9話 太陽系第三惑星

観測可能な宇宙。

それすなわち、人類の力で実際に到達可能な領域を指す。

その中ですでに生命が居住して文明を築いている惑星は、機構のコロニーを含めると数百億に上る。

宇宙艇による光速航行ワープは可能だが、当然の如く燃料エネルギーには限りがある。

結局はどこかの星を経由して燃料を調達しなければならないのだ。

量子コンピュータによる惑星転移はその問題を解消した。

「つまり人や物を分子レベルに分解、情報化して目的地の惑星に送って、現地で再構成することで移動できるの」

研究所から宇宙港へ繋がる水平型エスカレーターに揺られながら、双子は紫苑の説明に耳を傾ける。

とはいえ、相変わらず璃緒は心ここにあらずといった様子。

(アンバー博士…なんで僕らに教えてくれなかったんだろう)

遺言のこと。

ロボット四原則。

そして、夏目蘇芳。

言えば、璃緒達が嫌がると思ったからだろうか。

(違う。前もって言ってくれればよかったんだ。そしたら新しいマスターがどんな人か分かるのに…なのにそれを…よりによってファフナーを)

そっと手が引かれる。

引いた手の主は、自分と変わらない大きさで握っている。

「璃緒。あなたとは考え方が違うかもしれません。ですが」

璃緒の心情を察したのか。

しかし、璃緒を否定する意思は感じられなかった。

優しい笑みを浮かべながら、それでいて毅然として口を開く。

「少なくとも、私は使用人メイド型アンドロイドです。人間に使われることは当然の義務です。主人が変わることは珍しくありません」

「そりゃ、そうプログラムされてるから…けど、だからといってあの」

「夏目博士はアンバー博士とは違うタイプの人間です」

それはもっともだ。

四人の先頭を歩く壁のような背中。

目や鼻が付いているはずもないので、何を考えているか分かるはずもない。

顔が見えたところで同じだ。

夏目蘇芳は必要以上に語らない。

ただ転移装置の準備ができたからと三人を研究室から連れ出したきり、道案内を紫苑に任せて一人でスタスタ先へ行ってしまう。

「璃緒。あなたが寝ている間、私は夏目博士を見てきました。夏目博士は率直に物を言いますが、それは事実や主観をそのまま口にしているだけです。つまり、嘘をついたり誤魔化したりしない人なのです」

「こっちの気持ちも考えないでズバズバ言うよな」

「アンバー博士もそういうところがあったでしょう」

それは、と言いかけたものの、否定しなかった。

ファフナーの調子がおかしかった時、修理や調整がうまくいかなかった時を思い出した。

全ての関節に関わる背骨が悪いと璃緒が推測すると、必ずアンバー博士は半信半疑で自分の意見を追求した。

他のパーツが内部で位置ずれしているせいではないのか。

他の可能性も疑いなさい。

自分の考えだけに偏らないで。

結果はアンバー博士が正しかった。

かつての主人は強引で妥協は許さなかった。

(ファフナー…)

(その結果がこれだ)

ファフナーが倒れ、瑠禰を奪われた日を思い出す。

(お前は大事なモノを守れなかった)

ああ、そうだ。

そっくりそのまま指摘された。

璃緒が置かれた状況も、璃緒自身が思っていたことも。

(僕が強かったら…それに、あの時ファフナーを助けられたら)

せめてファフナーのウィルスさえどうにかできれば。

「お疲れ様です、秋葉原博士」

紫苑の声に顔を上げる。

薄汚い白衣の中年男がせかせかと廊下を突き進む。

左右と背後に従えた部下達のうち、若い男性が手を上げる。

「やあ、紫苑。ここで会うのは久しぶりだね」

「はい、七瀬さん」

蘇芳も声を出さずに片手を軽く上げる。

旧知の中らしい。

「その子達が例のアンドロイドか」

双子を見る目は穏やかで屈託がない。

「秋葉原博士はロボット工学科の学部長で、七瀬さんは助手なの。アンバー博士と同じよ」

紫苑が説明してくれた。

秋葉原と紹介されたのは最も年配の方で、どことなく剣呑な目つきだ。

対して七瀬と呼ばれた若い男性は穏やかな物腰である。

「地球に行くんだろう? 良い所だよ。空気も水もきれいだし、食べ物も美味しい。きっと気にいるよ」

「はい、ありがとうございます」

瑠禰は愛想良く笑みを浮かべてお辞儀をするが、

「は、はあ…」

親しみをもって話しかけられたのに、璃緒は戸惑う。

てっきり、機構の科学者というのは蘇芳のように冷徹で人間らしい感情を持ち合わせていないと思っていたのだ。

七瀬の気さくな態度はむしろアンバー博士を彷彿とさせた。

(いい人もいるんだな)

