1話 双子の機械人形

「おはようございます、リオ」

ルネの鈴を転がすような声。

枕に頭を預けたまま、リオはまぶたを持ち上げた。

アイアンレールに沿ってフックが滑らせる紺のドレープカーテン。

ガラス窓からぼんやりと映る薄曇り。

その隙間から僅かに溢れる、赤みを帯びたほのかな光。

(…昨夜、雷鳴ってたのにな)

雲の裂け目から覗く赤い空の中。

より遙か高みを目指し、一直線に突き進む鉄の翼が輝く。

(あれも星間機構の戦闘機なのか? またどこかの星で戦いが始まるんだろうな)

物騒な話なのに、リオには現実味が湧いてこない。

「どうしました?」

その船体をバックに佇む、長い金の三つ編みを伸ばした少女。

シャープなエプロンワンピースに身を包み、白いヘッドドレスといういつもの正装に身を包んでいる。

どれも一日の始まる合図だ。

「…ああ…おはよ…姉さん」

「起きてください。今日も収穫お願いしますよ」

まだ眠いのに、と不平を零しかけたが喉につかえた。

そっと少女の顔が近づき、金糸の前髪が枕に横たえた顔にかかりそうになったからだ。

それは枕に預けた銀の頭髪と重なり、シャラシャラと微細な音を奏でる。

「今朝のメインディッシュはソーセージエッグですよ」

大好物で釣ろうという魂胆だ。

「了解…でも」

その前に、とまだベッドに横になったまま、リオの手が姉の顔に近づいた。

まつ毛に縁取られた青い瞳が見開かれ、桜色の唇が小さく開け放たれる。

鼻は小さく、僅かにもみあげを隠す金髪の間から渦を巻く貝殻のような耳が垣間見える。

そしてそれは、耳たぶが後ろに大きく反り返っていたのだ。



「やっぱり。また



クリッ、と硬いもの同士が擦れる音。

螺子を回す要領で手首を回すと、

「いつもありがとうございます」

ルネの金髪は腰に届くほど長い。

家事ができるようにいつも首の後ろで一つの三つ編みに結ぶのだ。

瑠禰は毎朝炊事、掃除、洗濯と朝食を口にするより先に済ませてしまう。

だから気がつかないうちに、のだ。

「いいってことだよ。また時間ができたら調整メンテしとくから」



調整。メンテナンス。

ルネが主体となって家事をする一方、リオにも役割が与えられている。

畑を含む庭仕事と屋敷の修繕、そして機械の調整メンテナンス

生まれながらにして有機体の生物とは異なるからだ。

人間を模した機械の人形。

中でも精巧に作られた存在がアンドロイドだ。

この双子とて例外ではない。




換気のため窓を開ける。

枯れ葉と雨の匂いの混じった風が襟元に忍び込む。

体感温度フィルターを通して全身に染み渡る涼風。

窓を通して階下からノイズ混じりの流暢な語りが流れてくる。

ルネがつけた配信ニュースだ。

『おはようございます。ヘブリディーズ星系の各惑星に降り注いだ宇宙雷は止みました。寒冷及び亜熱帯性惑星は寒気で覆われるでしょう。衣類と空調設備で体温調整を心がけましょう。ただし、過度な室温の変化は健康を著しく害する恐れがあります。季節の変わり目なので風邪をひいたり…』

顎から頰の人工筋肉にかけてあくびに支配され、アナウンサーの声はかき消される。

(風邪かあ…人間って面倒だな。それにしても、最近雷のせいで雨の日が多いよなあ。宇宙空間で人間活動が増えたせいらしいけど)

起き抜けの胡乱な頭でとりとめのないことを考えつつ、毛布を畳んでベッドメイキングしておいた。

『さて、次のニュースに入ります。星間治安維持機構が派遣した防衛作戦部の特殊部隊は無事惑星ラナイに侵入しました。密売組織の構成員が戦闘用ドロイドを引き連れて集落を巡回、住民は家屋に軟禁状態です。また、外宇宙調査団から今回の作戦に加わった現地特派員によりますと、違法薬物の原料となる植物の栽培者は姿を消した模様。この人物は過去にも違法義体の製造売買や不認可のコンピュータウィルを落雷に見せかけて各惑星に…』



