第2話 俺は学生証を届けたい

 


 いきなり部長に紹介してやるって言われても、乗る気になれないのがネクラの性質である。

 いや、初めはわくわくしたよ? どんな女の子紹介してくれるんだろうって。

 部長によればその子は演劇部所属らしい。部長は演劇部も兼部していて、脚本制作に携わっていた。

 その子とは今度の日曜に近くの喫茶店で会うことになった。


 だけどそのと俺が仲良くなれるのか? 自信は全くない。

 俺はコミュニケーションをとるのが苦手である。それもトラウマを覚えるレベルで。俺の海馬は中学時代の忌まわしき記憶を、核から軸索の隅から隅まで記憶している。


 なんか、嫌な気分である。空はこんなに青く澄み渡る秋晴れなのに……と、まるで詩人みたく空を見上げた。


 ……とりあえず帰ろう。


 駐輪場に停めてある自転車に乗り込み、籠にリュックをしまい込むと俺はアパートに向かってこぎ出した。


 自転車をこぐこと十五分。俺が住むアパートは第三セクターの鉄道が走る駅の近くにある。


 〈大西建託 清風せいふう


 二階建てアパートの二階の一番端っこに俺の部屋がある。階段を上って突き当りまで行くので、正直けだるい。


 休日はギャルゲーしたいのに……行きたくないなあ……。


 めんどくささも相まって、余計足が進まない。

 顔は足元だけを見ている。

 当然、目の前に近づく人に気づけない。


「きゃあっ!」

「痛っ」


 思わず俺は後ろに倒れこみ、尻餅をついた。前を見上げると、女の人が同じく尻餅をついていた。

 彼女は、日差しに輝くすらりとした細い脚がぴっちりしたホットパンツから伸びていて、胸元が開いた白いシャツにライン入りの紺色パーカーを羽織っていた。そして滑らかな栗色の髪が肩にかかり、小顔で目が大きく、床に向く茶色い瞳はどこか吸い込まれそうだった。

 全体的にすらりとしていて腰つきも程よくくびれている。

 まるでアニメから飛び出してきたかのような可憐さ。俺の心臓が、顔が、足が、手が、いろんなところが反応している……!


 彼女は俺に気づいたのか、顔を上げた。茶色い目が俺に向けられる。

 やばい……! とっさに目を背け、湧き上がろうとする本能を抑え込む。


「ご……ごめんなさい」

「……い、いや、こちらこそ」


 彼女は瞳を隠しながらも、立ち上がった。


「私、急いでるんで」


 彼女はすれ違いざまにそういうと、アパートの階段に向かって走っていった。俺はその様子を眺めるだけだった。

 何だったんだろう、あの人……。


 ふと、俺は彼女が尻餅をついていた床に目をやった。

 何か落ちている。手に取って見ると、顔写真がうつった学生証だった。


【福平大学 経済学部〇〇学科 藤安ふじやす羽菜はな


 あれ……この名前……。


***


 翌日、俺は学生証を持って大学に向かった。本来なら事務局に行って預けるべきなのだが、俺はあの女の子が気になっていた。

 なぜか、どこかで見覚えがのある顔と聞き覚えのある名前。もう一度会って確かめてみたい。

 まあ俺はコミュ障だし、渡したらすぐに逃げようと思っていたりするが……。人違いだったらどうしよう……。


 なんて妄想を浮かべながら午前中の講義をぼーっと受ける。昼になったら構内のコンビニで適当なものを買い、俺は部室に向かった。


「失礼しまーっす」


 部室のドアを開ける。部長はゴザで胡坐(あぐら)をかきながら、テレビゲームをしていた。『ナンテンドー・スティック』の『クリティカル・ブラザーズ』で対戦しているようだ。


「はい、部長のです。いつものですけど」

「おお……サンキュな……」


 部長にサンドイッチとブラックコーヒーを手渡す。さっき “いつもの” といったけどこの人はブラックしか飲まない。甘党の俺とは対照的である。

 俺は横に座ってゲームを眺めた。

 黄色いネズミの可愛らしいモンスターが決めポーズをとる中、赤い帽子をかぶった髭の配管工を模したキャラがダルそうに拍手をしている。

 部長は画面を見て呆然としていた。


「またやられたんですか?」

「やっぱ勝てねえ……。すぐに残機消える……」

「ネット対戦ですか? まあ、全国には猛者がいるそうですから……」

「ははは……。とりあえず昼食おうぜ」


 そういえば部長なら学生証の持ち主を知っているかもしれない。部長は小説も書いているけど、演劇部(兼部している)や放送部の脚本や台本制作の手伝いもしていた。

 昨日拾った学生証は俺のリュックの中に入れてあった。


「部長、いきなりで申し訳ないんですけどこの人知ってますか?」

「え?」


 学生証を見せると、それまで落ち込んでいた部長の表情が百八十度回転した。学生証に映る女子学生に顔が釘で打ち付けられている。


「おい、こいつ……」

「部長、知ってるんですか? なかなかの美人ですよね」


 部長の顔は石のように動かない。そして、


「……いや、人違いだ」


 部長は学生証から強引に顔を離した。


「つか高林、何で俺に聞くんだ。」

「い、いや、部長なら何か知ってるかなーって……」


 一瞬部長の口元がぴくっと動く。だが、俺から目線を外して、


「知るわけないだろ」


 俺と部長の間に沈黙が流れた。


「……ですよね」


 俺はなぜか聞いてはいけないものを聞いたような気分に覆われた。


「とりあえず事務局に預けてこい」

「はい」


 部長の声がひどく冷たく聞こえた。

 昨日の女の子に会いたいという気持ちが、現実の壁に阻まれた気がした。


 しかし、冷静に考えてみればこの大学は千二百人もの学生がいる。部長は顔が広いといっても知り合いはせいぜい十数人。部長に聞くのは現実的じゃない。

 そして俺に親しい人なんて、この大学には数えるくらいしかいない。

 昼食後、俺は仕方なく次の講義が始まる前に事務局に学生証を渡しに行った。


 その日は何事もなく終わった。そして、翌日も。同じ大学に通ってるんだから、ひょっとしたら会えるかなと思ったが何事もなかった。


 学生証の持ち主は現れただろうか。まあ、気にすることもないか。


 そして、運命の日はやって来た。


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