第19話 俺はこいつの名前が知りたい

 その後俺たちはその場で解散となった。結局早乙女さおとめさんがどうなったか気になった。できれば、彼女に謝りたかった。

 しかし、早乙女さんが一刻を争う状況であることと、演劇部員ではない俺が行くべきでない問題のような気がして、病院に行くことはできなかった。

 夜に千葉部長からSENNに通知が入ったが、月島つきしま部長や藤安ふじやすさんが戻ってくることはなかったらしい。


 翌日以降、良くも悪くも普通の日が続いた。千葉部長は文化祭前なので部活を開けることが増えた。

 一方、俺は藤安さんとデートする機会を伺っていた。千葉部長からいい加減デートに誘えと言われていたし、何より早乙女さんのことが気になっていた。藤安さんも病院に向かって、立ち会っているはずだから。

 だが、追い込みで練習が忙しく時間を合わせるのが難しく、誘い出せなかった。


 そうこうしているうちに一週間が過ぎた。


 演劇部の公演は体育館で開催された。俺は嫉妬を覚えてしまうようなリア充たちの姿から目を逸らせつつ、観客席の前に向かう。


「お、よく来たな。こっちだぜ」


 千葉部長が一番前の席で俺を呼んでいた。


「部長、劇のほうに行かなくていいんですか?」

「まだ時間あるし、場所取りでいるんだよ。ここならお前のカノジョを堪能できるぜ?」


 一番前かつステージに最も近い場所。目の前に藤安さんが現れるのだ。彼女が一番煌びやかに輝く瞬間を、この目で映すことができるのだ。

 部長によれば藤安さんは毎日この日に向けて必死に練習を重ねたという。前見た時も素晴らしい演技を魅せてくれたが、それ以上のものが魅せられるとのこと。


 やべえ……めっちゃ楽しみだ!


 一方、話を聞いていくうち早乙女さんのことが気になっていた。

 彼女は祖母が危篤状態と聞き、急いで病院に向かった。その後、彼女の姿を一切見ていなかった。


「あの、早乙女さんは……」


 部長に聞くと彼は笑った。


「ああ。部活に来てるよ。おばあさん、幸い一命をとりとめたんだ」


 よかった、と安堵の息を漏らす。だけど、根本的な問題は解決していない。


「でも……主役にはなれないんですよね……」


 しかし、部長は首を振った。


「いや、別の劇で主役をしてもらったよ。『オペラ座の恋』をもとにした『熱き恋歌ラヴソング』って劇をすることになったんだ」

「え?」


 俺は目をぱちくりさせた。

 部長いわく、『オペラ座の恋』の物語をベースにフラメンコの要素を取り入れた、早乙女さんのための演劇らしい。

 実は月島部長が放送部や文化祭の実行委員に頼み込んで、時間を作ってもらったのだという。このことは演劇部員たちも賛成だった。


「月島もよく決断したよ。まあ、あのままだと早乙女も、早乙女のお婆さんも報われないし、いい判断だったと思う」

「よかった……」

「ま、お陰で脚本書き直すハメになったけどな」


 とはいえ、俺自身から罪悪感が抜け切ったわけではない。早乙女さんの思いを踏みにじったわけだから。

 一応、千葉部長に早乙女さんが俺のこと恨んでいないか尋ねると、


「そんなの本人に聞くべきだろ。でもまあ、彼女恨んでないと思うぞ? お前のこと一言も言ってないし。むしろお前、早乙女の演技良いって言ってただろ」

「まあ……」


 あれだけプライドが高い人ならいいってだけじゃダメだと思うんだけど……。

 俺の頭からモヤモヤ感がぬぐえない。


「とにかく、気にしなくて大丈夫さ」


 ふと部長は腕時計を確認する。


「お、そろそろ時間だな。じゃあ、俺行ってくるよ」

「はーい」


 部長が去ってすぐに、あたりは観客で一杯になった。そして、周囲が暗くなる。


――皆様、よくぞお越しいただきました! これより、演劇部の公演を開催します! 本日は豪華二本立て! 演劇部が誇る二大スターの作品です! ぜひ、最後までお楽しみください!


