BLACKSMITH vol.1 : Code Witchcraft

上山水月

prologue

繁華街の路地裏にそのバーはあった。

ブラックボードに書かれた「Astar」が店の名だ。


ドアが開くとチャリンというベルが客を出迎える。

現れた客の顔はうかがえない。すっぽりとフードで覆い隠されているのだ。それも黒いフードのついたコートだ。


「いらっしゃいませ」


続けてカウンター越しに挨拶。赤い吊り照明が若いバーテンダーの薄い色合いの前髪とメタルフレームの眼鏡を照らした。


「お一人様ですね?」


カウンターまで進み出た黒いフードの人物はざっと店の奥を眺めた。通路の奥はテーブル席が三つ、そしてピアノとダーツの的だ。それぞれテーブルを占領しているのは、若いOL、ビジネスマン風、カップルなど。


「ご注文は…」

メニューを差し出すと、革手袋で覆われた手が受け取った。じっくりと中に目を通すうちに、バーテンダーはフードの下の顔をさりげなく見ることができた。浮き彫りになる鼻筋や顎からして男のように見て取れた。

「何になさいますか?」

「ブレンドコーヒー」

くぐもった低い声から、やはり男だ。

二十代後半か、それ以上だろう。

コーヒーミルで豆を挽いている間、

男は店の奥へと顔を向けている。

「流行っているな」

おかげさまで、とバーテンダーは恭しく頭を下げた。

「今年は芸術祭がありましたからね。その影響で国内外の観光客が増え、口コミでここのご贔屓も増えましたよ」

ただ、と店の主はここだけの話と言わんばかりに声をひそめてすぐ、

「地元の方ですか?」

「いや。仕事で今年からこっちに」

「そうでしたか。ずいぶん場慣れした雰囲気が感じられたもので」

そうでもない、と男は笑みを混じえたように返した。

「観光客は増えましたが、まだ移住者は…そのせいか、空き家が増えているんです。ここも元はリフォームして買い取ったんです。古民家再生バンクの方ですよ、実際儲かってるのは」

「空き家といえば」

客はカップから手を離した。ほとんど口をつけていないようだった。


「最近市街地から離れた空き家で白骨死体が見つかった。歯型が一致したところ、近くのバーで働いていた店員だとわかった」

「ああ、その事件なら…」


バーテンダーも知っている。新聞やニュースで見たからだ。

風光明媚な瀬戸内と島々や定期的に行われるアートイベントにより、観光客は増加した。

しかし少子化や核家族化の勢いは止まらない。家の持ち主が亡くなり、引き取り手が少なくなってきたこともあり、県内では空き家とそれをリフォームする業者が増え続けている。