「昨日頼んだのにな。部品まだ届いてないんだ」

「注文が多いのでしょう。秋口ですから、メーカーも忙しいはずです。この星だけでもロボットはごまんといますから」

は多すぎだよ」

冗談を交えたものの、リオの顔には不満が張り付く。

そんな弟の肩に、優しく白い指が置かれた。

「リオ。こんな環境下だからこそ、アンバー博士はあなたに任せたのです。頼りにしていた証拠ですよ」

そう言って、洋服箪笥の写真立てに視線を注ぐ。

小さな丸い眼鏡をかけ、貝殻から採取される天然石の首飾りをかけた婦人。

穏やかな笑みを浮かべ、畑の前で年端もいかない銀髪の少年と金髪の少女を左右にしゃがみ込んでいる。

写真の少年少女と瓜二つの双子は写真と向き合う。

「おはようございます、マスター」

「おはよう、博士」

写真立てから返事はない。

代わりに壁に立て掛けられたモニターからニュースの続きが聞こえる。

『次は宇宙科学技術学院アカデミーからです。本日付けでロボット工学科学部長の秋葉原白夜博士が惑星鉱石学科の学部長を兼任することになりました。前任者のアンバー・ベルンシュタイン博士が亡くなられて一年が経ちましたが、秋葉原博士は外宇宙調査団に所属した経験が豊富で、アンバー博士にとって恩師にあたります。なおかつ後任が見つからない間も、秋葉原博士は鉱石学科において学生の指導及び調査員の…』

画面に浮かぶ二人の人物。

そのうちの一人は写真の女性と同一。

白衣を纏い、長い金髪を緩く結んだ眼鏡の女性。

レンズ越しに小さく口を結んだ理知的な微笑を浮かべ、両手を膝の前で組んで起立している。

しかし双子の目に浮かぶのは、写真のように二人を抱きしめてくる彼女の快活な笑顔だ。

「今日は博士の好物、葡萄を収穫してくださいね」

「…うん」

二人の視線はモニターからも写真からも離れていた。

それでも表情に憂いはない。

「それと、今日使う野菜の収穫もお願いします。ほら」

桜色の貝殻を乗せたような爪が窓の先を指差す。

眼下には二階に届かんばかりの大きな影が蠢く。

双子は動じることなく、挨拶代わりに手を振った。

「雷のせいでしょうか。早くに目が覚めてしまい、気分が悪いのです」

「そういや、寝起き悪かったんだよなあ。まずはあいつのメンテが先だ。朝飯前にできるとこはやっとくよ」

「よろしくお願いしま…」

ふと、窓のサッシに近い屋根に二人の視線が止まった。

小鳥、というよりむしろ子鳥だ。

「翼が…まだ小さいのに」

片方だけおかしな方向に曲がって見えたのだ。

「羽が乱れているだけかもしれません。巣から落ちたのでしょう」

屋根裏部屋にいつのまにか同居者がいたのだ。

ルネは両手を伸ばして子鳥を掬い上げると、両手でやんわりと包み込む。

一呼吸。

折り畳まれた白い指が広がると、子鳥は天井にぶつからんばかりの勢いで飛び出した。

「相変わらずすごいよなあ」

二、三回ほど双子の頭上を旋回し、子鳥はやんちゃ盛りの幼子のように窓から飛び立った。

「いくら僕でも生き物は直せないからなあ」

ルネは首を振った。

少し困ったように眉尻が下げて。

「やはり羽毛が乱れていたので直しただけですよ」

「え…そう、なんだ」

そんなそぶりには見えなかった。

生前博士が動画で見せてくれた手品のようだった。

あれは撮影の舞台裏で、その場にいない視聴者を騙す仕掛けがしてある。

(姉さんはそんなわざとらしい感じしなかったぞ。奇術っていうか、むしろ…魔術?)

まさか、とリオは自分から思いついた考えを否定した。

(アンドロイドは機械だ。機械は魔術なんて使えない)

そもそも魔術は過去の遺物である。

「それから、卵と山羊のミルクもお願いしますね」

リオが一人で考え事をしているうちに、ルネは洗濯の続きにと階下へ降りて行った。

(…ま、いっか)

あらためてリオは窓の外を見下ろす。

屋敷を囲む生垣。その向こうに広がるのは荒野然とした山野だ。

酸性土壌の影響で低い草木しか生えず、所々に穴が空いたような沼地が点在する。

色彩に欠ける荒ぶれた光景だが、雲の隙間から差し込む光の柱は次第に増えていく。

今日はアンバー博士の命日だ。

それでも、

『どこにいて何をしていても、あなた達は変わらないわ』

(そうだよ、博士。今日もいつもどおりの朝だ)

リオは実感する。

いつもの一日の始まり。

変わらない毎日の証。











はず、だった。










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