第9話 俺はいいところを見せたい
「どうして主役やめたいの?」
「……」
藤安さんは何も言わず、ブラックコーヒーを眺めていた。何か返す言葉を選んでいるのだろうか。
俺と彼女の間に、少し張り詰めた空気が流れていた。
空気の流れを変えたのは藤安さんだった。
「やっぱ自分には責任が重いんじゃないかってね」
「責任?」
「主役は劇の顔ともいうべき存在。まだ一年で経験が浅い私がやるのはどうかなって思うの」
「他に適任がいるってこと?」
「うん」
気を取り直すのか、藤安さんはコーヒーに口をつける。
「それでも、
「演技上手いんだね。藤安さんの演技見たことないから分からないけど」
「一応高校時代からやってるから。だけど……」
藤安さんは外を眺めた。幹線道路を行き交う車のライトや街灯のおかげで至近を見ることはできるが、その先は深い闇が広がっていた。
「……私より上手い人いるから」
「そうなんだ」
「だから、その人にお願いするつもりなの」
また俺たちの間に沈黙が流れた。しかし、先ほどと異なりどんよりした沈黙だ。
やばい……! 空気を変えねば!
「ご、ごめん藤安さん! 変な話して」
「あ」
はっとしたのか、藤安さんはこちらに顔を向ける。
「いいのいいの。気にしないで」
笑いながら藤安さんは
俺もお
そういえば俺と藤安さんは別々の高校に進んでいた。俺はいじめっ子たちと別の高校に進みたかったので、敢えてみんなとは別の高校に通っていた。
「と、ところでさ。藤安さんって高校どこ行ってたの?」
なぜか心臓の拍動が速い。
「え?
「鶴美? 演劇で有名なところだよね」
その高校の名前に覚えはあった。県内の地方都市にある高校だが、演劇でその名は知られていた。
俺も高校時代の数少ない友人と、鶴美演劇部の公演を観覧したことがあったが、脚本もしっかりしていて役者の演技も映画やドラマに出る俳優のように素晴らしかったことを覚えている。
「私も演劇部にいたの。なんか面白そうって思って入ったんだけどね」
その後藤安さんは高校時代の演劇経験について語ってくれたが、やはり実力者のようで何回か主演や賞を勝ち取っていたらしい。
純粋に藤安さんがどんな演技をするか、気になってきた。彼女は練習で忙しいだろうけど、失礼を承知で聞いてみる……勇気がいるけど。
「……やっぱ演技上手いんだよね。よければ観に行ってもいい?」
「……かまわないけど、部長に聞いてみないと。あと、さっきも言ったけど先輩の方が上手いよ?」
「一度でいいから藤安さんの演技みたいんだ。いいかな」
「……わかった」
喜んでいいのか? わからないけど、とりあえず許可は得られた。
「明日聞いてみるから、SENN《セン》で連絡するね」
「うん、お願い」
***
その後、俺たちはなんとか話を繋げて二人だけの時間を過ごした。
俺の心臓の鼓動が速かったのは言うまでもない。特に何気なく高校時代のことを聞かれたときは焦った。
必死で嫌われぬようぼっちじゃない、差し障りのない高校時代だったとアピールする。
「べ、別に普通の高校だった……よ?」
「そうなんだ」
「うん、うん」
汗が止まらない。心が加熱されていく。
実は俺はいじめっ子たちと決別するため、別の高校に進んだ。
新しい学校、新しいクラスメイト。
心機一転して始めから明るく振る舞おうと努力した。何故か経験の浅いサッカーを始め、何故か興味すらなかったギターを弾こうとした(ラノベの影響を多大に受けた)。
しかし、結果は惨敗。
誰も俺に注目などしなかった。経験不足が祟ったのと、クラスメイトにその方面の実力者がいたからだ。
友人もほとんど出来ず入学早々一ヶ月で、スクールカーストの最下層に転落することとなった。
五月から卒業に至るまで、俺はクラスの端っこで一人寂しく本を読むという絵に描いたようなぼっちを経験することとなった。
別にいじめられていたわけじゃないし、友人もいたので中学時代より遥かにマシだが辛かったのは言うまでもない。
「ふう……」
話終わった途端、大きなため息が漏れ出た。なぜか顔中から汗が出ている。心がオーバーヒート寸前だった。
心が落ち着くぜ。
「ねえ、大丈夫? さっきも言ったけど、緊張しなくていいって」
藤安さんの優しげな声がする。
「あ、ごめん」
「さっきから思ってたけど強がるとこ、中学の時と一緒ね。いじめられてたときも意地張ってたのに」
「え?」
「中学時代の事件、覚えてる?」
その一言に俺ははっとし、彼女を見ると藤安さんは軽やかに笑っていた。
「まさか、あの時学級委員だったのって藤安さん?」
確認の意味も込めてもう一度尋ねると、彼女はにっこりと微笑みながらひとつ頷いた。
藤安さん、覚えてたんだ……!
「無理に強がっても、嘘がバレバレよ? もう少し強がるの上手くなったかなって思ったけど」
「……」
藤安さんの言葉がグサリグサリと突き刺さる。
「まあ、いじめた奴らはいないんだから、無理しなくていいんじゃない?」
「う、うん」
後頭部が痒くなった。申し訳なさそうに藤安さんを見るが、彼女は笑っていた。裏に何があるか分からないが、少なくとも嫌われたわけではないらしい。
心の中でほっと胸を撫で下ろした。
その後も俺たちは中学の思い出や俺の高校時代のことで盛り上がった。肩から重荷が降りたのか、会話は弾んだ。
夜九時、俺たちは同じアパートに住んでいるので、共に帰路についた。
秋の夜は寒いながらとても静かである。そんな中、俺たちは歩く。喋る話題は特になく、会話はないが俺は大満足だった。
だって、デートは成功したんだから。あくまで個人的にだが。
しばらくしてアパートに到着すると、藤安さんはくるりと振り返り、
「今日は誘ってくれてありがとうね。楽しかった」
「あ、ありがとうっ」
思わず顔が熱くなる。
気を取り直すため深呼吸すると、
「それでさ、演劇の練習のことお願いね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
藤安さんは階段を上がって行く。俺はその後ろ姿を見守る。
こうして俺と藤安さんの初デートは終わったのだった。
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