23話 模擬戦闘

夏目邸の地下室。

それは惑星スカイとは異なる趣きの空間だった。

剥き出しの電球に傘を被せたような吊り照明。

スチールラックの棚には箱やファイルが敷き詰められている。

さらに奥には人の形をした大きなナニかが直立しているが、細かい輪郭は闇にぼかされては不明瞭だ。

部屋の中央で揺れる吊り照明の真下には、一つの丸いテーブル。

ロートアイアンの脚に支えられた古木の卓上では、四つのデスクトップ端末がブルーライトで薄暗い部屋を照らしていた。

端末の前ではそれぞれ十代半ばの男女と二十代前後の男女が座し、顔の上半分はFMD《フェイス・マウント・ディスプレイ》に覆われて定かではない。

少なくとも、十代の少年少女は屋敷の使用人に相応しいシックな装いであり、若い女性はスレンダーかつグラマラスな体つき、男は引き締まった長身痩躯である。

けっして広いとは言えない室内に四人もいるが、彼らの間に言葉はない。

防音設備が施された地下室だ。

それぞれの端末からは伸びて剥き出しになった配線が天井に意図して空けられた穴を刺し貫き昇っていく。

重力に逆らう滝に等しい。

(今時、配線ケーブルがこんなに…)『始めるぜ』

唯一口火を切ったのは人工知能ウル

防音設備の整った空間に外界の車道からエンジンの唸る音など伝わらない。

だから彼の声はいつも以上に鮮明に一同の耳に響いた。

しかし動じる者などいない。

短いセリフの直後、四人の姿は地下室から忽然と消えたからだ。





数分後。

「す…ごい」

星間ネットワークにより、オンラインゲームを介した生身の転移に成功。

璃緒は機構の第四特別区にある学院アカデミーの天井を見上げていた。

あまりに真っ直ぐ見つめるので、宇宙空間とコロニーを隔てる超薄型のガラス窓にヒビが生じるのでは。

側から見るとそう感じさせるくらいに、真剣な眼差しだった。

「璃緒、ここは蘇芳博士の研究室と同じ敷地内ですよ。あまり珍しくないと思いますが」

その様子があまりにおかしいのか、瑠禰の目元が緩んでいる。

理由はそれだけではないのだろう。

「いやだってさ、あの時は全体をぐるっと見て回らなかったから、その…なんか、初めて来たみたい感じで…ホントに僕らはここで作られたのかな。説明されてもまだ実感湧かないから…」