「だから死体の隠し場所に選ばれたんですね」




ずるっ。




黒いフードの男は肘をついた。その手は片耳に添えられている。聞き耳をたてるそぶりに見えなくもない。


「ついでに言うと、白骨死体の主はつい最近まで生きてたらしい」

「つい最近? そっか、人間って白骨化するまで夏場は死後一週間かかるからなあ」

「おっと、やけに詳しいな」

フードが衣擦れの音を立て、初めて隠れていた顔が浮かび上がる。



およそ日の光とは無縁そうに血の気のない肌。

髪は装束に負けず劣らず黒々としており、前髪越しに覗く双眸も然り。

切れ長で涼しげ。

しかし放たれる視線は猛禽類のそれ。

射すくめられたように、バーテンダーの顔は硬直した。

「ああ、これは知り合いが…そっち方面に詳しい人から聞いたんで」

「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃない」

黒いフードの男は手をひらひら振った。肘をついていない方の手だ。


「俺は死体が見つかった場所が空き家だと言った。だが、




ずるっ。

ずるっ。

足元が揺れた。




「い…いや、だってほら…空き家って人いないわけだし、だから犯人からすれば死体を隠すのに都合がいいよなあって思」

「犯人? 死体が見つかっただけでどうして殺されたと言える?」


それは。

バーテンダーの掠れた声に抑揚のない響きが覆い被さる。

「まあ、無理もない。なにしろ」

黒い革手袋をはめた手がフードの胸元に伸びると、そこから一枚の紙切れが露わになる。




たった一枚の、写真。

そこに写るのは若い青年。

薄い茶髪にメタルフレームの眼鏡。





「…なにしろ、こいつは







ずるっ。

ずるっ。フローリングの上を這うように客達が踏みしめる。

いずれも目の焦点が定まっていない。

全て店主の傀儡…生ける屍だ。

少なくとも人としての生命活動は停止している。

そして、確実にただ一人の人物に迫っていた。

『夏目蘇芳』

呼ばれた男は椅子から腰を上げ、フードを下ろした。

黒い前髪越しに浮かび上がる猛禽の目が対象全てを捉えている。

いずれも彼の獲物だ。

『たった今、Code:00が発令された』

「感謝…いや、了解だ」

薄い唇の両端。それが頰へと持ち上がった。




蘇芳の両足が肩幅まで広がる。

自然体、という名の武道における姿勢の一つだ。

獲物と断定されて驚愕したのか。

小刻みな痙攣、その直後に一人…筋肉を纏った巨漢の姿が迫る。

蘇芳は掴みかかってきた両腕を自らの両腕で掴み返した。

そのまま両足は床を離れ、倒立し、巨漢の背後に着地、

「遅い」

しなかった。そのまま両足を伸ばし、巨漢の後頭部へと解き放ったのだ。

「ーーーっ、」

声は出ない。

頭部への衝撃は活ける屍の活動を静止させるに至った。

仰向けに横たわる大男はそれきり動かなくなった。

「…一匹」

見下ろす殺戮者の目。

それは実験動物モルモットを観察する研究者のそれに変わっていた。



振り向きざまに第二者のブローが飛んできた。

首だけ逸らして躱す。

三人目、四人目…次々と躍り出る客に擬態した傀儡。

繰り出される拳や蹴りを掌で捌いた末、垂直にしゃがみ込み、掌を肋に当てた。それは殴るというより、握り潰すという方が正しい。

たちまち二人目は体液を吐き出しながら膝をついた。

自身より目線が低くなった大男の顎をそのまま蹴り飛ばすと、もう動かなくなった。



両サイドからの挟み撃ちに対しては、軽やかな跳躍、直後に両足を広げた回し蹴りは二人組のカップル風を横殴りに弾き飛ばした。

今度は店の奥から大きな風を纏って叩きつけられたテーブル。

直ちに体を足元に床に沈めた。

避けるためではない。

宙を舞うテーブルと床の間を滑りながらの移動。

投げた張本人の目と鼻の先に接近。

そのまま両手を床につけ、倒立の状態で踵を顎にヒットさせ、上体を戻したのも束の間。

怯んだビジネスマン風めがけてすぐそばのテーブルを蹴飛ばした。

手の数十倍パワーがあるという脚力。

テーブルの重量に拍車をかけ、スーツ姿の壮年男性は下敷きにされた。



休む間もない。

すんでのところでナイフを握った手を掴み、バランスを崩した若い青年の頭と肩を掴み、首を軸に胴体を回した。

たちまち繋ぎ目から硬い物が砕ける音が響き、痩せた体が床に崩れ落ちた。



カウンターから赤い軌跡が走った。

それは遊戯スペースに常備されていたダーツの一本。

テーブルに刺さるどころか、焦げた穴を残して貫通、壁に刺さっていた。




『ひゅう、やるねえ…いい機会だ。お前さんも見せてやれ』

蘇芳は右手を顔の前に翳した。

『星間機構の学院アカデミー。そこに蔓延る化け物のな』



黒い煤が舞い散る。

それは右手に集まり、黒い嵐を生む。

脈打つように赤黒く胎動、熱を帯びた輪郭は金属の質感を伴い、微かな蒸気を上げながら鋭利な切っ先を象った。



手の甲を覆う、両刃の黒い剣。



再度、バーテンダーは赤いダーツを飛ばした。それは手の中から自然と形成され、胸元から取り出すという挙動をいっさい見せない。

対して吊り照明の下、金属に対して金属をぶつける音が赤い凶器を弾いた。


『なるほど。原理はお前さんとどっこいなわけか』


蘇芳は自然体のまま佇んでいる。その体は何事もなかったかのように傷つくことはなかった。

手応えがない。

その事実にバーテンダーの姿をした男の顎が開かれ、白目を向いた顔が宙を仰いだ。

そこから轟く怒声の主は誰のものか。



『寄生体か、宿主か…両方の人格が共てると見た』



今度は両手それぞれの指の間にダーツを挟んでいる。

そのまま投げることなく、彼は滑るように床を突き進んで来た。



違う、と蘇芳は独りごちた。

(むしろ『這い寄る』、か)



