49話 龍の翼で

夜の帳が包み込む空。

岩が嵌め込まれたように浮かぶ低い草地に半壊した屋敷が建つ。

かつての主人を亡くした邸宅に、今や住むのは双子の使用人と龍。

いずれも機械仕掛けの生命だ。

だが、今は違う。

「避難場所、ですか」

双子の主人だった女性の娘。

ルシア=ネーベルングは再び惑星スカイに導かれた。

意図せずして。

「夏目先生なりの判断です」

着いて早々、屋敷のメイドだった瑠禰は瓦礫の撤去を始めた。

冬眠状態コールドスリープが解除されてから二、三日経過しています。その間に雨風の浸食を受けているはずでしょう」

「ってことは、まだ壊れてない壁も安心できないよな。今のうちに修繕しとくか」

璃緒も姉に従い、納屋からロープと杭と網を運んできた。

傷んだ木や煉瓦が剥き出しになっている箇所を隠すためだ。

「足りるかなあ」

数ヶ月留守にしていたのだ。

そのうえ、備品の調達をする間も無くコロニーへ連れ出されたという。

「これを使いなさい」

ないよりマシだと思い、ルシアは自身のナイフを杭の代わりに使うよう提供した。

「ありがとうございます」

璃緒は素直に頭を下げた。

はにかむことなく、ルシアは甲冑を外して動きやすい格好になる。

しかし瓦礫に手をかける前に瑠禰に呼び止められた。

「ドレスが汚れます。着替えを取りに行きましょう」

屋根裏の衣装箪笥には双子が着るには丈が長い婦人服が詰まっていた。

いずれも簡素で、生地は地球素材ではない。

だが縫い方は丁寧で肌触りもいい。

オーソドックスなデザインと淡い色合いからしてすぐ分かった。

「捨てずに取っておいてくれたのね」

ええ、と頷く少女の顔は無機質な質感だが、目を細めている。

「捨てる理由がなかっただけです」

「母はもういないのに」

「だとしたら、まだ生きている私と璃緒の存在は不自然ということになりますね」

それは、と言いかけてルシアは気がついた。

(捨てたくなかったのね)

ルシアならどうしたのか。

蘇芳の屋敷で見た夢が反響する。

白樺林の散歩。

(私だってそうだ)

姿見から離れると、ルシアは階下へ降りていった。

「お似合いですよ」

「ありがとう」



外から璃緒の呼ぶ声が聞こえた。

土が湿る中庭出ると、手にしたロープに蹴躓きながら通信が入ったことを知らせに来た。

「蘇芳さんから?」

「いいえ、学院アカデミーからです」

双子が応答すると、宵闇の一部が薄れ、空間パネルが浮かんだ。

『無事に着いてよかったわ』

最初に安否を確認した紫苑が三人を温かく労う。

『調子はどう?』

「生命活動に問題ありません」

「姉さん、紫苑さんはそういうこと聞いてるんじゃないよ」

相変わらずの様子に紫苑は胸を撫で下ろした。

『私の仕事は異星への居住管理よ。移住者が安心して暮らせるようにするのが仕事なの』

夜霧に閉ざされた星。

ルシアからすれば、いまだ足を踏み入れたことがなく、地図で確認できない宇宙の孤島。

血を分けた母もすでに亡く、双子のアンドロイド以外に敵を含む既知の存在もいない。

だが。

(清々しい)

