34話 魔女の弟子

最後の光輪を潜り抜け、双子は学院アカデミーのフロアに降り立つ。

璃緒はマッピングで管理棟の内部を確認した。

「行こうよ、姉さん」

早速駆け出すが、瑠禰の歩みは遅い。

「いいのでしょうか、勝手にこんな事をして」

「そりゃ先生は怒るよ…けど」

璃緒は確信している。

だから瑠禰を説き伏せた。

「ほら急ごう。何のために先生の留守中に地下室に忍びこんだんだよ? 先に僕らがファフナーの電子頭脳を手に入れるんだ。でもって」

「…本当に、治せると思いますか? 私の魔術で」

突端な思いつきだった。

しかし、試してみたかったのだ。

「姉さんは先生の怪我を治せた。で、先生の話だとウィルスを作ったのはアンバー博士だ。自分が作ったウィルスを自分でどうにかできないわけなんてないよ。だから姉さんに魔術を教えたんだ」

そもそもあのウィルス自体がプログラミング言語で作られた物ではない。

魔術師の潜在意識で組まれたコードだという。

ならば、

「魔術師には魔術、だろ? 僕や先生にはどうにもできない。こうなったら、切り札は姉さんだけだ。それに」

ときおり白衣らしき装束とすれ違うが、双子に興味ないのか、アンドロイドだと分からないのか、気にも留めずに素通りして行く。

相手の姿が見えなくなったところで、璃緒は続けた。

「姉さんだって試してみたいはずだよ。可能性があるなら賭けてみたいんだろ?」

廊下しかないかのように続くリノリウムの空間。

白い壁と天井と床に包まれた細長い通路を二人は突き進んだ。

行き止まりかと思われる壁に近づくと、深呼吸のようなシャッター音と同時に亀裂が入る。

そこから先はホールのような空間だ。

通路と変わらない色と質感に包まれる中、各々のデスクに向かって立体ディスプレイに触れつつインカムで話しかける老若男女。

いずれも学院アカデミーの運営に携わる職員である。

壁のモニターには受付ごとに担当業務と職員の名が開示されている。

「たしか、総務部だっけ。届け物を預かる所は…」

「まずは外部受付です」

窓口らしき前列のデスクと向かい合う若い女性に声をかけてみる。

「はい、何でしょう」

長い黒髪をお団子に結んだ眼鏡の女性が応じてくれた。

どこか溌剌として気さくそうだ。

「すみません、僕らは…」

「んんっ?! お前さんら…」

双子の後ろから薄汚れた白衣の中年男が歩み寄る。

「どこかで見た顔かと思えば…アレか、夏目蘇芳の」

キョトンとした瑠禰の代わりに、璃緒は眉をひそめた。

中年男の白衣が汚らしいわりに、なぜか内側は素材の高価なスーツなのだ。

(しかもネクタイの柄がアニマル柄って…シュミ悪すぎるだろ?)

璃緒の視線に好ましくない物を感じたのか、白衣の中年男は露骨に嫌そうな顔で睨みつけた。

「ハッ、使用人ロボットが主人なしで徘徊とは…しつけがなっとらんな」

なっ、と璃緒は声を上げた。

主人マスターなしでウロウロと好き勝手ときた。自分達の立場を理解しとらん」

「な…何言い出すんだよ?!」

思わず前傾に近い姿勢で顔を近づけて食ってかかる。

「ほお、腹が立つか。だがな小姓ロボットの小僧、お前さんらが人間にどれだけ似ようと似まいとロボットはロボットだ。立場を弁えんか」

初めて蘇芳と出会った日。

最後は惑星スカイで過ごした日を思い出す。

所詮、二人はロボットだ。

体が人間でなくなった日から、本当の姉弟ではなく姉弟機きょうだいきとなった。

ファフナーとも血の繋がった家族ではない。

(それでも)

