48話 巨神殺し
たいしたものだ、と黄金の魔術師はため息をつく。
口を吊り上げたまま。
(おかげで、悪戯が過ぎたようだ)
す、と複眼の一つが細く伸びた。
大気が引き裂かれた。
仮面に隠されたブラックスミスの二つしかない目が見開かれた。
飛び出した二本。
間違いなく、アンドヴァラナウトの腕から飛ばされた物だ。
ブラックスミスは二本とも両刃で弾き返そうとした。
したかに見えた、はずだった。
アンドヴァラナウトの苦無は両刃に当たる前に交差した。
通り過ぎた直後、長く伸縮自在な物が胴体に絡みつき、締め付ける。
糸がもつれて動かなくなったブリキの兵隊のように、ブラックスミスの動作は止まった。
何が起きた。
なぜブラックスミスは動かない。
夏目蘇芳はその原因を見た。
かつて投擲用の獲物だった。
歪曲し、伸縮し、形状を変えたのだ。
一気に距離を縮めるアンドヴァラナウト。
ブラックスミスは後方へ飛びのこうとしたが、関節をピンポイントに狙った拘束に身動きが取れない。
それもそのはず、黄金の巨人は腕を伸ばしたのだ。
すでにアンドヴァラナウトは両刃剣の範囲内にいた。
その無防備さを嘲笑い、アンドヴァラナウトは蹴りでブラックスミスの手から両刃剣を落とし、残る得物を逆手にすると胴体を容赦なく穿ち始めた。
逃げられないと悟るブラックスミス。
自らの体を防御することに集中した。
武器を修復したように、すり減っていく装甲とそれを保護する炭素の膜を補強していく。
黒い仮面に閉ざされている蘇芳の顔。
喉の奥からぬらりとした生暖かい物が流れ込んでは溢れた。
(このままでは)
刃の狙いは一箇所に絞られた。
修復が間に合わず、破損が始まった腹部へと。
明らかにそれは、痛む右の脇腹へと容赦なく突きを繰り返した。
いずれ機体は完全に活動停止。
生身の体は直接斬撃を浴びる。
度重なる衝撃により、苦痛は吐き気を引き起こした。
鉄錆の滴を撒き散らしながら、激しく咳き込んだ。
刃の刺突は加速される。
いずれは腹に到達するだろう。
もう、修復は追いつかない。
ブラックスミスの手が緩んだ。
あらためて、損傷が広がっていく右の腹部を見た。
物体の固体化をやめれば、確実に脇腹を持っていかれる。
突如、思考は堰き止められた。
ガガ、と抉られる金属。
それに混じって、肉に鋭い切れ味が通っていく感覚が伝わった。
ブラックスミスの動きは硬直。
夏目蘇芳の視界も鉄錆色に染まっていった。
粉々に飛び散る、濃紺と銀が混じった漆黒の装甲。
その奥に見覚えのある赤黒い塊がぬらりと映った。
ついに仕留めた。
目標の
だが、ネーベルングの巨人は攻撃の手を緩めなかった。
今のはただの致命傷。
まだ即死に至っていない。
確実に葬るべく、刀の柄より下に人差し指を引っ掛けた。
たちまち機巧が作動し、柄から刃に沿って細長い筒が伸びた。
レナードはアンドヴァラナウトの基本装備を地球の東に伝わる小ぶりな刃にしておいた。
投擲と刺突を兼用、彼の体躯と豪腕を生かした体術に利用できるように。
しかしそれはごく表層に過ぎない。
実際、それは接続された。
否、溶接か。
化学物質の違いはあれど、間違いなく『黄金の細工師』は『黒き創造者』から派生した魔術だ。
始まりの魔法。
思念による物質の分解と具現。
その証拠に、溶接されて生まれた長柄から筒が剥き出しになる。
刃を備えた銃口、銃剣の一部である。
あとはこのまま刺した状態で引き金を引き、ブラックスミスの上体を吹き飛ばす。
対人戦闘用の銃弾ですら、人体を胴体から真っ二つにできるのだ。
機械の指から第一関節に力が籠る。
ガハ、と巨神の頭の中が赤黒く、生暖かく濡れた。
何が起きた。
喉から舌や顎へと、生温く粘性のある塊が滑り出てくる。
咳き込みながら、アンドヴァラナウトは床に落ちたソレを確認した。
ソレは確かに腕だった。
三本残った腕のうちの一本のはず。
しかし、様子がおかしい。
見覚えのある黒い刃だった。
それが巨神の切り落とされた腕から棘のように生え、内側からも刺し貫いている。
ゆえに、腕にしては輪郭が妙、奇怪なオブジェと化していた。
「よく見ろ」
声も出ないアンドヴァラナウトに呼びかける者がいた。