無理もない。

半世紀だ。

双子が辺境の惑星で生活している間。

星間機構の特別区コロニーはその規模が肥大化させ、住民は最多の2千億に昇る。

ヒューマノイドや亜人種、ドロイドや肉体を持たない知的生命体、人工知能もその中に含まれている。

現在瑠禰と璃緒がいる第四区域特別区、機構における知識情報と技術の揺り籠たる学院アカデミーがある学園都市も、そうした住民にとって生活の拠点なのだ。

そんな市民生活と産業技術の中心にある情報センターの十六階で、二人はテラス席に腰掛けてお茶を飲んでいた。

彼らと主従契約を結んだ人間が戻ってくるのを待ちながら。



なぜなら、

「さっきの話、ホント?」

璃緒の脳裏に地球の夏目邸で繰り広げられた会話が蘇る。

双子を機構に招いたのは他ならぬ彼らの主人マスター、夏目蘇芳だ。

そして、

「同時に私達の師匠マスターにも当たるのです。当分の間、私とあなたに身を守る術を教えてくださるのですから」

ネーベルングの刺客が撤退した今、いつまた瑠禰が襲われるとも限らない。

ゆえに、蘇芳は瑠禰にある程度戦えるよう訓練するという。

アンドロイドは生身の成人男性より身体能力が高く、強固な体を持つ。

ただし、エキスパートシステムが組み込まれているため、あらかじめ特定の技術しか備わっていないという。

ゆえに、対アンドロイドに特化した達人プロの殺し屋相手だと遅れをとるそうだ。

しかし学習能力はいいと機構の科学者は補足してくれた。

短期間で訓練すれば、戦闘用アンドロイドに化ける可能性があるとか。

「俺は魔術に関しては理論程度しか知らない。だが、理論くらいなら教えてやれる。あとは肉体や武器の動かし方を実習形式で叩き込む」

ちなみに、紫苑も修行に協力してくれることになった。

「と言っても、あくまで基礎基本のレベルだけどね。でもポテンシャルはあなた達の方が上だから、きっと私より上達するはずよ」

そう言って、二人にゲームを使って機構に渡るよう勧めてくれた。

主に瑠禰は魔術と長柄の武器を用いて間合いをとる戦術、璃緒は逆に飛び道具と身のこなしやタフネスを生かした中距離から近接格闘だ。

「アンドロイドならそれなりの腕力と耐久力はあるだろう。だが、それぞれ得意不得意がある。得意な方面を伸ばせば短期間で身につく」

『よかったな、ボウズ。万一、瑠禰目当てでお前さんを人質に取られたら厄介だからな。足手まといになる前に一緒に鍛えてくれるとよ』

『足手まとい』という一言にはカチンときたが、璃緒は二人の言わんとしていることが嫌でも理解できる。

瑠禰が強くなれば、『商会カンパニー』は身近な存在に目をつけるだろう。より親しい身内を襲い、命と引き換えに瑠禰を引き入れようとする。

今のところ、瑠禰の次に襲われそうなのは自分自身だ。

ゆえに、璃緒はついて来た。

瑠禰を手中に収めるための人質にされるなどたまったものではない。

それ以前に、蘇芳に馬鹿にされたような気がして癪に触った。

「もちろん僕も修行に付き合います。これでもスカイにいた頃は野鳥や兎を飼ったり、家畜が狐や狼に狙われないように番をしてましたから。険しい谷の登り下りも当たり前だったから体を動かすのも自信があります」

璃緒の言葉は強がりではなかった。

アンバー博士が遺した記録にもそう書かれていたし、実際パラメータを見れば戦闘能力は瑠禰より高い。

『決まりだな、相棒』

ああ、と興味なさそうに蘇芳は端末をセットアップさせていた。




訓練への参加を希望しても、璃緒としてはまだ複雑な気持ちがあった。 

「蘇芳博士は頼りになるけど…いざとなったら学院や軍に守ってもらうとかできないのか」

商会カンパニーは機構と肩を並べるほど大きな組織です。地球の政府機関も太刀打ちできないようですし。なにより…私が魔術を使ったことが広まれば、ネーベルング以外に狙われる可能性があります」

それは地球の犯罪組織や諜報機関だけとは限らない。

宇宙海賊のように機構がマークしている銀河系の犯罪者集団はもちろん、古き異形の祖たる旧支配者と眷属、その復活を目論む信奉者、そして現存する生粋の魔法使い達もいる。

彼らからすれば、瑠禰は格好の餌食だろう。

(だったらなんで)

璃緒はまだ釈然としない。

(アンバー博士は姉さんに魔術を教えたんだろう)

「戻ってきました」

慌てて顔を上げた。

カフェに二人の若い男女が歩み寄る。

軍用コートのような白衣の男性。

女性は制服のようなジャケットにスリットの入ったロングスカートとベレー帽の出で立ちだ。

「二人ともお待たせ。手続き完了よ。今からシミュレーションルームに行きましょう」





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



双子がテラスでお茶している頃。

蘇芳は『商会カンパニー』の件で学院長に報告しようとした。

生憎彼は管理部と来年度の予算に向けた審議会に出席しており、面会は不可能だった。

代わりに現れたのは、言わずと知れた次期院長候補の一人。

機構におけるロボットの権威者だ。

「ネーベルングだと?」

メタルフレームの眼鏡の奥が陰険に細まった。

睡眠不足を誤魔化すためのカフェインが目の下にクマを作り、余計に人相が悪い。

「ふざけるな、途上惑星のオカルティスト共が…」

「しかし、よく無事だったね」

七瀬がそばにいたことが幸いした。

秋葉原白夜とだけでは不毛な会話にしかならないからだ。

「地球の人物データベースで見る限り、ネーベルングは地球人として規格外の存在だよ。噂だと、月から来た吸血鬼の子孫だとか」

「地球の衛星に文明が築かれたという記録はない。あと、吸血鬼は虚構フィクションだ」

そもそも蘇芳はルシア=ネーベルングを制したとは思っていない。

彼女こそ発展途上ではあるが、戦闘や殺人に関しては研究者の自分より数段上をいくと考えている。

だから、彼女の装備は未だ地球にある屋敷に封じてある。

鬼に金棒、というのが地球の格言にあるではないか。

「もっとも、一度下手を売った刺客を再び寄越すとは考えにくい。他の駒を差し向けるだろう」

「もっといい方法がある」

機構に属する全てのロボットの親だと言わんばかりに、学部長プロフェッサーはきっぱり言い捨てた。

「連中が狙うのは、あの小娘の特性だ。つまりあの小娘さえいなければ諦めるだろうに」

上司が言わんとする真意に気付いた七瀬は眉をひそめた。

「瑠禰を壊すってことですか?」

「当然だろう。そもそもなぜアンドロイドが魔術なんぞ使う? 使う必要があるか? 必要なかろう。尻尾やえらと同じだ。要らん存在だ。あのドールが失われたと知れば、連中もさぞかし失望するだろうに。時代錯誤の疑似科学主義者共が宇宙の統治者に牙を剥くなんぞ数十世紀早いわ」