 二大スターの作品……恐らくあの二人の女優だ。

 緞帳どんちょうが徐々に上がる。


 緞帳の向こうでは演劇部員たちの劇が展開されていた。練習で見たのは『オペラ座の恋』の一部分だけだが、全編にわたって鑑賞するのは初めてである。藤安さんだけでなく、他の部員たちの演技もうまく、魅力的だった。

 そしてクライマックスに差し掛かり、藤安さんが演じるクリスティーヌが暗闇の中にいる師匠、ファントムに呼びかける。


――どうか、その姿をここに……


 一瞬、照明が舞台にいるクリスティーヌに当てられる。真ん中で顔を見上げ、青く輝くドレスをまとった美女。

 俺の五メートル先に彼女は立っている。俺は目を輝かせて彼女の演技を堪能していた。まるで美しいオーロラを眺めるかのように。

 そして、ゆっくりと緞帳が下がり、拍手が巻き起こる。


 やっぱり藤安さんの演技は素晴らしい。何回同じこと言ってんだというツッコミはここでは無しだ。俺の語彙力は皆無なんだ。


 やがてすべての演技が終了し、十分間の休憩時間に入った。

 俺は用を足しに一時的に体育館を離れ、また戻ってくると俺が座っていた席にあいつらがいた。


「高林、久しぶりじゃねえか」


 うち一人は「姉様あねさま万歳」と書かれた鉢巻はちまきで額を縛っていた。

 早乙女親衛隊のメンバーだった。しかもこいつは俺の判断に対していきなり詰め寄ってきた男。

 なぜか心臓が止まりかける。


「……あ、久しぶり。ってそこ俺の場所だぞ」

「ふ、やっぱり藤安って子の演技も惚れぼれするなあ……。姉様には劣るけど、芸術の域に達してるぜ」


 スルーされた。


「あの」

「なんだよ、せっかくお前のカノジョ褒めてやってるのによ」

「そうじゃねえよ。そこ俺の席だって!」

「はあ? いつからお前の席なんだ? 俺らの特等席だよ」


 親衛隊員は半分不満そうに俺を見る。

 俺の体は腹の中から燃えるように熱くなった。恥ずかしさが汗となって滲み出る。

 とはいえ、こんな奴らにかまってはダメだと脳が察知したのか、俺は冷静になる。


「……文句言いに来たのかよ」

「いや? 姉様の公演を観に来ただけだぜ? そもそもお前にケチをつける必要なんてないだろ。姉様も主役取れたんだから」

「……だけどさ」


 俺から心のモヤモヤが取れることは無かった。だが、親衛隊員は涼しそうに話していた。


「だけど、なんだよ? まさか姉様がお前のこと恨んでるんじゃないかって思ってんのか?」

「……」


 なぜか見透かされていた。俺はため息をついた。


「そうだよ」

「姉様はな、まあショックは受けてたよ。だけど、恨んじゃいねえよ。晴れ舞台をお婆様に観せられるんだから。そもそもあの勝負は姉様が無茶してたところもあったからな」


 苦々しく笑う親衛隊。


「そうそう、四日前に藤安って姉ちゃんも姉様に“高林君を悪く言わないでくれ”って話してたぞ?お前、いいカノジョもらったじゃねえか」


 藤安さんが……?

 藤安さんは早乙女さんのお婆さんが危篤の時に病院に走って行った。彼女もどこか思うところがあったらしく、四日前の練習後に頭を下げに来たらしい。ちょうどその日が早乙女さんの主役が決まった時だった。

 早乙女さんは涼しそうに「別に気にしてないけど」と言っていたみたいだが。


「でも、お前の評価は公平じゃなかった。それだけは一ファンとして言わせてもらうぜ?」

「……」


 なんか複雑である。

 まあ、無事に決着したのならそれでいいんだけど。


「さあさあ、姉様の演技始まるぜ? 言っとくがこの席はお婆様の席だからな」

「え?」


 すると、体育館の入り口から白髪が混じるが綺麗に整えられた黒髪に、顔かたち整った六十代後半と見られる女性が車椅子を他の親衛隊員に押されて入ってきた。その横顔は、どこか早乙女さんに似ていた。


「姉様の主演を聞いて寝たきりから車椅子に座れるくらい回復したんだ。お前は邪魔だから他の席に行きな。せっかくの晴れ舞台が観られねえじゃないか」

「……」


 俺は仕方なく席を立った。

 まあ、いいや。 

 そういや、この親衛隊員、名前はなんていうんだろうか。


「ところお前、名前聞いてないけど」


 俺の席を陣取った親衛隊員は顔を俺に向けた。


桐生きりゅう優作ゆうさく。姉様の一番のファンだぜ?」


 そう話すと桐生と名乗った男はウインクした。


 しばらくして、早乙女さん主演の演劇は始まった。赤いドレスに身を包んだ美女が華麗に壇上で舞っている。練習期間は僅かだったが、早乙女さんの華やかな演技にみな見惚れていた。


 早乙女さんの祖母は孫娘の晴れ舞台をどんな風に観ているのだろう。


 こうして、演劇部が舞台となった戦争は終結を迎えたのだった。


***


――ち……面白くないわね。だけど、いいわ。大事なことが分かったから。あの子に連絡しなきゃ


 物陰で彼女は状況を垣間見ながら心の中で呟くと、そっと体育館から消えた。

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