第28話 俺は彼女の男になりたい

 俺は伊達に言われたように卓球台があるホールに向かった。ここでは湯上り客のために卓球サービスを提供しているという。


 卓球――俺がラケットを握るのは何年ぶりであろうか。中学時代は卓球部に所属していたが、部内戦では万年最下位だった。とはいえ、当時はいじめがひどく人生どん底の状態だったからそれに比べたらはるかにましであった。


 ホールに設置されている卓球台、そしてラケット。

 思い出すよ……弱かったあの日々を。

 伊達も同じく卓球部だったが、彼に勝てたことは数えるほどしかない。彼も卓球は強くなく、俺と底辺を争っていた。

 久々の卓球だが……とにかく、今は奴に勝つしかない。


 そう意気込んでいると、


「おう、高林たかばやし君! ハナの稽古観に来てたんだ」


 振り向くと練習を終えた演劇部員たちが歩いてきた。声の主は宮部みやべさんだった。その隣に藤安ふじやすさんもいる。


「ちょっと気になって……」


 瞳の照準を藤安さんに合わせると、反発する磁石のように俺から顔を背けた。


「……あ、来てたんだ」

「え……まあ」

「楽しんでいってね。私も頑張るから」


 そう言って藤安さんは笑って見せた。しかし、その目はどこか悲しそうだった。


「藤安さん……」


 彼女には松田まつだの幻影がいる。まだ彼に取り憑かれているのだろう。しかし、今しなければならないのは彼女を伊達の手から守ることだ。


「うん、応援してる」


 俺はまっすぐ藤安さんを見たが、彼女はまた目を逸らした。

 しかし、その顔はどこか恥ずかしくも優しげだった。


ーー久しぶりですね、藤安さん


 どこからともなく聞こえる、気障ったらしい声ーー伊達だての声だ。


 宮部さんは目をキラキラさせ、伊達を見つめていた。

 伊達は不敵に笑っているが、俺は警戒していた。


「……なんだよ、冷やかしかよ」

「決戦前に挨拶をしようと思ってな。やっぱり、藤安ふじやす羽菜はなちゃん、麗しいお姿で……」


 藤安さんはいきなり現れた男に戸惑いを隠せなかった。


「あなたが、私を……」


 俺は藤安さんと伊達の間に立つ。


「藤安さん嫌がってるだろ。今すぐ下がれよ」

「おやおや、必死になるなよ。せっかくの卓球勝負負けが確定しちまうぜ?」

「今は関係ないだろ」


 緊張の糸が張り巡らされ、今にも切れそうだった。宮部さんも藤安さんも固唾かたずを呑んで見守っている。

 しかし、伊達は俺の肩を押しのけ前に進む。一瞬バランスを崩すが、何とか右足で体重を支えた。


 そこからは刹那的だった。


「……」

「藤安。本当にすまなかった」

「……!」


 伊達の一声は誰もが予想だにしていないことだった。


「なに、いきなり……」

「俺がお前にしてしまったことだよ。中学んとき覚えてるだろ?」

「……」


 いきなりの展開に俺はついていけなかった。

 おい、伊達……なんで謝ってるんだ……?


「高林君へのいじめ?」

「それは解決済みだ……お前に迷惑かけちまったことだよ。すまない」


 藤安さんは伊達から目を離す。


「……気にしてないから。あれは学級委員として、しなきゃいけないことをやっただけだから」

「そうか。よかった」


 何故か伊達は安堵の表情を浮かべる。しかし、藤安さんは無表情だ。


「じゃあな、今日の夜にこいつと卓球で決闘するんだ。よかったら見に来てくれ」


 そう歯にかんでみせると、伊達はホールから離れて行った。


***


「あの人でしょ? 高林君のライバルって。結構イケメンじゃん!」


 宮部さんは伊達が消えて行った廊下を眺めていた。

 しかし、宮部さんに反応する者はいない。


「……」


 一方、俺は何か心に引っかかるものがあった。あいつ、結局何しに来たんだ? 冷やかしかと思えば藤安さんに謝るし、その謝罪もストーカーのことかと思えば違った。

 いろいろ考えを巡らせていると、


「決闘ってどういうこと?」


 藤安さんは不思議そうな目で俺を見ていた。

 一瞬答えようか迷ったが、俺はこらえた。


 伊達と藤安さんを賭けて卓球勝負をするなんて、本人が聞いたらなんて思うか……。

 とりあえず、


「あの、俺さ、中学時代卓球部だったんだ。あいつもだったんだけど、久しぶりに試合しようって誘われてさ……」


 俺は後頭部を掻いた。

 藤安さんは何も言わなかったが、隣にいた彼女の親友は師匠の勘が動いたらしい。


「そうか、ハナを守るために決闘するのね」


 一瞬、俺の息が詰まった。


「……宮部さん?」

「どうしてわかったのって顔してるな? とにかくハナを守れってキミに言ったよね? さっきのイケメンくんがキミのライバルなんでしょ?」

「そうだよ。もう引くに引けないし」

「やっぱりね。でも、いいんじゃない? 相手も負けたらハナから手を引くって言ってるんでしょ?」


 俺は一つ頷いた。少なくとも、あいつが嘘をついているようには思えない。本気なのだ。


「あいつ、本気で藤安さんに惚れたらしいよ? でも、俺だって……カレシとして一人前の男になりたい。だから勝負を引き受けた」

「ほう……なかなかやるねえ」


 そう言って宮部さんは藤安さんに向き直り、笑顔を見せる。


「だってさ、ハナ」


 藤安さんは終始無言だった。しかし、次第に表情が緩んでいくのが見える。


「……そう」

「まあ、気にしなさんな」

「……」


 しかし、藤安さんはまだ何か釈然としないようだ。だが、彼女は何も話してくれなかった。

 その後、俺は藤安さんや宮部さんと別れた。とりあえず今日の夜、二人に伊達と卓球勝負をすることを伝えた。


***


 そして、夜八時。ホテルのホール。長方形の整った卓球台。ラケットを構え向き合う俺と伊達ライバル

 周りには人はほとんどいない。いるのは俺ら二人と、師匠、そして――彼女。


 俺はオレンジのピンポン球を軽やかに上げた。

 決闘が始まった。

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