息継ぎなしで最後まで言い切るのを待ってから、蘇芳はその場を離れた。

当の本人はやはり、まくし立てた反動で頬や顎の筋肉と舌が疲れたようだ。

「おい待ゼエ…て…ゼエ…どこ…に」

「院長がお会いにならないなら先に防衛作戦部へ。俺の口から彼らの耳に入るように報告します」

廊下の曲がり角に帰る前に、いったん蘇芳は立ち止まった。

「彼らがあなたと同じ主張をしたとしても、俺の行動方針は変わらない。俺の所有物に口出しするな」

悪態を背に総合本部から研究棟に続く渡り廊下へ足を向けるのだった。

双子は使用人であって、彼が守るべき対象ではない。

自分の身は自分で守らせる。

それまでは面倒を見てやる。




「つくづく可愛げがない若造だ」

自称『ホワイトナイト』は腕を組んで、蘇芳が先程まで立っていた位置にまだ彼がいるかのように睨みつける。

「学部長こそ、いつまで彼を目の敵にするんですか?」

「目の敵だと?」

今度は心を許す数少ない部下に目を向いた。

「あんな若造、ワシの足元にも及ばん。『敵』と呼ぶに値せん存在だ」

「そうでしたね、失言でした」

素直に謝りながら、七瀬は蘇芳と過ごした学生時代を思い出す。

(蘇芳、いい加減謝った方がいいよ)





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

地球の大学のように、市街地の喧騒から離れた郊外に敷地は広がっていた。

芝生の上を白い画材でなぞったような小径に沿って蘇芳達は進む。

そこには独特の造形が距離を置いて軒並みそびえ立つのだ。

直方体に三角柱を埋め込んだ外観や、屋根から翼が展開して見えるような高層ビル。

エントランスが円形ドーム、もしくは三角錐ピラミッド

古代神殿のように柱で囲まれた塔。

日本の武家屋敷のような屋根を被った建物もある。

蘇芳が所属する惑星鉱石学科研究所は白い箱にしか見えず、いたってシンプルな外観だった。

ホテルや病院のエントランスのように広がった玄関を通り過ぎ、中庭の見える渡り廊下を通過。

左右に研究室や実験室のドアが規則正しく等間隔に並ぶ中、立ち止まった先でシャッター音が響く。

惑星探査擬似体験シミュレーションルーム』

十六畳の広さのうち、中央だけ大きくスペースが設けられている。

あとは壁に沿って機材やら瓶やらが間隔を置いて並んでいる。

一番奥の窓際には液晶画面が埋め込まれ、その下には机と椅子が壁や床から生えたように設置されている。

『立ち上げは済んでる。蘇芳、行き先を選んでくれ。あとの三人は部屋の中央に待機だ』

「待機って…まさか、こんな狭い部屋の中で訓練するのか?!」

狭い、といっても他の研究室に比べれば、資料やサンプルを保管しても充分なスペースを作れるほど余裕がある。

だから蘇芳は気にも留めない。

「今から他の惑星に転送させる。そこで基礎的な動きを身につけつつ、最後に土着生物と交戦。学んだことを活かせたら終了だ」

「了解です」

「分かりました…」

もう璃緒は反論する気にもなれない。

「量産型アンドロイドと違って、お前達の動きにクセはある。それを踏まえて、途中から武器を持たせる。ウル、確認は?」

『メンテはバッチリだ。今すぐにでも使えるぜ』

満足そうに頷くと、蘇芳は惑星の座標を設定した。

環境の基準値とコロニーや地球に合わせ、距離も学院アカデミーからそう遠くない位置に限定した。

万一重傷を負ったり、戦闘手段を無くしたりした場合、強制的に研究室に帰還できるのが訓練システムの利点だ。

だが、万一システムが不具合を起こして帰れなくなるケースを考慮したら、近い星の方がまだ安心できる。

『アンドロイドとはいえ戦闘に関しては素人だ。それに紫苑も』

蘇芳にだけ聞こえるように、ウルは捕捉した。

『地球の民間人相手ならともかく、獰猛なモンスターに囲まれたらあいつも太刀打ちできねえ』

「できる限り長時間の活動は避ける」

よって、惑星はすぐ特定できた。

「メギ? ああ、よかった。二人とも安心して。ここは一年中天気も風も穏やかで、景色もいい所よ。海が綺麗で、昔の遺跡も少し残ってて…」

『観光旅行じゃねえぞ。蘇芳、ゲートができたぞ』

ハンガーラックに白衣をかけると、代わりに黒いフードのついたコートが肩から下を包み隠す。

部屋の中央に四人が揃った。

「少なくとも昼休憩までにはいったん帰る」

『で、午後からは晩ご飯までな』

ぼやく声は転送に伴う轟音に掻き消された。

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