掠れた低い声は黒い仮面越しに囁く。
わずかに俯いたままの姿勢。
腹からの出血は止まらない。
だが、それよりも気になる一言。
腕だけ、とは。
「なぜ人の血は赤い?」
腹を貫かれた黒い創造者は呟く。
黄金の細工師はそれを理解した。
貫かれた箇所は、刃を握る腕だけではなかった。
脇腹や腰、肩すらも黒い刃により内側から生えるように貫かれていたのだ。
とめどなく喉から溢れる血はそのせいだった。
ブラックスミスの破損した腹部。
そこから覗く肉の裂け目から黒い粒子状が舞い散る。
レナード=ネーベルングはすでに理解していた。
(ヘモグロビン。鉄か)
酸素を送るヘモグロビンは色素が赤く、鉄でできている。
そして酸素と養分以外に、目に見えない龍で老廃物が混ざっている。
そして、もう一つ。
地球の魔術師は理解してしまった。
異星の魔法使いが言わんしていることを。
その先を。
「当然知っているな。二酸化炭素を分解したらどうなるか。燃焼を促す支燃性の酸素、そして」
黒い煤は燃えあがった。
それは黒炎と化してブラックスミスの腹部に集中し、細長い糸へと結ばれ、繊維を構成し、傷口を縫っていく。
その上からひび割れたはずの機械の装甲が覆いかぶさるように包んでいく。
「肉体を『治す』のは無理だ。だが、機体は『直る』」
緩んだ拘束を掴むと、夏目蘇芳のしなやかな筋肉に合わせて、ブラックスミスの腕が持ち上がった。
「吹き飛べ」
黄金の仮面。
その外が眩しい。
赤い火の粉と黒い煤。
機械仕掛けの死神が放つ花火だ。
間一髪で、アンドヴァラナウトはブラックスミスから苦無を抜いた。
だが、衝撃を防ぎきれない。
宙で体勢が崩れ、叩きつけられた衝撃で逆流する血液を吐き出した。
うつ伏せの上体を起こしつつ、魔術師は朱色の複眼を機械仕掛けの死神へと向けて見据える。
(いかにして)
「どうやって、か」
ブラックスミスは見下ろした。
「自分で自分を刺した。それだけだ」
表情なき黒い仮面は囁く。
まさか、と朱色の複眼が見開く。
だが否定しなかった。
たしかに、ブラックスミスには夏目蘇芳の血がかかっていた。
だからあえて能力を発動させ、自らを黒い刃で貫いたわけだ。
「他人に刺された場合にと、自分で刺した場合。体感する痛みが違うからな」
マゾだねえ、と形なき異星人の
「もう動けまい」
「君とて同じであろう」
レナードの言葉ははったりではない。
途端、ブラックスミスの両腕が垂れ下がる。
かろうじて膝を曲げたまま踏みとどまり、漆黒の機体は顔を俯かせた。
「これ以上続けても無意味だ、レナード=ネーベルング。巨神を渡せ」
「私とやり合ってそのザマか。いかに機構といえど、神を制するなど不可能だ」
もっとも、と北の巨人は乾いた笑い声で付け足した。
「君がすでに『神殺し』なら話は別だがね」
漆黒の仮面。
その向こうで薄らと灯る
肩は装着者に合わせてぎこちなく強張っている。
「なるほど。するとやはり」
破砕。
壁を突き破るそれは、床に亀裂を作りながら着地した。
「おう、蘇芳か! まだ生きてやがったのかよ!」
肩に大きく穴の空いた砲台を担ぎ、細身で機敏な
中で操る男は筋骨隆々の巨漢だが。
『皐月源治か。やったな、蘇芳。味方の登場だぜ』
源治だけではない。
機構の機神装着者は地下空洞に続々と集まりつつあった。
最後に悠然と姿を現したのは極月泰山のビーストマスター。
その肩に乗るのは均整の取れた青年士官だった。
「おひさしぶりですね、ネーベルング会長」
神無月神楽はビーストマスターの肩から降りると、『
「星間治安維持機構防衛作戦部第十四旅団所属、神無月神楽です。レナード=ネーベルング会長。今宵は貴殿が所有する
ビーストマスターの両手が正面に突き出される。
手首の内側にぶら下がる銃口は城塞の主に向けた物。
「協力していただけるなら、あなたが機構の職員に暗殺者を差し向けたことも、拉致監禁したことも全て無罪放免とします」
ふっと溜め息を吐きながら黄金の
「さすがだよ、神無月大佐。一部始終知っていながら、この時のために見て見ぬ振りをしてきたというわけか」
神楽もまた楽しそうに微笑む。
