2話 龍と雲の惑星
ベッドから離れ、リオは洋服掛けに昨夜用意しておいた服装に着替えた。
シャツと膝が隠れるほどの丈のスラックスにサスペンダー。
靴下はジャケットやネクタイと同じく紺色。
革靴を履くと、ベッドメイキングしてから窓を開けて換気しておく。
真鍮のノブがついた木のドアを開けると、ホテルの廊下のように幾つものドアが等間隔に並ぶ。
全て通り過ぎれば、一階の玄関に続く螺旋階段だ。
そこから先は毎日の日課。
(野菜と果物、卵、ミルクだな)
同じく真鍮製のドアノブを回して扉を開く。
ドアの隙間から差し込む影。
徐々に大きくなっていくそれは、屋敷から石畳の小道に続く門ではなく、
「おはよう、ファフナー」
扉から外界を塞ぐようにして
それは蜥蜴の頭と蛇の胴体を持ち、蝙蝠の翼をはためかせる。
古よりあらゆる文明圏に伝わる神の獣の一種、
「今日は博士の好物を用意するんだ。手伝ってくれよ」
それから、と鱗に覆われたファフナーの頭に触れて掌を優しく前後させながら言い聞かせた。
「今朝は気分悪くて目が覚めたんだよな。帰ったらすぐ見てやるよ」
ファフナーは
双子と同じく、体はケーブルに結ばれた金属片と回路でできている。
その役割は道を遮る
「それと、朝はソーセージエッグだってさ」
たちまち頭は沈むこむように大地に伏せ、アンドロイドの少年を乗せた機械龍は雄叫びを上げて舞い上がった。
「おいおい、張り切りすぎだって…」
人のこと、そして龍のことは言えないが、リオはため息をついた。
「なんだよ、お前ホントに具合悪いのか? 単にお腹空いてただけだったんだろ?」
苦笑しながら、あらためてリオは下界に広がる故郷を見下ろした。
標高のさらに高い場所は湿気が多く、水捌けもいい。
かつて畑の主だったアンバー博士曰く、栽培を始めた年は土に栄養があまり行き渡らず、一人分のハーブしか取れなかったという。
「今じゃ二人分…いや、三人分でも多いよな」
リオが投げたカボチャは、ファフナーの頭に括り付けられた籐の籠に軽々と受け止められる。
「カボチャはスープに使うってさ。あと、ミルクも必要だな」
魚は屋敷に近い湖で釣れ、肉や卵とミルクは家畜から得られる。
いずれも博士が双子に遺したのだ。
「最後に葡萄をもいだら畑は終わり。牧場に寄ったら帰れるぞ」
重くなった籠を抱えると、リオの体はファフナーに跨って再び宙を舞う。
牧場に向かう途中、遥か頭上を駆け抜ける光を目撃した。
(なんだ? 飛行機にしては小さいけど…)
目線より低い位置にある大きな家族をチラ見する。
飛行進路を変える様子はなかった。
(ファフナーが何もしないってことは無害か)
大気圏外から垣間見えたということは、彼らの居住地に近づいても害がない証拠だ。
「気のせいか…ま、こんな辺境の惑星に用のある人なんているわけないよな」
双子のアンドロイドと機械の龍。
他に住民はいないのだ。
惑星スカイ。
一日のうちに四季があるとされるほど天気が変わりやすく、むしろ一日の大半が曇り空と言われるほど雲が多い。
しかも大地の性質から作物や家畜が育ちにくく、これといった天然資源もない荒涼とした湿原惑星だった。
今は亡き所有者、アンバー=ベルンシュタイン博士がこの星を買い取り、専門である科学的知識と惑星探査の経験を活かしたことで土地は改良された。(季節に応じた農作物が栽培され、羊や牛のように寒涼地帯でも生きられる家畜が育ち、人工の湖では淡水と海水に分けて魚介類や海藻などの養殖に成功しました。天然資源のないこの星で
私達アンドロイドが人間と同じ食物からエネルギーを得られるようにするためですよ)
食材の取れるカラクリはより複雑だったので、機械いじりしか興味のないリオにはルネの説明がちんぷんかんぷんだった。
(ホント、博士はすごい人だったよなあ。人間って博士みたいなのばっかりなのか?)
