第29話 俺はガッツポーズを決めたい

 天井を舞うピンポン球。俺はそいつを叩きこむべく、ラケットで的確に球を捉える。光のような速さで、球は相手のコートに着弾する。

 現在、点は五分五分。

 俺は中学以来五年ぶりにラケットを握るが、感覚は衰えていなかった。相手から繰り出される攻撃についていき、的確に打ち返す。

 この勝負、藤安ふじやすさんを守るためにも、絶対にものにしてやる。


 試合は三セット先取で、先攻は伊達だて


 コートの近くには演劇部の女子部員二人も来ている。彼女たちは片方は目を輝かせて、もう一人は不安そうに状況を見守っていた。


「ほう、腕は落ちてねえみたいじゃんか。勝負にならないと思ってたけどな」


 ヤツの嘲笑が耳に入る。


お前伊達を排除すべしって俺の本能が騒いでるんだよ!」

「自信あり気じゃないか? じゃあ、これは返せるか?」


 伊達は俺のスマッシュを一歩下がり、カットで跳ね返す。

 伊達は後陣にいる……ならば、ネットの手前に……!

 俺はネット前にバウンドした球をツッツキし、自分の手前に誘導した。よし、相手は間に合わない!


――かかったな


 価値を確信した奴の一言。


――なにっ


 俺は球の挙動に気づいていなかったのだ。バックスピンかと思いきや、逆回転がかかっていた。

 球は宙を舞い、奴の手前で大きくバウンドする。奴はラケットを強く振り、的確に俺のコートめがけてスマッシュを叩きこんだ。


「お前はワンパターンなんだよ。だから底辺なんだよ」


 球が打ちぬかれたコートを前に佇む俺に、奴は嘲笑する。

 少しばかり悔しいが、俺は一呼吸置くと、


「底辺はお前もだろ。俺らいっつも底辺を競ってたんだからな」

「下らんことを偉そうに言うな。あと、お前と一緒にするな」

「ああ、一緒にするつもりはないさ。勝負はまだまだだぜ」


 俺はもう一度球を上げた。奴との勝負を制するために。


 その後、白熱した試合が展開されていた。底辺同士の実力が伯仲した、一人の女性おさななじみをめぐるバトル。

 俺も伊達も卓球部では “やるときにはやる” プレーヤーだったので熱い試合を展開することもあった。

 俺は前陣攻守型で奴はカットマン。回転をよく見て的確に返さないと、相手のペースに乗せられてしまう。幸いにも、俺はカットやドライブ対策はしていたが、あいつは裏をかいたのだ。

 同じ部活内だと、相手の癖や弱点、得意技が嫌でも分かってしまう。俺だって、奴の弱点は知っている。

 現在、それぞれワンセットずつ先取し、現在三セット目。はやく自分のペースに乗せないと負けてしまう。

 俺は奴を揺さぶるため、眺めのサーブを仕掛けた。


 十分ほどして、試合は最終セットにもつれ込んだ。二対二。すでに三セット連続でデュースの展開となっており、俺もあいつも、額に汗がにじみ疲労の色が出始めている。

 周りでは藤安さんや宮部みやべさんだけでなく、千葉ちば部長や月島つきしま部長といった他の演劇部員たちが俺たちの戦況を見守っていた。

 先攻は伊達。


「さあ……最終セットだぜ」


 奴は強烈な上回転のかかったサーブを仕掛けた。俺はすぐさま回転を殺し、奴のコート手前、一番遠いところを狙う。

 奴は一歩遅れ、球はコートから床に落下した。


 よしっ! 心の中でガッツポーズを決める。とにかく、一点一点確実に手にしていかなければならない。

 なるべく得意技を繰り出し、点を稼いでいく。手数は多いほうが有利だ。底辺だったとはいえ、いくつか得意なものはある。

 最初のうちは、俺が優勢に試合を運んでいた。回転を殺し、時に強烈なバックハンドを叩きこむ。


 戦況は八対四。サーブは伊達。


「やっぱつえーわ、高林。一人の女を守るためにここまで本気だなんてな。あれからまともに練習してないんだろ?」

「……」

「だがな、最後までわからないぜ? お前は中学んとき詰めが甘かった。これからスパートをかける」

「……!」


 伊達の目が変わった。

 奴曰く、練習は数日しかしていないらしい。だが、俺は全くしていないし、そもそも卓球をすることになるなんて思わなかった。

 ここまで食いついているとしたら頑張ったほうだが、まだまだ気は抜けない。あと三点なんだ……!


 奴はトップスピンのサーブの構えをする。俺も同様の対応を試みる……ところが。

 ラケットを当てた瞬間、大きく円を描いて飛んで行った。


――やっぱ甘いな!


 刹那、奴は球を捉え、コートの上に叩き込んだ。当然、俺はなすすべもなかった。


 ナックル……こいつ、回転を殺しやがったな……。

 俺は回転がかかっている球のほうが返しやすい。だから、不意に来る無回転には対応できない。

 とにかく俺は相手のペースに乗せられないよう、的確に球を返す。だが、奴は俺の行動が分かっているのか、さらに裏をかいてくる。


「やっぱり、中学の時と変わんねーな。このまま、カノジョは頂くぜ」

「……!」


 奴の挑発に乗せられそうになるが何とかこらえる。しかし、そうこうしている時間は残されてなどいなかった。

 見る見るうちに点差は縮められ、さらに点を伸ばされる。

 そして、十対八。すでに相手にマッチポイントが点灯していた。


「勝ったな」


 勝ち誇った笑みを浮かべる伊達。

 焦る気持ちを必死で抑えんとする俺。

 まだだ……まだ勝負は終わっていないっ!


 俺は横目で藤安さんを見る。彼女は不安げに俺たちを見守っている。


――まずは勝負に勝ってから


 守るべくは彼女。そのためにも、勝たねば……! 奴に指先一本でも触れさせはしないっ!


「ふん、そうは問屋が卸さないぜ」


 俺は冷静さを取り戻すと、サーブに一心を込めた。

 強烈な下回転がかかったサーブ。下回転にしては速いスピードで奴のネット前に落ちる。伊達は素早く移動して迎え撃とうとするが一及ばなかった。


 一点をもぎ取る。まだまだ、まだまだだっ……。


 そして、俺は着実に点を積み重ね、ついに奴に追いついた。十対十。勝負は振出しに戻った。


 俺と伊達は互いににらみ合っていた。そして、俺は球を中に上げた。

 奴はすぐにツッツキで返し、俺はすぐにバックハンドで押し出す。

 奴は後陣に下がり、強烈なカットを仕掛ける。

 俺は奴がいる反対側のコートにプッシュを打ち込む。

 奴は回り込みドライブを仕掛ける。

 俺は更に揺さぶりをかける。

 奴はカットで粘る――


 実力が拮抗し、たがいに一歩も譲らない。勝負を制するのは俺か……伊達か……。


 そして、勝負は決まった。


 奴は仰向けに倒れ込んだ。

 俺は……藤安さんにガッツポーズをした。

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