29話 晩酌を待ちながら

『Paper Moon』。

様式は一九二〇年代の地球でも普及した、レトロなアメリカンクラシック調のジャズバーだ。

真鍮のドアノブを回すとチャイムが短く鳴る。

小ぶりなベルは奥で奏でるバンド演奏を遮らないようにするため。

金属質の楽器が管を通して戦いを鼓舞するような音を鳴らしつつ、鍵盤音楽が穏やかに和らげる。

「予約していた夏目だ」

バーテンダーに勧められ、五人は奥に案内された。

吊り照明の下、ロートアイアンの丸いテーブルと椅子がぼんやり浮かぶ。

各テーブルにはメニューに一輪挿しの花が添えられ、壁には今となっては遺物である文庫本や雑誌、ボードゲームが埋め込まれている。

さらに奥にはダーツとビリヤードの台が占有しており、今まさにゲームが行われている。

どのテーブルも客が席を埋めており、蘇芳達のようなヒューマノイドもいれば、犬科のような獣人タイプや頭が爬虫類の亜人型の異星人もいる。

メタルカラーのボディを剥き出しにしたアンドロイドが、燃料と称して氷の浮かんだアルコールに舌鼓を打つ。

雲を模したような浮遊型の知性生物は、同族同士でカードゲームにのめり込み、ときおり興奮して天井に頭をぶつけそうになる。

コロニーの週末はいつもどおりだ。

「注文は決まったか?」

蘇芳はメニューの中身を把握しているので見なかった。

で酒場に入る際はジンジャーエールのようなノンアルコールかホットコーヒーのブラックを頼む。

プライベートなら初めは甘くなくクセもないウォッカベースのカクテルを、後半からワインか日本酒を頼むことにしている。

「おいおい、持ってきた酒があるだろうが」

「正樹、気持ちは分かるけど先に出されたメニューから選ぼう。でなきゃ、店に対して失礼だよ」

七瀬の言葉に蘇芳も頷いた。

持ち込みが認められているとはいえ、せっかくだからバーテンダーの振舞う味を堪能してからにしてほしい。

「へいへい、分かったよ。んじゃ、ハイボールで…ツマミも選ぶぜ」

「ボクはこれにするか」

浦部は数あるクラフトビールのうち、エールを指さした。

「これ」

赤坂はFMDをつけたまま、柑橘系の酎ハイを選んだ。

動画配信が副業なので、店の紹介を流すつもりだろう。

宣伝になるなら予約した甲斐がある。

「無理して好きでもないノンアルコールを頼まなくてもいいぜ。ここは甘党の客向けも用意してある」

ジロリとメニュー越しに泰山の視線が飛び、茶化した浦部が目を逸らす。

「この店チーズケーキもあるのか」

七瀬は甘い物もイケるクチだ。

「ああ、ツマミ用を焼き菓子に取り入れたそうでな。ついでにここの店長は酒の次にコーヒー好きだ。一緒に頼むといい」

だそうだよ、と神楽は優しくメニューの写真を見せた。

「…セットで頼めるか?」

「決まりだな。では、私はモヒートにしよう。二人はもう決めたかい?」

「僕は白ワインに。後でロゼを頼むとしよう」

全員の希望を聞いてから蘇芳もウェイターを呼び、ドリンクとツマミの盛り合わせを頼んだ。



「しっかし、客多いよなあ」

場の雰囲気を重じて皆声のトーンを落としているが、それでも賑やかであることは隠せない。

容姿は違えど、それぞれが週末の夜を生き生きと過ごしている。

明日もう一日休みがあるという事実があるからだろうか。

「よくラナイから帰って来れたな」

注文が届くまで、蘇芳は遠征の方に話題を振った。

「まあな。運良く現地住民と接触できたおかげでよ」

「たしか赤坂も一緒に付いて行ったんだよな」

浦部によると、旧知の関係ということで神楽の旅団に同伴し、会社にラナイの生態環境と軍の状況を報告、星間ネットワークを介して機構住民に戦況を発信するのが役目だったという。

赤坂自身の方からも現地の詳細を聞くことができた。

「ゲリラの連中、違法薬物の原料栽培に手を出してた。働かされていたのは村人だったよ。特に主要な労働力は若い女性や子供ばっかで。若い男は抵抗する危険があるからって、ほとんどが先に虐殺されてた」

