンドロイドの少女。
その目が外見年齢年相応に丸くなる。
開け放たれた口すら、ぽかんと小さく丸い。
「何を…」
「姉さんは普通のロボットと違う。
魔術が使える。この間、先生の怪我を治した時みたいに治癒の魔術をファフナーに使うんだ!」
愕然とした。
「そんなこと…」
「きっと大丈夫だよ。そもそもあのウィルスを作ったのはアンバー博士だ。で、博士だって魔術師だ。元の状態に治せるなら、ウィルスにかかる前に戻せるよ」
瑠禰は首を振った。
「たしかにロボットにも魔術はかかります。物体である以上、自然の法則に従った事象はかかりますから。落雷や突風、火炎など…しかし、それはあくまでハードの話です」
「けど、あのウィルスは博士の無意識や記憶が作り上げたって先生は言ってた。それに、魔術だって似たようなもんだろ? イメージとかヴィジョンとか…曖昧っていうか、口じゃ説明できないもの同士で…」
う〜ん、と璃緒は頭を掻く。
アバウトな喩えが苦手なのだ。
「とにかく、そういう不思議な物が相手なら、姉さんの方が上手く対処できる。それに賭けたいんだ」
瑠禰には目に見えていた。
口にこそ出さない。
だが、焦って必死で、使える物なら何でも使ってどうにかしたいという璃緒の切ない望み。
(私にできるかどうか)
瑠禰自身、使いたい時に使えるくらい魔術を扱いこなしている。
だが、必要な時しか使ったことはなく、ましてやコンピュータウィルスに対抗できるなどと考えたり思いついたらしたことはなかった。
(仮に、ウィルスになんらかの影響を与えたとしても…悪い方向に発展してしまったら?)
ウィルスの増殖と活性化。
ファフナーのメモリー破壊、あるいは初期化など。
「保証はできませんよ」
しかし璃緒は狼狽えない。
「やらないで後悔するくらいなら、やった方がまだマシ。これ、博士の口癖だろ?」
そのせいで危ない目にも遭ってきた。
鳥の巣穴に手を突っ込んで、烏や鷹を怒らせた。
またある時は、荒れ地で道に迷って山脈に足を踏み入れるところだった。
しかし瑠禰の顔にはあの時の苛立ちはない。
むしろ、吹っ切れたようだ。
「…地下室を開けましょう」
「ああ!
小一時間後。
デリバリーの箱からチーズの焦げる匂いを漂わせながら、双子の姿は夏目邸から消えていた。
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