8話 『琥珀』の遺産
最上階の会議室は学院上層部と防衛作戦部並びに評議員数名によって席が占有されている。
司会進行を務めるのは、学院管理部の執行員だ。
彼は学院の職員だったアンバー博士の遺言を預かっており、彼女の要望が叶ったことを確認、相続人である彼女の元教え子に受理されたことを告げるため招かれたのだ。
先に進行役は分かる範囲内でアンバー博士のプロフィールを公開した。
「皆さんもご存知のとおり、星間機構は宇宙と人類を脅かす
話の中心はもう一人。
黒いスーツに身を包んだ夏目蘇芳は目を閉じている。
何十回聞かされてきたことか。
「出身が不確かでしたが、科学に明るい彼女は秋葉原院長の庇護下に置かれ、
モニターに映るのは、院長をはじめとする
長い金髪を首の後ろで結び、白衣に黒縁眼鏡というありふれた出で立ち。
レンズ越しに映る瞳が朝日を受けた湖水のように活き活きと輝く。
「その後は研究開発よりも後進の育成を重視し、隠遁先の惑星スカイを管理するアンドロイド二体と龍型警備システムを最後にロボットの製作に関わっていませんでした。高等科でこれからお話する夏目蘇芳博士のように若くも優秀な研究員達を数多く生み出すことになりました。一重に、アンバー博士の努力の賜物です」
努力、と聞いて蘇芳は溜め息をつく。
(そんな言葉が似合うタチではなかったんだがな)
プロフィールが公開された後、蘇芳は惑星スカイの調査結果を発表した。
「警備システムType-Dの本体は修復したものの、
家屋は完全には破壊されていないこと、人工龍さえ回復すれば再度調査できることも伝えた。
次に、総務部の遺言執行役員によって決定が下される。
「よって、アンバー=ベルンシュタイン博士の遺言通り、惑星スカイとその地上に存在する事物全ては夏目蘇芳博士に相続されます。並びに、警備システムType-Dとアンドロイド二体の所有権も譲渡…ということで宜しいでしょうか? 夏目博士」
執行員に促され、かつての教え子…夏目蘇芳は頷いた。
「異存はありません」
「馬鹿者、こういう時は『はい、どうぞ宜しくお願い致します』だろうがバカタレ」
即座に罵倒する薄汚い白衣の男に、蘇芳は顔を向けずに視線を合わせ、すぐに視界から外した。
「秋葉原学部長。夏目君はようやく遺言に従う気になったのだ。むしろ祝福すべきだろう」
落ち着いた声は、天井から奥の壁へと途切れることなくはっきり伝わった。静かで、それでいてその場に居合わせた者全ての耳に沁み渡る声の主こそ、現時点で
「ぬ…分かっております、院長殿」
血を分けた息子を部下の一人として扱うこの老人。
魔法使いのローブと科学者特有の白衣を折衷させたような装束。
艶のある托鉢の下、日向で寝そべる猫のように気持ち良さそうに目を瞑って見えている。
それでいて、全てが見えている。
言わずと知れた、宇宙科学技術学院院長の秋葉原白鷗である。
「皆も異存はありますまいな?」
皆、と着席する立会人達に閉じた目が向けられる。
彼らは遺言執行の承認のため、そして証人として招かれたのだ。
若かりし日のアンバー博士と学んだかつての学院卒業者、同じ研究に携わった部下や後輩、度々助力を求めていた防衛作戦部統合軍所属の兵士達や彼女の技術を普及させた法人関係者。
そして、相続人である夏目蘇芳をよく知る学院関係者、家族ぐるみの付き合いが多かった四大貴族や十二宗家。
良くも悪くも、遺言が執行されることに安堵していた。
なにしろ、相続人がなかなか遺産を受け取ろうとしなかったからだ。
これで誰がアンバー博士の惑星やロボット達の面倒を見るのか、探す必要がなくなった。
各自目の前に浮かぶ空間モニターと手元の書面に
