31話 カウントダウン

「ルールは簡単。スコアの合計を競い合う」

ダーツには複数の遊び方がある。

あらかじめプレイヤーに点が与えられ、当たった箇所のポイントを加算、もしくはマイナスすることで残りの点数の多い方、時には少ない方を勝者とするゲームなど。

的には1から20まで数字が振られ、外側の円に当たれば数字の二倍、内側なら三倍のポイントになる。

中心はブルと呼ばれ、外側アウターは25点、内側インナーは50点に相当する。

そして、プレイヤー一人ひとりが使えるダーツ三本ずつ。

これがダーツの基本ルールである。

「まずは先行を決めよう」

レナードは胸元から一枚の硬貨を取り出した。

数字の10と短剣が刻まれ、反対側には女性の横顔が浮き彫りの金貨。

機構にも貨幣は流通しているが、現金で、しかも硬貨をコロニーで見かける機会は少ない。

「ただの記念コインさ。私から見れば中古品ビンテージだがね」

掌に乗せた骨董品アンティークの金貨。

ネーベルングの錬金術師は広げた手の中を見せて笑う。

その様は魔術師というより、手品師に近い。

「どちらか選ぶといい」

「裏を」

「では私は表にしよう」

宙に飛び出す一枚。

くるくると揺れるように回り、分厚い掌に帰っていく。

「君の番だ」

現れた面に刻まれた、短剣の切っ先。

ウエイターが三本ずつダーツを二人に配った。

キリのいいところで演奏は終了。

ルシアが壇上から去ろうとするところで、目ざとく他の客がダーツのスローラインに立つ二人に気づいた。

たちまち客の注意は移り変わる。

『盛り上がってきそうだぜ』

いつにも増してテンションが上がるウルと真逆の感情が蘇芳の顔を支配するのだった。





先行。

足元を走るラインの縁。

紺のジャケットから覗く手がダーツを握り締め、構えた手首が一度だけ宙で揺れる。

そして間髪入れず。

「ほう…」

穿刺。

レナードはダーツの軌跡が途切れた先を見送る。

対戦相手である若い東洋系の青年は、赤みを帯びた瞳もその先へ。

『ブル…なわけねえよなあ』

蘇芳は躊躇わずに20の内側の《インナー》のラインに打ち込んだ。

トリプル、つまり六十点獲得。

「いきなりかよ」

久利生は的に当たったばかりのダーツと当てた本人を交互に見比べる。

泰山と七瀬以外の面子は、娯楽スペースに集まる観客に紛れ込んでいた。

「飛び道具の扱いも慣れてたよなあ。ま、ダーツやナイフはめったに使わないそうだが」

「浦部、もう少し左にズレてくれ。

蘇芳の手が映らない」

ルシアの歌声を名残惜しむ間もなく、赤坂はしきりにFMDに触れながら画質を調整する。

光源が吊り照明だけでは、投げてから当たるまでのワンシーンを撮影しにくいのだろう。

泰山は最早ゲームに興味ない。

オードブルの大皿が空になったところで、お待ちかねのチーズケーキに舌鼓を打っていた。

「次はあんただ」

「感謝する」

恭しく頭を下げると、レナードの手がダーツを包み込んだ。

血の気がなく、それでいて節々が太い指が巻き付いたのも束の間。

手から離れたそれは、踵で軽く床を鳴らすような音を後に残した。

貫穿。

同じく20のトリプル。

初手は双方スコア六十。

「ここで終われば同点なんだけどね」

七瀬は席を移動していた。

レナードの向かいに座っていた蘇芳の椅子に腰掛け、神楽と遠目からゲームの勝敗を見届ける気なのだ。

「どうやら1ラウンドだけらしい。じっくり見届けよう」

「そういえば、お付きの人はどこだろうね?」

いつのまにか、軍服姿のゲルマン人は忽然と姿を消していた。

彼の席に置かれたティーカップにはまだ半分ルビー色が残っている。

「トイレじゃないのか。ナンパしそうなタイプには見えなかったからね」

「いや、案外当たりかもしれないよ。僕がトイレから戻った時、彼は楽屋の前にいたんだ。白いカクテルドレスの貴婦人と一緒にさ」

なるほど、と神楽は間延びした声で相槌を打つ。

同時に視線。