暖かい日差しと澄んだ空気が一度に入って来た感覚に包まれる。

機構で働く人間の強い誇りと使命感がそこにあった。

まだ何も終わっていないにもかかわらず、当たり障りなく招待してくれた双子のおかげだろうか。

『惑星スカイの居心地はどうですか?』

もてなすように笑顔を向ける紫苑。

穏やかながらも、そこには機構に務める者としての誇りと使命感で満ち溢れている。

悪くない、と控えめに言うところだった。

「落ち着く所ですね」

『そうですか? 最近出入りができるようになったばかりだから、まだ屋敷は壊れてるし、ファフナーが目覚めないと星の警備が…あ、待って』

背後から声をかけてきた者と通信が入れ替わった。

蘇芳と旧知だという学院アカデミーの若い研究員だった。

「七瀬さん、ありがとうございました。姉さんも一緒です」

『ああ、無事でなによりだ。たった今艦隊から連絡が入ったんだ。蘇芳達は巨神を確保できたそうだよ』

はあ、と安堵の溜息が璃緒の口から白い靄に変わって流れた。

『これで第二段階に入れますね、秋庭氏博士』

ああ、と一言だけ。

七瀬の背中越しに浮かぶメタルフレームの視線は依然として外宇宙全体を映す天体球から離れない。

そこには星間機構本部を中心とした同盟惑星や星系、組織団体のコロニーが、有象無象の星屑と違い、一際輝くポイントとして記されている。

しかし秋葉原が睨む先はいずれの星にもあらず。

「なにしてるんですか?」

璃緒の質問に答える代わりに、とつとつとロボット工学の権威は語り始めた。

『ネーベルングの開祖、異星の巨神。

封じるには地球から遠ざける必要があるのだ」

だが、と背もたれにもたれる。

威厳という我が子を膝に乗せてあやすかのようだ。

「『商会カンパニー』の転移装置を使うにしても、問題はどこに送るべきか。要は地球から消えればいいのだ。直接戦闘をせずとも、臭い物に蓋をする…ということだ』

『さすがです、プロフェッサー』

いやなに、とカレルの言葉に謙遜を隠そうともせず秋葉原は胸を反らした。

「どこに転移するのですか?」

瑠禰は念のため聞いておこうとパネルに顔を近づける。

防衛作戦部の計画を話すと、璃緒は目を輝かせるように身を乗り出した。

「ブラックホール? ウソだろ?! そんなトコに…」

瑠禰も予想だにしなかった答えに目を丸くする。

『なあに、この天才科学者にして発明家の知恵さえあれば、机上の空論などではない』

実際の提案者は蘇芳だったが、この時まだ三人が知ることはなかった。

「本当にうまくいきますか?」

ルシアの水を差す声は、まさしく静かな水面に波紋を投じた。

たちまち、メタルフレームの奥で眉が剣呑そうに曲がる。

「あれだけ暴れた後ですから。もし転移装置が壊れていたら実現は難しいでしょう」

たちまち秋葉原はデスクを指で忙しなく叩き始めた。

『ほう、地球の貴族で魔術師の家系は、異星人の天才科学者が立てた計画を僻む性癖にあるらしいな』

『そんなつもりはありません』

ハン、と啜るように鼻を鳴らしてロボット工学の権威は椅子から腰を浮かせた。

ちょうどルシアを見下ろす姿勢だ。

『直に作戦部から通達が入る。いずれにせよ、お前さん達は機構の外だ。つまり蚊帳の外というわけだ。余計な心配などせんで…』

『秋葉原博士』

穏やかな物腰から一転、顔が蒼白となった七瀬に秋葉原は椅子から完全に立ち上がった。

『転移装置が破壊されました。代わりに蘇芳が自力でブラックホールに…』

一部始終。

経緯が説明されると、スクリーンの向こう側は騒然と化した。

なんてこった。

最初に秋葉原白夜が呟いた。

「なんてこった!!」

破砕音。

デスクの方か、端末の方か。

確かめることもできないのは、秋葉原が椅子を倒して飛び上がったせいだ。

「あの大馬鹿者!! 傲慢ちきの青二才!! 学院の面汚し!! 私の面汚し!! 恥晒しのパンク…」

その後は意味不明。

言語不明瞭だった。

少なくとも、異星の言葉であることは間違いなかった。

そして少なくとも、三つの事実が皆に伝わった。

計画が失敗したこと。

転移装置が故障したこと。

そして、蘇芳が一人で巨神を消そうとしたこと。



「先生は」

次に口火を切ったのは璃緒だ。

「どうなったんですか? 今も地球に? 研究所には」

『君達がいた地下空洞から脱出したのは機構の兵士達と末端の研究や警備員。レナード=ネーベルングと一部の部下達は脱出したらしい』

記事を読み上げるような七瀬は結果報告を告げた。

かろうじて、抑揚を出さず。

『壁面から災害時に備えた避難経路が続いてたから間違いない。ヘルシンキの空港に搭乗手続きがあった。個人用飛行機でアメリカに渡ったようだね。その避難経路にネーベルングの人間以外が通った痕跡はない』