「宇宙西暦二〇二X年十月二十八日午後五時二十四分…はい、成立です。本日はご多忙な中お時間を割いていただきありがとうございました」
「最後に夏目博士から」
まぶたの降りた目の奥から視線を感じ、蘇芳はその場で起立した。
「お集まりいただいた皆さんに感謝の意を述べたい。亡き恩師にとってかけがえのない財産を譲り受けることができたのは、皆さんの心強い応援のおかげです」
一礼の後に覆い被さる拍手。
その様子に院長は満足し、閉会の辞で幕は閉められた。
「アンバー博士は我々にもかけがえのない財産を遺しました。今も学院の前途を担い、機構に尽くし、先人を敬い、後進を育む者達だ。彼女の目指した先を、そしてさらにその先をこれからも目指そうではありませんか。どうかアンバー博士の魂が宇宙と一つにならんことを」
『やれやれ、とんだ厄介事押し付けられたもんだぜ』
耳元で囁くウルからは溜め息が漏れている。
『いいのかよ、双子の承認なしで』
「あれはいずれもロボットだ。所有者を選ぶ権利はあれど、決める権限は持ち合わせていない」
だが所有者には知らせる義務がある。
少なくとも、双子が目覚めた時。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
夏目蘇芳が
白塗りで統一された壁から浮かび上がるテーブルと椅子。
そこで湯気を立てるティーカップ三つとコーヒーカップ一つ。
しかし腰掛ける四人はいずれもカップに口を付けようとしない。
それどころか、招かれた少年と少女の視界に紅茶はなかった。
「遺産」
ぽつり、と一言だけ璃緒の口から零れ落ちた。
あまりにも突然に知らされた事実に、頭が追いつかないのだ。
ただ、目の前にいる若い男女の台詞を繰り返すことしかできない。
ちなみに、マスター契約が更新されたため、リオという響きはそのままに名前が変更された。
リオは璃緒に。
ルネは瑠禰だ。
「つまり、アンバー博士は惑星スカイと共に私達姉弟とファフナーの相続人にあなたを…夏目蘇芳博士を指名した。そういうことですね」
ルネ…ではなく、瑠禰という名の姉は確認した。
長身の若い科学者は頷いた。
涼しげな切長な目と薄墨色の髪。
アンバー博士とは異なる文化圏を彷彿とさせた。
「驚いたでしょう。いきなりこんな話をされたら」
隣に座る紫苑が補足する。
「アンバー博士は身寄りがなかったの。だから自分が亡くなった後にあなた達の面倒を見てくれる人を求めていたの。あと、屋敷と星を管理してくれる人もね。だから、ご自分の教え子達の中から兄さんを選んだの」
最も優秀で若い科学者にして技術者。
あらゆる惑星を旅した経験を持ち、生存への適応力がある。
加えて、ロボットと渡り合える強靭な肉体の身体能力。
「本当ならあなた達ときちんと話してから決めるべきだったんだけど…」
「当たり前だよ」
璃緒は椅子に腰掛けたままだ。
だが、今にもテーブルに身を乗り出しかねない勢いだ。
「だって、アンバー博士は一言も…」
『ああ、その件に関しちゃ悪いと思ってる。なんせ、肝心の相続人が最後の最後まで突っぱねたからよお…』
わざとらしく語尾を伸ばした声の主は浮遊するモニターに浮かんだドット絵のキャラクターだ。
「それって…僕らや惑星スカイのことは要らないってこと?」
「兄さんはアンバー博士の惑星鉱石学科にいたんだけど、今は外宇宙調査団に所属してるの。聞いたことない?」
「私は聞いたことがあります。
説明の間璃緒の口は開いたままだ。
「詳しいんだね」
「アンバー博士から聞いたことがあるだけです。夏目博士が惑星スカイを必要としない理由は分かりました。他の惑星に滞在しているなら、他の星を管理することは無理でしょう」
璃緒も頷いた。
一度に二箇所の星に住むことなどできないからだ。