半ば見殺しにされていた蘇芳もまた、呆れたように苦笑した。
「ネーベルング会長、あなただっていつまでもこんな怪物を飼っておきたくはないでしょう。我々に預けてくれればあなたはこれまで以上にクリーンな経歴で事業展開できるでしょう」
「従う意思はない」
岩肌から刃物で切り開いたような亀裂が生じる。
たちまち機械と金属の皮膚で覆われた異星の兵士達は身構える。
そこから溢れ出す巨体はみな、機械と肉が混じった人型だ。
唯一、顔があるべき箇所に表情がないことを除けば。
魔術的な意味合いを示した紋様、ないし鳥獣や空想上の生物を模した容貌。
「孤立無援と思ったか? 高度な科学技術ゆえの盲点だな」
「これはいったい…?」
ビーストマスターのマスクに内蔵されたゴーグルが周囲へ忙しなく視線を投げかける。
だがブラックスミスは溜め息をつくばかり。
そこにはある感情は驚愕ではなく、むしろ好奇だ。
「なるほど。無線なら電波で妨害しない限り光通信とは関係なく使える。旧時代のテクノロジーは実に興味深い」
『おう、よかったな。いいモンが見られて。おかげで計画実行は延期、下手すりゃ、全面戦争だぜ』
「その先は神楽の腕の見せ所だ」
ブラックスミスは新たに両手からアパッチリボルバーを出現させ、刃と銃口を構えていた。
レナードを牽制するためだ。
その間にも、神楽は交渉を続ける。
「魔術と科学に長けた『
「その前に巨神の力が星を落とす」
蘇芳に向けた言葉と変わらない。
あくまで意思決定に変更はないのだ。
神楽は溜め息を漏らして項垂れる。
束の間だけ。
『なにが腕の見せどころだ。こうなると分かってたな。人が
機械の仮面越しに蘇芳は笑いを噛み殺した。
もちろん蘇芳は黙って観察だけするつもりはない。
戦いの最中、隙を見て転移装置を仕掛けるしかなさそうだ。
「そういうことだ。今のうち転移装置を稼働させろ。行き先の座標と繋げるためにな」
『あーはいはい…しかし秋葉原博士も大胆だねえ。アレをあんなおっかねえ場所に送るたあ』
人の力であれば。
ゆえに宇宙に委ねることにした。
『宇宙の墓場、まさしくブラックホールねえ』
「万物を永遠に飲み込み続け、いかなる脱出も許さない。神と呼ばれる存在も所詮は生物だ。問題なかろう」
『んじゃ、準備はしとくから周囲の連中抑えとけよ』
ブラックスミスの赤い瞳と視線が旧友達と交差した。
表情なき漆黒の甲冑が頷く。
頼むと応えた神楽の目が彼の部下達を見回す。
「遊撃部隊から前に。続いて」
『なにいいいっ?!」
ハウリング。
大空洞の岩肌に反響し、その場にいた者は皆耳を抑えた。
「こんな時になんだ?」
さすがの蘇芳も声を上げずにはいられなかった。
だがウルは悪びれるそぶりを見せず、口があれば唾を飛ばしかねない勢いで早口を捲し立てた。
『転移装置だ! 故障してる! 動かねえんだよ! 中の部品が外れてる! いや、外れた部品すら折れてんだよ!!』
おかしい。
蘇芳は眉根に皺を寄せた。
「おい、どういうことだ」
たちまちビーストマスターから低い唸りに近い声が立ち昇る。
「貴様、勢い余って壊したのではあるまいな」
敵対する魔術結社への敵意以上の怒りと殺気。
矛先を向けられた蘇芳は顔を見せずとも露骨に睨みかえした。
レナードの術を喰らった時蘇芳は生身で装置にぶつけられた。
だが、外側に傷はついていなかった。
つまり、
「あー」
マイクのテスト特有の棒読み。
それは源治の操る
「すまん。オレかもしれん」
たちまち重厚な機械の巨体が手を伸ばしかけるが、軍人にしては痩躯な神楽が手を置いて制した。
そ北の巨人は鳩がなどを鳴らすような声と共に肩を揺らした。
鳩というより、猛禽類の表情だ。
「増援など無意味であったな。機構の技術には正直期待していたのだが…やれやれ」
肩をすくめて部下達を整列させた。
生体兵器ではなく、いずれも魔術的な紋様を刺繍したフードで顔を覆っている。
「神無月大佐。並びに星間機構の衛士諸君に告げる。目的が達成できぬなら、ここにいる意義などなかろう。直ちにお引き取りいただけるなら、一切攻撃行為はしない。地球圏から出ていくまではな」
転移装置が作動しない今、トゥールスチャを運び出せない。