蘇芳は甲剣を構えた。

そして弾丸のように床から離れる。

弧を描いた薙ぎ、ときには点を穿ち、無数のダーツが一度に空を切る。一見すると獣の鉤爪めいて荒々しい凶器。しかしそれは正確に蘇芳まとを狙っていた。

一瞬でも気を緩めば、確実に当たっていただろう。


『キリがねえ。だが、それもすぐに終わる』


人間をやめたとはいえ、生物としての活動は維持してある。

ゆえに呼吸は必然である。

武道のような型はなくとも、スポーツと同じく戦いの最中どこかに息継ぎは生じる。

蘇芳はそれを待った。

薙ぐ。

払う。

蹴る。

突き上げ、



「もらった」



しゃがみこんだ先、手甲剣を装備していない左手を床につく。

ついた手を軸に右足を滑らせ、バーテンダーの膝下を蹴飛ばした。

刃に気を取られたバーの主はバランスを崩し、ガラ空きの顔めがけて蘇芳は空の左手を振るう。

穴を穿つに等しい直進の突き。

鼻を陥没させた店主は両膝をついて床に崩れ伏した。

完全に沈黙したかに見えた。



『まだ終わりじゃねえだろ』



変化は次に起きた。

黒いベストに白いシャツというシックな衣装は縦に裂かれる。

硬質化した皮膚が胸の割れ目を作り、破れた上着やシャツから剥き出しになった。

二の腕や足の末端まで膨らんで飛び出し、顔から髭のように触手がだらりと垂れ下がる。

ひとまわり肥大化した手が握り締められると、そこから赤い滴が床を濡らし、血溜まりから手へフォークを抜くようにするりと長柄の得物が解放される。刺又である。




『最終ラウンドだぜ。今度こそ終わりにしろ』

蘇芳は頷くと、右手の甲剣を振り下ろした。

より高密度の黒い煤が黒衣の周囲を包み込む。

それは召喚者の四肢を、胴体を、頭さえ覆い隠した。

やがて光は火花のように散り、黒衣は消えていた。

代わりに佇むのは異様な黒い体躯。

肩から手首、首から胴体、腰から足まで覆う金属、否…機械の装甲。

いずれも血管のように赤い筋が浮かび上がる。

頭を包み隠すヘルメットは目に相当する箇所をゴーグルのように包み隠す。

双眸なき貌。

それは、異形の棲む店の主に紛うことなく向けられていた。

もはや異形の主は刺又を振るおうとしなかった。

代わりに声を上げた。

怒りにも恐れにも聞こえる悲鳴。

人に似つかわしくない声がかろうじて言葉を紡ぐ。



(…機神マキナ

『殺れ、ブラックスミス』



機神マキナを纏った夏目蘇芳…否、ブラックスミスは駆け寄った。

生身の時よりさらに大きく、鋭利な黒い手甲剣を構えて。

天井を突き破くほど次々に繰り出される長柄の突き。

その悉くをブラックスミスは右手の刃で打ち払う。

その軌跡に残るのは赤黒い破片。

たちまち元の地飛沫に戻り、黒い機械仕掛けの甲冑に降り注ぐ。

異形の主人は手が震えた。

もう結果は決まっている。

機械に身を包んだ冷酷なブラック創造者スミスは全てを終わりにする。

最早刺又が持ち手を残しては損壊する頃、ブラックスミスの左手が首を床に打ち据えていた。



「…俺がこの店に来たのは」

騎士甲冑のように無貌な黒い顔。

そこから夏目蘇芳の声が告げた。