受け止めた泰山は軽く頷き、給仕を呼んで今度はガトーショコラを持ってくるよう頼んだ。

フォークは手にしたままだ。

「介添人は必須だね」

「大衆の前で物騒な真似はしないだろうけど、保険はかけておいたんだ」

レナードのが文字通り手出しする可能性がある。

だからこそ、第四旅団の防人達は蘇芳から離れて別々のテーブルに着席しているのだ。

ウルの存在も忘れてはならない。

店内に、あるいは街頭に『商会カンパニー』のメンバーが潜んでいる可能性もなくなはない。

ウルの口数が少ないのはそのため。

防犯システムを絶えずチェックしておけば、不審な点を発見しても即報告できる。

「何事もないなら、この賭けに興じるとしよう」

肘をついたまま、七瀬は身を乗り出しそうに様子を伺っていた。

「賭け、ねえ。本来、カジノ以外で競うのはご法度なんだが」

「ギャラリーはそうでもないみたいだよ。ほら」

いつのまにか、紙片が擦れ合う音が遊戯スペースから広がっていた。

どさくさに紛れて久利生と浦部が賭け金を集めている。

「源治が欠席だからね。今夜の胴元はあの二人の役目さ」

それを聞いた神楽は思わず突っ伏しそうになった。



今のところ、二人に賭ける客の割合は五分五分。

それもそのはず、両者は同点。

そこに蘇芳はさらなる20のトリプルを叩き込んだ。

しかも、

「さすが」

レナードは愉快そうに全ての先端ポイントが当たった先を見据えた。

五本とも同じラインの中にひしめき合って収まっている。

「参ったな。私が入れる余地がない」

無理もない。

通常、ダーツの最後尾にはフライトと呼ばれる羽状の飾りがついている。

フライトの形状は様々だが、今二人が用いているタイプはV字型だった。

「蘇芳の奴、上手いこと利用したな」

「ああ、昔から相手を追い込むのは得意だからな」

二人の感想を受けて、赤坂は冷静に分析する。

「あいつは投げた後のことを考えてた…つまり、フライトの向きを利用したのか」

20のインナーラインを覆い隠すため、フライトの向きが変わるようにダーツを投げる。

そうなれば、後から投げる者にとって同じインナーラインに的を当てる余地が足りなくなるのだ。

「蘇芳の良いところだよ」

しかし神楽は穏やかな顔に僅かな緊張が浮かんでいた。

北の巨人は果たして引き下がるか。

「しかたがない。では、最後まで投げるとしよう」

肩をすくめ、白いスーツの大男は体重を感じさせない足の運びでスローラインに爪先を合わせた。

蘇芳は一つ一つの仕草に目を注ぐ。

足の開き方。

肩の力の入れ具合。

手首と肘の位置。

ルシアとポーズに差異はあるが、投擲に心得がある。

ポイントを当てたボードの座標から見ても、彼は熟練者だ。

(歩き方。なによりあの表情)

踵の着地に無駄がない。

生き生きとした目の輝きも。

間違いなく、レナード=ネーベルングは殺しにも慣れている。

彼にとって、最高得点のラインを外すことなどあり得ない。

ゆえに、蘇芳は防衛線を張った。

ただ単に、彼より先に高い点を稼ぐだけでは駄目だ。

あちらにとって不利な状況に追い込めるように準備しなくては。

(だが)

あえてレナードは、最後の一本を投げようとしている。

彼にも策があるのか。

そうでなければ、組織の、そして一族の長に収まる器ではない。

「おいおい、やる気だぜ」

スローラインとボードを結ぶ道筋に沿って、観客ギャラリーは固唾を飲んで待つ。

「どう見たって無理ゲーだろ、アレ」

「他に狙えるとしたらブルくらいだ」

「それじゃ十点差で黒髪が勝つな」

「キリモミさせて投げるとか? 他のダーツを落とせるらしいぜ」

「いや、それこそ無理ゲーだって…」

不意に、私語がやんだ。

皆の注意が地球の魔術師に吸い寄せられたのだ。

そこには同じ表情が宿った。

なんだ、あれは。

蘇芳の視線も固定される。

ボードを見据える投擲者の瞳。

湖水色はうつろい、

(笑っている)