今後もネーベルングは一族の娘を代償に巨神の力を抑えつつ、力を搾取し続けて繁栄するだろう。
アンバー博士がそうしたように。
瑠禰がそうされたように。
あるいはルシアが。
「どうでもいい」
漆黒の仮面は呟いた。
黄金の複眼が瞳孔を動かした。
「今何と」
「転移装置など必要ない。要は、こいつをブラックホールに引きずりこめばすむ話だ」
神楽は目をすがめた。
ブラックスミスは真紅の垂れ幕に近づいて行く。
ビーストマスターは牽制しようとするが、歩みを止めない。
「よせ。こいつの姿は見ただけで…」
「俺には関係ない」
関係ないのだ。
常人ならば発狂する恐怖。
無意味だ。
内に渦巻く物に比べれば。
煤と共に吐き出される火の粉に置き換え、蘇芳はブラックスミスの両腕から装備を消し去った。
「邪魔になる」
『お前なあ、今更何をしようって…』
無言。
言いかけた言葉が途切れた時。
いつものモニターに浮かぶドット絵のキャラクターならば空いた口が塞がらない状態だろう。
だが沈黙は長く続かなかった。
ウルの思考から記憶を読み取る演算は程なくして終わった。
『おいおい蘇芳、お前まさか』
「言わせるな」
『お前の口から聞かなくても分かるんだよ! お前、ブラックホールを作る気だな?!』
北の巨人にして黄金の細工師。
その思考に一時の空白が生じた。
だが、周囲に沈黙はなかった。
「ブラック、ホール? しかもここで…待ってくれ、蘇芳!」
神楽に続いて重厚な機械の巨体が、漆黒の
「近寄るな、神楽。むしろ全員避難させろ」
「その前に君を止める必要がある。いいかい蘇芳、ここでそんな物を作るんじゃない。君の魔法が万物を無条件で作れるとはいえ、ブラックホールはリスクが高すぎる」
「そうだぜ、バカなマネすんじゃねえ。下手すりゃ建物ごと飲み込まれるだろうが」
説得しつつ、源治の機体は砲台を蘇芳に向けている。
蘇芳は背を向けた。
威嚇射撃をすれば垂れ幕に当たり、中で眠るモノが刺激されるだろう。
代わりにビーストマスターの拳が真上から叩き込まれそうになるが、紙一重で躱した。
だが泰山は追撃しなかった。
自身の熱気で蒸した内部に汗よりも冷たい物が胃を駆け巡るのだ。
黒い球体。
漆黒の掌から生み出された。
『おい、いい加減にしろ! 最初に巻き添え食うのはお前の方だろうが!』
鼓膜を突き破る声がヘルメットの中をつんざく。
『前は未遂だから助かった! これが大きくなりゃマジで…』
「聞こえなかったか、神楽」
蘇芳が声をかけたのは旧友の方だった。
「全員建物から追い出せ。さもなくば、俺ごとこいつを殺せ」
本当に。
神楽は口をきつく結んだ。
レナードと交渉できないと知っていた見守ったように。
部下達どころか周囲の存在すら見殺しにしないと知ったうえで。
「人が悪いね、君は」
「総員、退避!」
咆哮に近い副官の指令に、兵士達は離脱した。
「転移装置さえありゃ…面倒くせえぜ、地球ってトコは!」
散々に悪態を吐きながら源治は砲台を手に前方を牽制しながら仲間を誘導していく。
部下達が離脱するまで泰山は神楽と残ることにした。
万一、ネーベルングの手が後から尾けてきた時に備えた
岩肌に再度亀裂が浮かび上がる。
その中に埋もれるように、レナード=ネーベルングは配下の者達を前後左右に従えて消えていく。
(研究所を捨てるのか、あるいは)
目をすがめて観察するが、地下空洞の設備に阻まれた。
ケーブルを引きちぎり、全て蘇芳の手の中に飲み込まれていく。
長居は無用。
「神楽、お前も」
「分かってるよ」
しかし背を向ける前に、開かれなかったカーテンコールに佇む友人を見た。
機械仕掛けの死神は突き出した右手を抑えている。
けっして逃げはしない。
「後で会おう」
ブラックスミスは微動だにしない。
「ああ」
だが、夏目蘇芳は応えた。
去って行く足音の後、話しかける者ならまだいた。
『避難ルート、算出してやったからな』
「礼なら言わない」
『終わってから言えよ』
終わってから。
それが計画の成功を意味するのか。
あるいは。
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