『他にも理由はあるぜ。あの星を相続するっつうことは、お前ら使用人を引き取るってことだからな』
「嫌なんですか? 僕と姉さんが」
「アンドロイドが苦手なだけだ」
他人が成り行きを見守るように口出ししなかった蘇芳。
腕を組んで背もたれに体を預けたまま、璃緒と視線がかち合う。
璃緒は目を逸らさない。
「苦手? 理由は?」
「ロボットは優秀だ。だが、完璧ではない。それはお前達の龍が実証しただろう」
璃緒の指がきつく折り曲げられる。
この男の口からまたファフナーのことが語られる。
その度にこれだ。
「ウィルスにやられてどうなった? 俺が様子を見に行かなければ、お前達姉弟はスクラップで処理場行きだ」
『運が良けりゃジャンク屋だな。好事家がいれば修理して買い取ってくれるだろうぜ』
「余計なお世話だ」
璃緒は腰を浮かせた。
椅子から飛び降りなかったのは、隣に座る姉の手が伸びたからだ。
「ですが、夏目博士は私達を引き取ることにしました。それには何か理由があるのですか?」
背もたれに寄りかかっていた広い背中が真っ直ぐに伸びる。
どこか天井が低くなったような錯覚さて覚えた。
あらためて、目の前の博士が双子の生みと育ての主人と違って若い男だという事実が浮き彫りになる。
「理由…というより義務だ。ロボット工学三原則は知っているな?」
双子は頷く。
ロボットとして与えられた知識のうち、最も古い記憶の中にある。
『一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。看過も禁じられる』
『二、ロボットは一に反しない限り
人間に服従する』
『三、ロボットは一、二に反しない限り自衛しなければならない』
そして、とハスキーな声が告げた。
「
瑠禰はじっと蘇芳を見つめた。
璃緒は姉の手を振り解いたものの、腰は浮かせたままだ。
『四、ロボットは人間の所有物であり、その所在は特定の個人に位置付けられるものとする…あと、この原則は機構の定めた星間ロボット工業法にも起用されてるぜ。知ってたか?』
卓上で肘をつき、両手を組んで若い男の科学者は後の言葉を引き取った。
「アンバー博士の遺言は
義務。
双子の、ましてやアンバー博士のためではない。
蘇芳が双子を相続する理由は自身の意思によるものではないのだ。
「俺個人としてはお前達を必要としていない。使用人などいなくても自分の面倒は見られる。ウィルスやバグに侵され、パフォーマンスが落ちるというリスクを冒しやすいアンドロイドは、そばに置けば寧ろ危険だ」
もう言葉はない。
この男がどういう人間なのか。
惑星スカイで対峙した時、双子は嫌というほど身に染みている。
(だけど…会ってあまり時間が経ってないのに…ここまで言うのか?)
これがアンバー博士の教え子だったという。
(いくら優秀だったからって…こんな嫌な奴選ぶこと…!)
あまりにも直球すぎる発言。
怒りも涙も出ない双子の様子にたまりかねたせいなのか、紫苑がついに口を挟んだ。
「兄さん、この子達はアンバー博士の遺言に驚いてるの。それにファフナーのことも…もっと違う言い方があるでしょう?」
「事実を言ったまでだ。気に入らないのは相手も同じだからな。それに、今はのんびり仲良くしている暇はない」
立ち上がると、蘇芳はモニターのAIに呼びかけた。
「ウル、チャージは完了したか?」
『おうよ。あっちの準備も万端だぜ』
「準備、ですか?」
不思議そうに見上げる瑠禰に頷いた蘇芳に合わせ、モニターの中でウルが親指を立てる。
『決まってるじゃねえか。引越しの準備さ。もうじきお前らは
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