双子は博士が務めていた研究機関で作られ、その日のうちに惑星スカイへ転送された。
以来ずっとこの辺境の星で生活してきた。
他の星に行ったことはない。
博士の研究所から送られてきた日を除いて、一度も宇宙へ飛び出したことがない。
アンバー博士以外の人間など見たことがない。
『どこにいても、あなた達は変わらないわ』
いまだに覚えている言葉だった。
「どこにいても、って言われてもなあ…」
飛行物体はもう見えない。
軌跡すら残さない。
上体を捻って飛んで行ったであろう方向を見つめる。
「どうせどこにも行かないのに」
はず、だった。
厨房に続く屋敷の裏口から入って食材を渡した。
「ご飯ができるまでファフナーを見てくる」
「キリのいいところまでお願いします。戻るまで待ちますから」
食事はあくまで燃料補給の行為。
遅くなっても空腹は感じないのだ。
それでも三食欠かさず、栄養バランスが取れるように多様な食材をふんだんに使って準備するのはアンバー博士と過ごした名残である。
頷くと、リオは待機させていたファフナーを裏庭に連れて行く。
柔らかい草地に滑るように身を伏せ、気持ちよさそうに両目が閉じられた。
リオは自室から持ち出した工具箱を開け、首と胴体の付け根を弄り、関節部分を見つける。
続いて、翼、腕、尻尾の接続箇所。
手足の指、それぞれの関節部分に至る箇所もまた。
裂けた口に沿って生える牙一本一本。
(
胴体の内部点検と電子頭脳の検査は時間を要する。
ゆえに頭部と胴体以外のパーツにドライバーを当てた。
分解していくごとに、部品を横一列に順番に並べる。
そして、交換すべき部品とそうでない方に分ける。
だが、
(どれも異常なし、か)
リオは首を捻って唸る。
(となると、AIを調べた方が…)
「支度できましたよ」
裏庭が見える食堂の窓から呼ばれた。
まだドライバーを握る手を大きな頭がそっと押す。
そこに浮かぶ瞳は食堂とリオを交互に見つめる。
「あ…けど、朝飯ならまた温め直」
しかし、蜥蜴の頭に近づいた手はまた押し戻された。
「…分かったよ。お前の食事も持ってくるから、食べられるだけ食べろよ」
むくりと起き出した頭で両目は生き生き輝いていた。
「ソーセージエッグ以外のも食べるんだぞ。じゃないと、ルネがおやつ抜きだってさ」
今日の主食はセサミ入りの三角トーストだった。
それから海藻サラダと大豆やキノコの入ったトマトスープ。
オイルサーディンとチーズ入りのソーセージエッグ。
デザートはブドウだ。
出窓に飾られたアンバー博士の写真の前にお盆が置かれる。
体質柄肉と卵と乳製品が食べられなかったため、トーストは豆乳を使った物に置き換えられ、ソーセージエッグがない代わりにオイルサーディンの横にレモン汁を絞った牡蠣が添えられる。
『お供えが終わったらあなた達が食べなさい』
双子はずっと約束を守ってきた。
どれくらい前だったかもう忘れた。
「今年のトマトはこれが最後ですね」
「ナスとトウモロコシも収穫が終わったよなあ」
そんなことを話しながら、テレビのチャンネルを朝のニュースに合わせる。
「星間ネットワークの集金っていつだったっけ?」
「月末です」
「ってことは、今月もあと一週間か」
外部との接触がないため、日付を特定する手段は締切日だ。
育てた農作物のネット販売の郵送と代金の振り込み、星間ネットワークの通信費引き落とし、など。
双子やファフナーの部品取り寄せもそうだ。
「ちょうどあなたの衣類を洗い終えたところです。干す時にファフナーの様子も見てきます」
「まだ食欲があったら、これも」
ソーセージだけが載ったお皿を食卓から滑らせた。
「いいのですか?」
「また明日作ってくれる?」
「明日はベーコン巻きです。代わりにブドウジャムでタルトを作って持っていきます」
ルネは人間の少女達がそうであるように甘党だ。
リオとしては肉類の方が好きなのだが、手作り菓子は嫌いではない。
欲を言えば、チョコレート菓子の方がいいのだが。
「んじゃ、お互いがんば」
ふと、ルネの頭が横を向いた。
「どうかした?」
視線の先。
それは窓に映る影だ。
見覚えのありすぎる輪郭にリオは胸を撫で下ろした。
「なんだ、もう食べ終わったのか。んじゃ、お代わりでも食べながらぼちぼち点け」
(え)
窓。
それがすぐ真上にあった。
窓枠。
ガラス。
壁面。
天井。
照明。
全てが双子の頭から包み込み、覆い隠した。
鼓膜。
人工神経。
電子頭脳。
頭蓋。
そのどれもが暗転し、沈黙した。
丘の麓。
瓦解する屋敷を見上げた。
黒いフードを目深に被り、彼は溜め息をつきながら俯く。
それも束の間、石畳の小道を踏み越えて草原を駆け抜けた。
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