第38話 俺は彼女と二人になりたい
浅木……まさか、あの女の……。
そんな俺を見抜いたのか、義明は不敵に笑い俺を見下すようにのぞき込む。顔立ちが、どこかあいつに似ている……。
「ほう、その顔はお前誰だって感じだな。お前の同級生の兄だよ」
「……!」
やっぱり。
拍動が速くなる心臓を押さえつけながらも、俺は確信した。
俺の中学高校での同級生で浅木姓といえばあいつしかいない。
「なんで……こんなところに。てか、どうして俺の名前を知ってるんだよ」
「ん? まあ、風の噂だよ。妹からお前のことは聞かされてたからな。学年一のネクラのくずだってさ」
小馬鹿にするように見下ろす義明。
俺は衝動的にカッとなり、立ち上がった。
「お前なあ、舐めてんじゃねえよ。どこの誰だか知らねえけど、よく会ったこともない人間軽々しく馬鹿にできるよなあ」
しかし、義明は顔色一つ変えず口角を上げて不気味に笑う。
「あー怖い怖い。だからネクラはすぐにカッとなるんだよなー。そんな男より、俺みたいな『一般人』のほうが頼りになるんだよなー」
思わず
だが、そんな姿を見て冷や水をぶっかけるように奴は嘲笑した。
「まあ、お前はそこで歯を食いしばって見てるがいいさ。俺にかかればハナちゃんもイチコロだぜ?」
奴は腕時計を見ると、
「お、時間だな。じゃあ、俺は練習に行ってくるから精々お前はハナちゃんが俺の手に落ちる様子を指くわえて見てるんだな」
高笑いしながら奴はロケ現場に向かっていく。
俺の心はまさに地獄の業火で焼かれようとしていた。なんとしてでも……奴の手を出させはしねえっ……!
しかしながら、演技中に潜入して妨害するわけにはいかない……。
とりあえず、今すべきことは一つである。
俺も現場に乗り込んで、彼女を見守るのだ。
***
ロケはいわゆる「清水の舞台」で行われていた。俺は藤安さんを魔の手から守るため、偵察していた。
あの浅木の兄がヒロインの相方を演じるとか、警戒に警戒を強めなければならない状況であった。
彼女を取られたくない、というより彼女の命を守りたいという気持ちが先行していた。
物陰に隠れて舞台に目をやる。周りは和風のBGMが流れている。
紅葉が舞い散る中、俺の目は鮮やかな光景に釘付けになった。
花柄の赤い着物と、赤や緑を基調とした鮮やかなストライプ柄の袴を着た
彼女は、名家の令嬢を演じている。二十歳くらいの、大学の女学生という設定だ。
思わず見とれてしまった。彼女の鮮やかな茶髪と着物、そして背景の紅葉が見事にマッチしていたのだ。
だが、見惚れている場合じゃなかった。
――お久しぶりです……
彼女の台詞のあとに舞台の陰から現れた学ランとマントを羽織った男――やつはこの演劇でヒロインの相方であり……俺たちの敵。
俺は目をこすった。
おい……あいつ……!
――帰ってきましたよ……
義明の姿はさっきとまるで違っていた。
髪を黒く染め、好青年のように藤安さんの前に立つ浅木義明。目は優しそうに彼女を見つめていた。藤安さんもうっとりしているのか、彼に目を合わせる。
そして、二人は見つめ合い……
……演技だ! これは演技だ!!
俺は自分の顔を両手でパンパンと叩いた。目の前で起こっている光景は劇でしかない。あくまで劇でしかない。二人の関係は演劇の中のことでしかないっ!!!
俺は必死で二人の様子をかき消そうとした。
やがて、
「カット! いったん休憩なー」
藤安さんのもとに
「ハナ、お疲れっ! 差し入れよ」
彼女は缶入りスポーツドリンクを藤安さんにアンダースローで投げた。
「ありがと、ナエ」
うまいことキャッチすると藤安さんはにっこりと微笑んだ。
守りたい……この笑顔。まるで天使のようだ。こんな人のカレシなんだから俺は幸せ者である。
俺も一言お疲れさまって言いに行こう。
「藤安さん、お疲れっ!」
俺の声は以前より自然と滑らかに出ていた。
気恥ずかしさも、緊張もなくなっていた。
「
「うん、すっごくよかった。なんて言ったらいいかわからないけど、よかった」
「ありがとね」
相変わらずの語彙力皆無の感想。藤安さんは顔を赤らめているが、微笑んでいた。俺の気持ちは伝わっているはずだ。
その様子を見ていた宮部さんは俺たちに目を向けると、
「いいねいいね、青春! でも、気を緩めるんじゃないわよ。まだロケ終わってないからね」
「うん」
俺は気を引き締めた。奴が、いや奴らがこの近くにいるのだ。
義明は別の場所で休憩しているらしく、ここにはいない。だが、あいつはあの浅木陽子の兄。裏で何をしているかわからない。
やがて、ロケは再開されたが義明が出てこなかった。月島部長によれば急用ができたそうで清水寺をあとにしたという。
***
ロケが終わった後、俺は清水の舞台に向かった。藤安さんに呼び出されたのだ。
何だろうと思い彼女のもとに行くと、藤安さんはロケ時に使っていた衣装のままで舞台に立っていた。
夕焼け空の下、彼女の着物と周囲の風景が調和していた。
俺はなんて声をかければいいか迷ったが、とりあえず、
「藤安さん……どうしたの?」
「え? その……」
彼女は顔を赤らめて顔を俯ける。
しかし、すぐに彼女は顔を上げた。
「私のために、ありがとうね」
「え……」
「演じてるとき怖かったのよ。あの人、目がどことなく浅木さんに似てて……」
「……」
藤安さんは僅かに涙を浮かべ、ハンカチで拭っている。演技でカバーしていたけど、相当我慢していたようだ。
「大丈夫。絶対に手を触れさせないから」
「……あなたに迷惑かけてばっかりね。私の勝手な考えでここまで来てもらって」
「いいんだよ。俺だって……藤安さんが……その……」
俺は口をつぐんでしまった。
藤安さんは目に浮かぶ涙を拭きながら、不思議そうな顔を向けていた。
「どうしたの?」
「い、いや、その……」
何か、とんでもないことを喋り掛けた気がした。顔が紅葉みたく赤くなる。
とりあえず、気を取り直して……
「藤安さんの彼氏らしい人間になりたかったから……」
なんとか少ない語彙力辞典から捻出した言葉を繋げたが、却って爆弾発言だった気がしてきた。
刹那、強い風が吹き抜け、紅葉が舞い落ちた。一瞬藤安さんの素顔が見えなくなる。
すぐに彼女の顔が現れるが、藤安さんは驚いたのか口をぽっかり開けていた。
その先を言いたい。俺が一番言いたいこと。
意を決して、
――君にとって
その声は二人の時間を止めた。
心臓の拍動が速くなる。
赤い紅葉が舞う。
藤安さんは顔を上げて、茶色い瞳で俺を見つめていた。
俺も、彼女を見つめていた。
「うん。ありがとう」
彼女はかすれた声で話すと、ハンカチで目を拭いていた。ポタポタと舞台が濡れていく。
俺はただ、藤安さんを見守っていた。
涼しく、爽やかな小春日和の空気が俺たちを包み込んでいた。
気は抜けないけど、今は少しでも穏やかな二人だけの時間が続いて欲しいと思った。
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