今度こそ璃緒は腹を立てなかった。

蘇芳は双子を人間扱いしなかった。

同時に人間以下だと蔑んだりもしなかった。

少なくとも二人を信頼している。

だから身を守る術を教えたのだ。

「じゃあ察してくださいよ」

呆れたと言わんばかりに肩を竦めてみせ、中年男を退屈そうに見上げた。

たちまち、薄汚い白衣の目が陰険に細くなる。

「なんで僕らがマスターなしでうろついてるのか? マスターに用事を頼まれたとか思いつかないんですか? せっかくいい頭してるのに」

ぱかっと空いた口は、地球で見た骨董品の機械人形のぎこちなさに等しい。

しかも唇は震えているのに、喉の奥から絞り出せる声すらない。

水を失った魚のように口が痙攣する中年男をよそに、瑠禰は受付の女性に向き直る。

「惑星鉱石学科の夏目蘇芳博士宛に届いた品の確認をしたいのですが」

「それならついさっき一つだけ来たわ。小さいし振動に弱いから、防護フィルターに包んであるから心配要らないわ。はい」

受付の女性は立体ディスプレイから項目を選び、数回入力、スライド、スワイプを繰り返した末に画像から顔を離した。

「博士の研究室のドアポストに入ってるわ。認証キーで開けてね」

双子の電子頭脳にパスワードが伝達された。

「ありがとうございます」

「いいのよ。彼に一言ガツンと言ってくれてホッとしたの」

窓口越しに二人に顔を近づけ、女性は片目をつむった。

「この人のことは放っておいていいわ。いってらっしゃい」

深々とお辞儀すると、二人は学院アカデミーの管理者たる総務部を後にした。

璃緒にとって初めて機構で目を覚ました時いた場所であり、瑠禰にとって初めて惑星スカイの外で訪れた場所。

幾度も蘇芳から身を守る術を授かるべく訪れた部屋のドア。

今や、双子にとって特別な意味のある空間だ。

教えられたパスを入力すると、ドアが開く。

見慣れた殺風景な一室からデスクが浮かび上がり、その上には掌に収まる精密機械が埋め込まれたように置かれていた。

ファフナー。

どちらが先とも言わず、二人の指が長方形のチップに伸びる。

触れたかけたところで、璃緒は途中でやめた。

「姉さん、頼むよ」

一瞬だけ、電子頭脳を掴む手が硬直。

だが再び指に力は戻った。

わずかな間伏せたまつ毛。

まぶたが開くと、青白く発光する瞳が掌を見据える。

薄い桜色の唇から流れる旋律。

それは幾重にも折り重なって響くように流れる。

普段話す言葉とは異なる。

機構の公用語とも、地球の共通語とも違う。

複数の人間が歌うハーモニーのように天井を微かに揺らした。



そして、

「終わりました」

歌声、あるいは祝詞はやんだ。

「あとは本体に戻してみないと」

「なら、格納庫に行こう。たしかここにロボットのボディがたくさん…」

双子の歩みはもう止まらない。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



幾つもの山が重なり連なって見える。

実際は山などではない。

大気を漂う水蒸気が視界を白く霞ませているせいだ。

全て公園の木々から生え茂る枝の輪郭である。

『なんつうか、現実じゃないみてえだな』

そうでもない、と蘇芳は背中越しに通ってきた道筋を振り返る。

通り過ぎて行った後の並木道。

いずれの幹にも茨が生えたように突起が剥き出しだ。

鋭利な切っ先がめり込んでできた人工のオブジェ。

その持ち主が現れたのは数分前。

公園を漂う異変に気付いたのは二人だけだ。

「この霧…イタカですね」

『なんだよ、結局やる気満々じゃねえかよ』

違う。

ルシアが細い眉根をひそめている様子から察した。

彼女でないなら、当然トップの支持だろう。

『ここに来てるって他のヤツに言ったのか?』

ウルは音声を拡大してルシアにも話しかけた。

首を横に振りながら俯くが、表情を蘇芳は見逃さない。

『親父さんはお見通しってところだろうな?』

「どうでもいい。ここを離れる」

そう言うと、蘇芳はベンチから立ち上がりながらルシアの手を引いた。

「なんのつもりですか?」

答えず、革靴が大地を蹴った。

芝生の活気も、生垣越しに流れてくるエンジンやクラクションも最早耳に届かない。

『エレメント濃度はまだ上昇中。韻を踏むように規則正しい…って、まるでファフナーのウィルスみてえだな。こいつも魔術師の芸当だぜ。上手いことお前さん達だけ取り囲むように広がってる』