ふん、と鼻をひくつかせるような息遣いが頭上から降り注ぐ。

薄汚い白衣の方…秋葉原という中年男だ。

「そのはにかんだ態度…人間の猿真似だな」

ぱかっ、と口の中が剥き出しになる。

「所詮、ロボットはロボットだ。わざわざ人間に似せるなど神への冒涜だ。実に嘆かわしい」

張り付いた踵から足の関節まで感覚が失われたように動かない。

ゆえに、秋葉原は邪魔くさそうに璃緒を押し除けて廊下を突き進んで行く。

去り際に、

「これだけは言っとくぞ、夏目の若僧。アンドロイドに肩入れなどせんことだ。元の持ち主が誰だろうと関係ない。ロクな目に遭わんからな」

声を上げそうになった璃緒になど気にも留めず、秋葉原もその取り巻きは通路の曲がり角から向こう側へと消えていく。

ただ、七瀬だけが歩を緩めて振り向きざまに璃緒達を見る。

「すまない」と口が発音の形を作ると、彼もまた曲がり角の向こうへと遅れないようについて行った。

「気を悪くさせてごめんなさいね」

まだショックが抜け切れない璃緒の肩に紫苑の手が置かれた。

瑠禰のように白いが、生物特有の温もりが宿る。

「あの人誰に対してもああなの」

「一理ある。実際アンドロイドに感情移入しすぎて面倒を起こす者は多いからな」

うんざりするくらい聞き飽きた声の主は、いつのまにか通路の終わりまで歩みを進めていた。

「この先が転移装置のホールだ」

璃緒は応えない。

ファフナーが直りさえすれば、瑠禰と共に惑星スカイに帰れる。

そしてまた三人だけで暮らせる。

アンバー博士の代わりは要らない。

璃緒の中ではそんな考えが膨れ上がっていた。

しかし、宇宙港ターミナルビルの内部に入ると璃緒の頭は自身を囲む光景に思考を奪われた。

ガラスの壁と天井。

透明な壁越しに映る世界は、無数の星が集まる星界なのだった。

紺碧の宙を埋め尽くす、金銀の粒。

そして、瑠禰の視線が注がれた先。

時折すれ違う歩行者、ないし壁にもたれかかって話し合うグループ。

いずれも学院アカデミーの関係者だろう。

しかし、その姿は異なる。

首から下は人間だが、頭は惑星スカイにもいた牧羊犬や山羊のような形の異星人。

機械でできた筒のような胴体から、カタツムリを彷彿とさせる粘性の頭と手足が飛び出た知的生命体。

ボールをいくつもつなげたような四肢と肢体のドロイド。

無機物有機物を問わず、あらゆる生命体が闊歩しているではないか。

宇宙港の様子に心奪われる双子。

紫苑は布団から起こすように、声をかけた。

「今から向かう先は地球…太陽系第三惑星よ。兄さんはそこで調査研究のため三年間滞在してるの。あなた達にはそこで兄さんの自宅の管理をしてほしいの」

チキュウ、という発音が辿々しく璃緒の口から溢れる。

初めて聞く、実態の分からない物の名前だからだ。

「見えてきたわ。あれが転移装置よ」

大広間を細長く仕切る衝立。

一人ずつ並ぶ列の向こうに、間隔を空けて構える検査装置。

そのそばには手荷物検査用のベルトコンベアー。

最後から二つ目が身体検査と危険物探知用のゲート。

全ての検閲をクリアしたその先には、楕円形のリングが煌くワームホールが待っているのだ。

「最初は指紋や生体認証よ。そこで経歴のチェックもあるけど、時間はかからないわ」

事実、審査官の出すLANケーブルに直結してから一分も経たないうちに先へ進むよう促された。

実際のところ、特に検閲が厳しい所が身体検査だった。

たとえ武器やそれにとって代わる私物がないとしても、アンドロイドは身一つで銃火器を物ともしない能力を持つからだ。

双子は手足の関節まで念入りに調べられたが、攻撃手段となる技巧がないと分かると審査官は解放してくれた。

続いて、蘇芳と紫苑も検閲を受けた。

手ぶらな双子と違って、それぞれナップサックを引っ提げ、スーツケースを引きずっているからだ。

「先に行って待っている」

そう言い残すと、蘇芳は楕円形の縁に手をかけて頭から突っ込んだ。

水面に細波さざなみが立つようにゲートの向こうは震え、吸い込まれるように広い背中の長身は消えた。

「私は一番最後でいいの。二人ともどうぞ」

「では」

勧められるまま瑠禰は小さな頭を微かに傾け、上半身からゲートの明かりに滑り込む。

姉がさっさと先に行ってしまうと璃緒だけ違うことはできない。

水中へ飛び込む勢いで目を瞑って頭を突き出した。

(なんだ?)

眩しくて目を開けていられない。

幾重もの光輪を頭上から降りてきて、璃緒の体がどんどん潜り抜けていく。

ターミナルの喧騒は最早耳にない。

惑星スカイの屋敷にあった大型荷物専用の昇降機エレベーターを思い出す。

しかし今は自分の足元が上がっていくのか降りていくのか分からない。

(それとも…前に進んでる?)






「おつかれさま。もう目を開けて大丈夫よ」

言われるまま、璃緒はまぶたをゆっくり上へ押し上げた。

(なんだ? さっきとあんまり…)

目の前にはまだゲートが浮かび、水面のようか表面が揺れているだけ。

しかし振り返った先で目と口が同時に大きく広がった。

(違う)

窓の外だ。

やけに明るいのだ。

それも星一つない。

あるのは触れると消えてしまいそうなほど白い雪の塊。

それも山の積雪より遥かに大きく、今にも落ちてきそうなほど厚みがある。

青空に浮かぶそれは、窓から見える高層建築物の合間を漂うのだ。

(あんなに大きな雪がなんで…あ)

璃緒達がいた惑星スカイは薄曇りの日が多い。

雲はほんのり灰色を帯び、雨や嵐に発展する時は暗闇を引き連れてくる。

しかし全ての惑星の雲が同じとは限らない。

(それに建物も…ってことは、ここは本当に)

「ようこそ、惑星スカイからお越しの璃緒君と瑠禰さん」

ゲートをくぐる前から語りかけてきた声に振り返る。

しかし、紫苑の服装はいつのまにか変わっていた。

青に近い系統のジャケットとスリットの入った長いスカート。

ニュースで見たことのある、機構の職員専用の制服だった。

「紫苑さん、その」

「私はここの惑星居住管理課で働いてるの。あなた達のように惑星外から来た異星人やロボットが安心して暮らせるようにするのが役目ね」

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