「お前を殺すためだ」

左手を通して伝わる熱。

鉱石をゆうに溶かすとされる一千度。

異形の顔から爪先は溶けて炭化、不純物を残して蒸発していった。

形なき残留物といえば、苦悶と恐怖の断末魔のみ。

形ある物を作る、黒き創造者には興味なかった。






『ちょっとしたアートみたいじゃん』

床に染み込んだ死骸。見事に異形の輪郭を象っていた。

それを見下ろしながら、ブラックスミスの機体は消え失せる。

しかし、夏目蘇芳の仕事はまだこれからである。

「後は任せた」

店内に流れ込む戦術チーム。

彼らは集団戦闘に特化しており、万が一蘇芳が仕損じた時に備え、蘇芳が作戦行動中は待機することが多い。

数分後には店内から生暖かい肉片や無機質な金属片は除去されていた。

「ご協力感謝します、夏目博士」

「ああ、君達もご苦労」

敬礼した彼らを軽く労うと、蘇芳は頭をフードで覆い隠し、店を出た。



『もう行くのかよ』

「ああ、夜更かしは頭に悪い」

『週末だろ? 遊んでけよ。せっかく地球に来たってのに…おっ、見てみ』

うなじが見えるほど金髪を切り揃えた女性とすれ違う。

白皙の肌に覆われた細い肢体は純白のイブニングドレスに包んである。

軽い会釈が投げかけられる。

蘇芳は頷くように頭を下げただけで素通りした。

『な? 悪くねえだろ? 近頃世界一周クルーズが外国の大富豪で流行ってるからな。あのもそのクチかね』

この人工知能ウル。声だけの存在のくせして、五感全てを識別できるなど高度な演算処理と解析技術を有している。

加えて、蘇芳より地球での滞在経験が長いことから、現地の情勢と慣習に詳しい。

どうでもいい娯楽風俗までも。

『なあなあ、来年も地球こっちで調査できるといいよなあ。コロニー以外で人間ヒューマノイドって、そうそう見かけないだろ?』

それも美人の、と付け加えられた。

仕事はできるが、無駄口が多いのだ。

しかし、蘇芳にとってはこれから先最も長く付き合うであろう相棒だ。

恐らく、命果てるまで。










地球は最早地球人だけの星ではない。

異星の異形が蔓延る所、全宇宙を管理統括する惑星間連盟組織、星間治安維持機構は地球圏との間に惑星間移動と技術・労働力による互助協力を条約で締結させた。

以来、地球の生態や技術などを調査しする外宇宙調査団の科学者や、地球人に仇為す異星人や異形を討伐する機構の防人をはじめ、あらゆる惑星から地球への居住者や旅行者が訪れる時代が来た。

そして、その調査団の中に異形を狩る科学者がいた。

彼は科学者でありながら軍人の特権を持ち、加えて機構の戦術を発展させたある技術の開発者でもあった。

その技術と叡智の結晶が彼の操る人型機動兵器マキナであり、彼だけが使える技術にして異能であり、彼の異名でもある





「『ブラック創造主スミス』…夏目蘇芳、ね」

黒いフードの男とすれ違った、白いドレスの女は微笑む。

「また会いましょうね」

それも遠くない未来の話だった。

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