結界の類だろう。

過去に学院アカデミーの材料工学科は光学兵器を応用した障壁シールドを発明している。

魔術師達は異なる仕掛けで同じ物を生み出していた。

「刀と鎧だけでは飽き足りないようですね」

不貞腐れた声に言い返す。

「この季節に風通しがいいのは不健康でな」

蘇芳が言わんとしていることを察したのか、ルシアは小馬鹿にしたように目を細めた。

「私を人質にしたくらいで彼が諦めると思いますか? 彼は武道派の魔術師ですよ」

その言葉は立証された。

宙を切る風の音によって。

ルシアごと身を低くして回避。

たちまち、すぐそばの幹が無造作な線を刻んだ。

不可視の獣が抉ったような爪痕。

ルシアの言葉に嘘はない。

だから言う。

「君にとっていいチャンスだと思ったんだがな」

「チャンス?」

「君の母親のことだ」

風の刃は途切れない。

形なき斬撃に金属の刃が入り乱れる。

どちらかがいずれかの攻撃に備えた予備動作…フェイントだろう。

「なぜ君の母が君を残して出て行ったのか。知りたくないのか?」

見開かれた翡翠色の瞳。

その下で口が微かに震える。

「あなたは知っているのですか?」

「それを確かめるにはあのスカイに行く必要がある。だが、ファフナーが回復しなければ不可能だ」

『蘇芳、頼んでたアレだ。許可を送』

最後まで聞くことはなかった。

地面に身を伏せ、覆い被さるようにルシアの身を隠した。

「もちろんワクチンなしでウィルスを除去する方法はある。おそらく君も知っていると思うが」

それはウィルスを生み出したアンバー博士だからこそ見出した救済措置だ。

あのウィルスは、潜在意識による記憶の中の映像から生み出された。

ならば、解除するには魔術的手段な方が有効である。

『アンバー博士のことだ。おおかた、瑠禰に回復の魔術を教えたのはそのためだろうな』

だが蘇芳は双子に打ち明けなかった。

デメリットかあるからだ。

(あれはあくまで状態異常を元に戻すための応急処置。つまりに…)