細めた先に浮かぶ朱色。

すっと引かれる口の端。

覗く歯は白く、鋭利。

仰ぐように肩と肘は回り、そして、








破砕。

『な、に…』

穿たれた小振りな矢。

それが的に到達したのだ。

先に刺さっていたと並んで。

四本だ。

五本ではない。

「驚いたかね」

蘇芳は応えず、ボードの下に散らばる複数の物体を目を落とす。

宙を舞い、ボードの下へと零れ落ちた破片。

かろうじて、V字型だった物の一部だけが原形を留める。

蘇芳が投げた最後の一本は見事に跡形もない。

「もちろん、タネも仕掛けもある」

北の巨人の長は対戦相手の青年を見下ろした。

その瞳はいまだ朱色が滲んでいる。

「しかし君のスコアは変わらない。お互い引き分けとしよう」

パサ、と続けて落ちたのは紙幣。

思わず久利生の手から滑ったため。

他の観客も同じ。

誰一人として目と足が縫い付けられて離れられない。

誰も予想しなかった結果だからだ。

白いスーツの魔術師は観客に向けて優雅に一礼した。

「賭け金は均等に分けるといい」

「残念だが、それは認められない」

ケーキを完食した部下を伴い、第四機神旅団の少佐は悠然と歩み寄る。

「ここは遊技場ではないのですよ、会長。賭け事がしたいなら地球のカジノをご利用願います。当然合法的な施設でね」

「そうさせてもらおう。いずれこの一帯にIRリゾートを建設するまではな」

そう囁くと、店の奥へと視線を投げかけた。

いつのまにかイタカが戻っていた。

「お嬢さんは先に帰らせましたぜ、会長」

「それでいい。あの子にも息抜きは必要だろう」

勘定を済ませるべく、ウェイターを手招きした。

「楽しかったよ、夏目蘇芳博士」

握手を求めようとするが、代わりに蘇芳は一礼した。

しかしレナードはそんな様子を気にも留めず、寧ろ満足そうに微笑む。

「先程の芸当」

踵を返そうとする背中が止まった。

振り返った目は湖水色だが、そこに映るのは己の投じたダーツ。

蘇芳が見せつけるそれは、先端が熱く煌めいている。

黄金に。

「『物質変換』の類か」

ふっと肩を落とすと、ネーベルングの魔術師。

氷を張ったような湖水色の瞳が『創造』の科学者を視界に捉えた。

「やはりな」

「『黄金アンドヴァ細工師ラナウト』。私はそう呼んでいる。我が祖、アンドヴァリにちなんでね」

錬金術とは物質変換。

黄金の錬成はその一つである。

「だが、物質変換よりも物体構築の方が奇跡に近い。たとえばこれも」

そう言ってレナードが胸元から抜き出した物。

蘇芳の目がゆっくり見開かれる。

濡れたように輝く柄から切っ先。

その全てが天井から降りるランプの下で黒く磨かれている。

「『ブラック創造主スミス』。ますます欲しくなったよ」

「無理だ。あれを使いこなせるのは俺しかいない」

「ではウィルスも諦めてもらおう」

「当然だ。双子も渡さない」

いまだ興奮冷めやらぬ酒場。

二人に触発されて遊技場は他の客に支配されている。

久利生達は賭け金を返して回る。

神楽の後ろにいる部下に凄みを利かされながら。

七瀬は迎えのタクシーに連絡を入れている。

「交渉決裂か」

ぽつりと巨人の血を引く地球の魔術師は呟く。

そばに控える軍服コートの用心棒。

射抜くように見据える瞳は青白い。

尋常ならざる輝きに悪寒を感じ、蘇芳は体を強張らせた。

足が自然体からいつでも応じられる姿勢へと切り替わる。

だが、『商会カンパニー』のトップは部下を宥めた。

「好きにするがいい」

「元からそのつもりだ」

蘇芳は口の端を吊り上げた。

「一つ伝えておく…時間はない」

目線だけで合図すると、レナードは白い外套に身を包んだ。

金髪の巨漢二人はゆっくりと歩みを進め、命が消えたように静まり返った夜の街へと扉を開けた。

最後、ゆっくり閉まっていく戸に合わせていつまでも鳴り響くベルの音だけが残された。

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