第30話 俺は彼女に謝りたい

 俺、高林たかばやし一喜かずきはライバルである伊達だて直也なおやとの勝負を制した。彼女である藤安ふじやす羽菜はなさんを守りきれたのだ。

 俺は息が上がっていた。

 達成感に存分に浸りたいが、体力的にそんな余裕はなかった。俺もバランスを崩し、手を床に付けて肩で呼吸する。


「はっ……すげーよ、高林。一人の女を守るのに本気になりやがって……。本当に守り切っちゃうんだからよ……」


 伊達は起き上がると、ハンカチで汗を拭いていた。


「……」


 俺はなんとか発すべき言葉を探す。


「……さあ……これで勝負はついたぞ」

「ああ諦めるよ。俺の負けだ」


 伊達はあっさりと引き下がった。もうちょっと我を張ると思っていたのに。


「お前にしてはらしくないな。あれだけ必死だったのに」

「それが男ってもんさ」

「……そう言って藤安さんに色目使う気だろ」

「んなわけねーよ! 男なら、あきらめるときは潔くしねえとな」


 そう言って伊達は笑った。俺は中学卒業間際のやつとの記憶を思い返していた。確かこいつ、こんな奴だったな……。

 俺も思わず笑ってしまった。


「二人とも、お疲れ様っ!」


 元気な女の人の声。宮部みやべさんがスポーツドリンクを二つ持ってやってきた。


「ありがとう」

「よくやったじゃない。てか、高林君が卓球やってたなんて知らなかったわ。強いんだね」

「いや、俺たち底辺争ってたんだ」


 俺は思わず後頭部を掻いた。


「女子の前で軽々しく言うな!」


 伊達は笑いながらも声を上げた。

 しかし、その様子を藤安さんはどう見ていただろうか。後から知ったが、彼女は浮かない表情だった。

 俺たちは終始、そんな彼女に気づいていなかった。なぜ彼女の気持ちが晴れていないのか。


***


 その後、俺は温泉に浸かった。秋の夜長の露天風呂。紅葉のライトアップが照らす中、ゆっくりと身体を伸ばし、戦いで蓄積した疲れを発散させる。

 久々に温泉に入るが、最高の気分だ。

 露天風呂は時間ごとに入浴時間が区切られている。今は男性が入れる時間だ。一時間後に女性専用となるので、それまでゆっくりできる。


 はあ……藤安さんを守りきれた。

 伊達はあっさりと寝室に戻っていった。

 あとは、彼女がどう俺に心を開いてくれるのか……。宮部さんの言うように、松田まつだとのことは藤安さんが乗り越えるべき課題。何とかして、藤安さんに寄り添おう。


 そして小説。ある程度構想は練っているが、なかなかまとまらない。藤安さんとのどっちつかずの描写を入れるか……入れないか。

 そういえばホテルに脚本家の先生が来ているらしい。その人に添削をお願いしてみようかな。

 もうあまり時間は残されていないし、一種の賭けだがやってみる価値は十分にあるだろう。

 まあ、今はゆっくり体を休めよう。


 しかし、心地の良い温度の温泉は体を温めるとともに、ものすごい眠気をも引き込んでしまう。徐々に目蓋まぶたが眠気に押され、重くなっていく。

 そして、俺は意識を手放した。


――……高林……くん?

――キミ、なんでここに……


 聞き覚えのある声。俺はゆっくりと目を開ける。目の前にはショートヘアの髪を肩まで伸ばした女の子、そして隣に鮮やかな茶髪を伸ばしたの女の子。二人ともバスタオルをまとっているが、胸、腰の括れ、体のラインがはっきりとわかる。

 特に、隣にいる茶髪の女の子は成熟した女性らしく、はっきりと出るところは出ており、綺麗な脚線美を描く身体は艶があり、光り輝いていた。ステージ上で艶やかだった彼女の生まれたての姿は、まさに宝石だった。


 嫌でも視線が惹きつけられる。


 そして、彼女のバスタオルはきつく抱きしめられていなかったのか、ひらりと落ちて……


 見えてしまった。


 当然ながらその光景は劇薬であった。俺の本能は一気に沸点まで上昇し、理性では抑えきれなくなった。

 だからといって、手を出せる余地なんかなかった。


 俺は鼻に込み上げる嫌な感触を感じたかと思うと、目の前が真っ赤に染まった。

 同時に頭が沸騰し、俺の意識は暗闇に放り出された。


***


 う……


 暗闇に徐々に光が差し込んでくる。目を開けると、俺が宿泊しているホテルの寝室にいた。俺はベッドの上で横になっていた。

 何でこんなところにいるんだ……?

 重い頭を抱えつつ、あたりを見回した。


「お、やっと気づいたか。どスケベ童貞君よ」


 千葉部長が腕を組んで鏡の前で座っている。


「部長……どうしてここに」

「どうしてじゃねえよ。風呂ん中で寝る馬鹿がいるかっつーの」

「え?」

「お前なあ、時間すぎて温泉の中で寝てたんだよ。藤安も宮部もびっくりしてたぞ」

「あ……」


 どうやら露天風呂でのぼせていた俺を部長が回収したらしい。しかも、すでに女性専用の入浴時間になっていたそうだ。

 そして、露天風呂は真っ赤に染まり、まるで殺人現場のようだったという。


「せっかくのお嬢方の入浴時間を邪魔しやがって……」


 部長の話で思い出してしまった。

 一瞬だけ、思い浮かぶ藤安さんの一糸纏わぬ姿。ほんのわずかな時間だったが、見えてしまった……。うるわしき肢体、くびれ、膨らみ――まさに、レディーと言って差し支えない体つき――

 俺の脳内の温度が急激に上がる。

 ダメだ、爆発する。


「おいお前、変なこと妄想してるだろ。まあ、お前にとっちゃ夢のような時間だったろうけどさ」


 部長の冷や水を浴びせるような言葉で我に返る。

 逆の意味で体温が上がる。


「……してませんよ!」

「意地張らなくても見え見えなんだよ。まあ、気にするな。妄想する限り手出ししなければ何の問題もねえから」

「……」

「それより藤安の裸見られてよかったじゃねえか。カレシとして一肌脱げたんじゃねえの?」

「……よ、よくないっすよ!」


 俺は布団を強く握りしめた。理性の氷水でヒートアップした頭を冷やすんだ。

 まあ、女の子の裸なんて拝めるもんじゃないし……いやいや、今は振り払え。


 とはいえ、罪悪感が残った。


「……藤安さん、怒ってないですかね」

「さあな。気になるんなら、自分から行ったらどうだ? 悪いことしたと思うんなら、正直に謝るんだ」

「そうですよね……」

「じゃあ、俺は部屋に戻るわ。おやすみ」

「おやすみなさい」


 部長は部屋を後にした。


 寝室に一人残される。

 アナログ時計の秒針の音だけが頭に響く。

 すでにここに運び込まれて一時間以上が経っているという。俺はとりあえずSENNを起動すると、藤安さんにメッセージを入れた。


 カズキ[藤安さん、さっきはごめん]


 何か他に言葉を添えるべきか迷ったが、ストレートに謝罪文を入れた。

 しばらく[既読]がつくことはないだろう。


 とりあえず俺はゆっくり休むことにした。

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