『行き止まりかよっ?!』

いつのまにか並木道は途絶えた。

穴が空いたように何もないスペースに二人はたどり着いたのだ。

「手間とらせやがって」

響きわたる声は地の底の主からか。

実際は北の巨人に使える男だった。

彼の姿には蘇芳も見覚えがある。

角刈りの金髪に頬骨が剥き出しの顔。

肩からマントのように深草色の軍服めいたコートをかけた出で立ち。

極北の氷を閉じ込めたような青い瞳の巨漢はほくそ笑みながら、ゆったりと歩み寄るのだった。

「どきな、ルシア。こいつから情報を聞き出さにゃならん。すでに失敗したお前さんは役不足だ。オレが殺…違ったな。オレがヤる」

双子の所在を吐かせた挙句、嬲り殺すつもりにしか見えなかった。

肘を引っ張ろうとするルシアの手を蘇芳は引き剥がした。

「下がっていろ」

「しかし」

「真実を知りたいなら協力しろ。するなら約束を守る」

一方的な約束だが、ルシアは最早反論しない。

地球の魔術師にして人外殺し。

異星の科学者にして異形殺し

両者に割り込む余地はなかった。

イタカの放った見えざる刃が始まりを告げる。





直接手から編み出した『風』で切り刻まんとする。

本来、風は遠距離から飛ばす方が威力を発揮できるのだが。

蘇芳は右手の甲に黒い刃を形成した。それは落ち葉を散らして舞い飛ぶ『風』全てを両断した。

至近距離に迫ったレナードは、刃が寸止めされた隙を狙う。

剛腕を伸ばし、蘇芳の首を捕らえよう手を広げた。

これに対して蘇芳はしゃがみ込んでかわし、ガラ空きの左手で拳を作った。脇腹を狙うと見なし、風高いは肘でガードする。

「っ?!」

深草色の巨漢がバランスを崩した。

振り上げた蘇芳の両足が大地を離れ、後頭部を殴打の形で蹴り飛ばした。

蘇芳の左拳が狙った先は脇腹ではなく、膝である。

あらぬ方向からの衝撃に鍛え抜かれた肉体が備えていなかった。

盲点だったのだ。

「頑丈だが、臨機応変に欠けるな」

イタカは目を見開いた。

鋼鉄の骨は砕けることなどない。

むしろ蘇芳の両足こそ、『ブラック創造主スミス』で強化されていなければ粉々だったろう。

「舐められたもんだぜ」

巨体はバックステップで木々の中に溶け込んだ。

蘇芳もそうだが、イタカの装束もまた闇に溶け込める色とデザインだ。

ましてや暗殺者。

人目を忍んで仕留める一撃は特技だ。

つまり蘇芳は、敵のお得意の術中にいるわけだ。

蘇芳は手甲剣を構えた。

長杖だと視界に死角ができる。

まして『風』の刃は鋭利な反面質量を持たない。

身軽に動かせる得物がうってつけだ。

はたしてどこから来るか…



一撃。

蘇芳は手首のスナップをきかせた。

弾いた後で、刃特有の硬さが伝わる。

(銃声と違って音がない。ナイフよりも見えにくい)

風そのものに殺傷能力はな。

だが、二撃、三撃と増え続ける『風』なら話は別だが。

避けるのは無理だと判断した。

他の木に当たる。

倒れた木で奴の隠れ場所を増やすだけだろう。

だからこそ、蘇芳は反対側の手首にも手甲剣を装備する。

消耗戦を避けたいところだが、一度に三撃来た。

いずれも両手首の双剣で弾く。

次々に飛ぶ『風』の刃に紛れて、大きな一撃も押し寄せてきた。

両手をクロスして受け止めた。

チリチリと頰や耳たぶの皮が破ける痛みを感じた。

だが、その程度ならまだいい。

唐突に『風』はやんだ。

だが、暗殺者は跳躍して覆いかぶさろうとする。

しかも、右足と左足を交互に繰り出しながら放つ連続回し蹴り。

蘇芳は刃の峰や膝を使って軌道を逸らした。

横に回転していた巨体が突如向きを変えた。

垂直に両足を揃えて宙に上げたのだ。

蘇芳は両手を交差させてガードの体勢に入る。

両足は蹴りを放たない。

代わりに蘇芳の首を挟んで捕らえた。

黒いフードは落ち葉の散らばる大地に転がされた。

両足のすねがぎりぎりと締め付ける。

蘇芳は拘束された首と締め付ける足の間に指を割り込ませ、絞殺を免れようとする。

「安心しろ。貴様にはまだ聞きたいことがある。アンドロイドの…」



爆音。

イタカの鼓膜をかき乱され、神経まで揺さぶられた。

瞬時、意識が飛ぶほどの衝撃だ。

爆音の正体は耳元に落ちていた鈍色の金属片だった。

細長い二本の紐が伸びた板。

音楽プレイヤーだった。

ルシアは目を見張った。

(落ち葉を利用して静電気を?)

蘇芳は拘束から抜け出した。

しかもそれだけでは終わらない。

「お返しだ」

自身の両足を巨木のような男の首に絡ませ、そのまま一気に体を逸らした。

蘇芳は両手を地面につけたまた倒立。

反動に引っ張られ、ネーベルングの暗殺者は首を起点に持ち上げられた。

宙を舞う巨体は枯れ葉を散らしながら大地に不時着したのだった。

『寝技と投げ技はこいつの十八番だぜ。あともな』

どこからともなく聞こえてくる嘲笑。

地面に仰向けのままイタカの目が見開かれた。

蘇芳はネーベルングの魔術師を見下ろした。

そのまま頭めがけて踵を振り下ろそうとするが、機敏な動きで暗殺者は目論見を挫くのだった。

再び腰を落として両拳を構える。

その手に『風』は巻き起こらない。

蘇芳の両手も刃を消していた。

同じく拳を作り、踵が落ち葉の上を離れていた。

紅葉が舞い上がった。

火花の代わりに散る葉を纏い、両者は

拳と蹴りをぶつけ合った。




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