だから、と璃緒の声は掠れる。

『防衛作戦部の出入りした通路にも彼の姿は防犯カメラに写っていない。転移装置の履歴にも記録は残っていない。だから』

「他にも通路があるかもしれません」

最後を引き継いだのは璃緒だった。

璃緒は屋敷の地下に潜ろうとした。

「どこに行くんです?」

「ファフナーだよ。姉さんと先生は転移装置で『商会カンパニー』の研究所に送られた。ウルがあれからまた回線を繋げたんだろ? だから」

「ファフナーの力で転移するのですね」

今度は瑠禰が最後を引き継いだ。

「ファフナーの枯渇した動力にエレメントを注ぎ込めば動かせます。そうなればまたエネルギー切れを起こすでしょうけど」

『それは』

七瀬の顔がグッと近くなる。

身を乗り出して

「ダメならファフナーの背中に乗る。僕と姉さんはアンドロイドなんだ。宇宙に飛び出すぐらいわけないよ」

『いや待って、それができないとは言って…』

「必要ありません」

ルシアは双子の間に割って入った。

その手に掴む白銀の匣は闇と霧を斬り裂く刃に等しい。

しかし実際は、

『それ、たしかルシアさんの』

「『幻影ファントム歌姫ディーヴァ』の動力源はエレメント。転移装置を作動させてもエネルギーは保ちます。もちろん、供給すれば当分鎧は使い物になりません」

『それでは仕事に困るだろうに』

秋葉原の皮肉にルシアは笑いを噛み殺した。

「それだけの価値はあると思います。他に良い案が浮かばなければ、取り越し苦労でしょうね」

良い案がないと言われたかのように、秋葉原は口を結んでそっぽを向いた。

『本当にいいの、ルシアさん』

確認というよりも、心情を伺うように紫苑は顔を覗き込んだ。

『あなたにはたくさん良くしてもらったの。兄さんと瑠禰を助けてくれるよう軍を説得して、しかも直接助けに行ってもらった。道案内まで…どうしてそこまでしてくれるの?』

璃緒はルシアの方を見上げた。

ここいるのは人外殺しのネーベルングだ。

あれだけ姉を狙っていたのに。

全く動機づけが分からない。

「紫苑さん。あなたはこれまで地球以外の惑星に派遣されたことはありますか?」

『学校を出てから二年は太陽系外に。地球には今年で二年ってところね』

「あなた個人の好き嫌いで?」

『それだけの理由でこの仕事はできないわ』

そうですか、とカーディガン越しに胸を撫で下ろした。

「私にとって、母は亡くなる前故人なんです」

隠そうともせず、北の巨人と魔女の間に生まれた姫は語る。

遠い昔に聴いた御伽話を思い出しながら伝えるように。

「私が彼女とかつて住んでいた家はまありません。あの人が消えた日から、父が売り払いました。この子達と違って、私はいつまでも過去に縛られたくない。過去は過去。本当ならこの星も母と共に葬りたいと思っていた」

愕然と璃緒は主人だった女性の母を見上げた。

瑠禰はじっと目を逸らさない。

二人に構わず、だからとルシアは続けた。

「せめてあれだけは処分したいんです。母さんにはできなかったけど、私は違う。私は魔女でも魔術師でもない。だから、いつまでもあんな怪物を地下に棲まわせておく意思も道理もありません。ただ、私一人の力では無理。夏目蘇芳がアンバー博士の認めた唯一の弟子なら、彼にはなんとしても成功してもらいたいだけ」

それに、とあらためて小さな機械仕掛けの姉弟を交互に見つめた。

「彼がいないとこの子達の世話をしてくれる人がいないでしょう?」

「語弊があります。私達が先生の世話係です」

「お世話をかけるお世話係だけどさ」

ムッと眉をかたむけたが、双子の言い分はそれぞれ違った。

そのセリフにモニターの向こう側と一緒に苦笑した。

一名除いて。

『言いたいことは分かった。だが、お前さんはエレメントの素養がなかろう。供給はそこにいるアンドロイドの小娘に任せろ。魔術に関しては私の専門外だ』

『何を仰るんですか?』

七瀬の顔からはまだ笑いが消えない。

『秋葉原博士だって』

『あんな大時代の遺物、私は好かん』

『博士もこの子達といい勝負でしょ?』

『馬鹿者、まだ七十手前だ』

どうでもいいプロフィールをさらっと公表してから秋葉原は自身のAIに命じた。

『カレル、夏目の不良AIに繋げ』

『お言葉ですが、彼は不良品ではありませんよ。性能の優劣はともかく』

不毛なやり取りのそばで、瑠禰は右手で触れた鎧からエレメントを受け取り、左手でファフナーの鱗に触れた。

(お願いだ)

璃緒は両手を差し出していた。

姉と相棒。

二人とも家族だ。

これからだって。





瑠璃と翡翠。

海水と湖水が溶け合う色合い。

光を浴びて浮かび上がる。

瞳の持ち主は鎌首をもたげた。

上体が起き上がると、足元の草が互いにぶつかり合い、震えて揺れた。

「ファフナー」

璃緒の隣に瑠禰も並び立つ。

今度こそ。

機械仕掛けの龍は頭を垂れた。

間違いない。

「おはよう、ファフナー」

「おはようございます」

キョトン、と眼窩に浮かぶ瞳は丸くなる。

心なしか、首を傾ける様子にルシアも目を細めた。

「今は夜中でしょう。まあ、長い眠りだったから仕方ないけれど」

しかし、龍には外界の記録が全て流れ込んでいたようだ。

ルシアを認識すると、敬意を払うかのように姿勢を低くした。

「私はルシア。アンバー博士は母なの。あなたのことはこの子達から聞いたわ」

夜露に濡れた草地に膝をつき、ルシアは目線を近づけた。

「頼みがあるの」





夜が明けない霧の星。

龍の咆哮が大地に帰った。

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