女子供は手が小さく指が細長いため、精製に使われる種の採取に向いていたという。

児童労働の実態。

瑠禰から聞いた双子の昔話を思い出させた。

「たまたま逃げ出した住民を連中の一人が追い回してさ…偵察してた泰山の部下が正義感から身を挺して庇ったわけだ」

「おかげで敵に居場所が割れたがな」

苦い物を噛まされたように、屈強な顔は引きつっている。

作戦が成功していなければ、今頃その部下は手打ちに遭っていただろう。

「いいじゃないか。勇敢な行動から導かれた勝利だ。あの時はもっと労ってやるべきだったんじゃないのか?」

七瀬に肩をそっと叩かれても、泰山は釈然としない表情だ。

「助けたところであの少女の味わった苦痛はなかったことにできん。それに、麻薬密売組織から逃れても機構の介入は避けられない。結局、彼らの支配者が変わっただけだ」

「より高度な文明圏が発展途上の地域を支配下に置く。今になって始まったことではないだろう」

退屈そうに蘇芳は膝をついて店内を見回す。

注文を受けたウェイターは別の席を伺っている。

後ろ姿しか見えないが、薄い色合いの髪と服のヒューマノイドから何か聞いているようだ。

「お前らしい意見だな。だてにあらゆる惑星から技術なり資源なり根こそぎ奪ってきただけはある」

泰山の声はより低く声のトーンを落としていた。

茂みから様子を伺うかのように、心なしか顔の位置も低い。

「俺に限った話ではなかろう。お前やこのテーブルに座っている全員、ひいては曽祖父以前の代から続けてきた家業だ。ああ、それを言うなら機構そのものが二千年以上続けてきた所業ということになるか」

「大義名分と言いたいのか。そんな見方であちこちの星を渡り歩いていたわけだ。『異形殺し』という便利な二つ名を利用して…」

ほぼ同時。

うわあ、と久利生がテーブルに突っ伏し、七瀬は痛みを堪えるかのようにこめかみに手を当て、浦部は目を輝かせて両者を交互に目移りし、赤坂は再びFMDを装着して店内を撮影する。

『お前らよく飽きねえな、このシチュエーション』

蘇芳の耳元でウルがため息をつく。

『雲行きが怪しくなってきやがった』

「二人ともやめるんだ」

双方の間に流れる暗雲は両断された。

「客は我々だけじゃない。喧嘩したいなら店の外でやってくれ。しかし誘ったのは私だ。そんな真似はさせないでほしい」

ふう、とわざとらしく溜め息をついて肩をすくめて見せる様に泰山のこめかみに亀裂が入る。

「君もだ。せっかく頼んだチーズケーキを食べ損なうぞ」

「砂糖たっぷりのカフェオレもな」

「蘇芳…!」

お待たせしました、とウェイターの厳かな声に七人の注意が集まった。

ホッと久利生が安堵の息を溢したが、誰も気にしなかった。

各自に飲み物が行き渡ったところで、オードブルの皿がテーブルの中央に備え付けられる。

オリーブや季節の野菜のピクルスにスティックサラダ、ナッツ、チーズ、サラミや生ハム、魚介類のアヒージョ。

「これは素晴らしい」

「来た甲斐あったぜ」

「ああ、便乗してよかった」

「はい、今映しているのが今宵の晩餐です。美味しそうでしょう。これは期待値高い」

「悪くない。あくまで店の感想だ」

「さあみんな、グラスを持とう。今夜は急な誘いにもかかわら…」

全員の視線の先。

蘇芳はグラスを持ったまま微動だにしない。

「どうかしたのか?」

ただ一言、

「違う」

「え? 違うって」

「おい」

蘇芳は料理を運んできたウェイターを捕まえた。

「注文した覚えはないぞ」

蘇芳が頼んだのはウォッカバック。

炭酸の泡が水面に浮かび上がっていく透明なカクテルのはずだった。

しかし、

「…スゴイ色だな」

赤坂はじいっとFMDの頭を蘇芳のグラスに近づけた。

「スゲエっつうか、なんというか…」

「黒いな」

蘇芳が握りしめたグラスには黒い液体が注がれていた。

そして、薬草系のリキュールらしきツンとくる刺激臭が漂う。

「ですが、注文に変更があったとあちらのお客様から…」

胸倉を掴まれたかのように苦しそうな顔が目線と手で奥のテーブルを示す。

ダーツの的に一番近いテーブル。

たしか蘇芳達が注文した後、ウェイターが立ち寄った席だ。

ちょうど蘇芳から見て背を向けた姿勢で座る薄い色合いの髪と服の客。

ウェイターと蘇芳の声に気付いたのか、音もなく背中越しに振り返った。





黒い瞳に赤みが刺した。

目に映るのは、薄暗い店内を切り取った人影。

巌を組んだような堂々たる体躯。

白いスーツは大理石の壁さながら。

金の前髪越しに見つめ返す瞳は血と炎を閉じ込めた結晶のように赤く煌く。

しかしそこから注がれる視線は、凍てつく北の雪国。

その下には熱く焦がす火山が潜んでいることだろう。

椅子から立ち上がると、それは氷山に等しいほど重厚かつ威圧的。

歩み寄るたび床から亀裂が生じて崩れてしまいそう。

足が止まると、白いスーツが倒れ落ちそうなほど上体が曲げられる。

どこかお辞儀をする操り人形に近い。

「こんばんは」

艶のある低い声が地の底から響く。

「『ブラックレイン』…気に入っていただけましたか、夏目蘇芳博士。いえ、『ブラック創造主スミス』」

地球の魔術結社を統べる北の巨人。

レナード=ネーベルングは手を差し伸べた。






打楽器を皮切りに、金管楽器と鍵盤が奏でるアップテンポの曲は終わりを告げた。

代わりに店内を流れるのは、オブラートに包まれた甘い歌声。

金の髪が肩越しに揺れ、薄ら氷を張ったような湖水色の瞳が見開く。

白いイブニングドレスを翻し、歌姫の新たな演目が始まった。

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