演劇部編

第5話 私は彼を忘れたい

 あの子、やっぱりあそこにいた同級生だ。私が確信したのは目の前にいる男の子が、私と中学で同じだったことを話した時だ。あの子は酷いいじめを受けていた。周りから見ても、目をそむけたくなるようないじめの数々。


 当時私はクラスの学級委員を担当していた。好きでなったわけではないが、学級委員という立場上いじめを見過ごすわけにはいかない。それに、私もいじめを人一倍許せない性格でもあった。


 廊下の先で素行の悪そうな数名のいじめグループの生徒に囲まれ、一人縮こまる彼。体格にあまり差はないのに彼は小さく見えた。

 私は当時の男子の学級委員とともに仲裁に入った。ただ、彼を救う一心で。でも、それが仲間を失うことにつながるなんて――


***


――ねえ、ハナ! ハナったら!


 誰かに肩を揺らされ、私は現実に引き戻された。うつろな目をこすり、顔を声がするほうに向けると、友人の宮部みやべ奈恵なえが不安そうな面持ちで私に顔をのぞかせていた。

 ナエの正面にはカプチーノとサンドイッチが置かれており、私の前にも温かいブラックコーヒーとシュガー、ミルクそれにBLTサンドが置いてあった。

 そうだ、今私とナエは喫茶店に来てたんだ。

 場所は福平ふくだいら大学からバスで十分ほどの距離にあるショッピングモール〈アルパ〉。このショッピングモールの駐車場に喫茶店〈プラネットバックス〉があった。


「もう注文したもの、来てるよ?」

「あ、ごめん」

「さっきからどうしたのよ」

「いや、午前中のことなんだけど」

「ははーん、高林たかばやし君の事か。もう恋に落ちたのねー」


 ナエはにやけ顔で私に顔を近づける。


「……会った瞬間れるわけないじゃないの。ラノベのヒロインじゃあるまいし」

「でも、運命の再会だと思うよ? クラスも同じだったんでしょ?」

「偶然よ。別に仲良かったわけじゃないし」

「またー」


 もう……鬱陶うっとうしいなあ……。私の体が熱くなり、思わず声を上げた。


「ただ中学が同じだっただけだって!」

「なら、何でさっきのこと考えてたの?」

「……それは」


 ナエの一言で、体温は急降下した。


 高林君が気になっていたわけじゃない。彼は中学時代にひどいいじめを受けていた。当時私は学級委員を務めていたが、その時に一緒にいじめを止めに入った男の子が私の頭を支配していた。

 そのことをナエに話すと、彼女の顔は一転して真剣な表情になった。


「松田くん、だっけ」

「うん」


 松田まつだ純一じゅんいちくんは中学時代の同級生である。正義感が強く、優しくクラスのみんなから慕われていた、リーダー的な存在だった。

 私とは小学校からの幼馴染で、なにかと一緒に過ごすことが多かった。私が大切な家族の一人を失ったときも、寄り添って力になってくれた。


 だが、同時に敵も多く彼の存在をよく思わない人もいた。松田くんは、高林くんのいじめ事件のあと消えてしまった。いや、消されたのだ。

 少しだけ、自分の胸が熱くなる。


 私はお冷に映る自分の顔を眺めた。

 もう彼はこの世にいないのに、忘れられない。彼が死んでから、私の心にぽっかりと穴が開いていた。


「ハナ、気持ちはわかるけどそろそろひと段落つけてもいいんじゃない?」

「……」


 私はこくりと小さく頷いた。

 だが、その返答は私の本当の気持ちではない。もう五年も経っているから、ナエが言うようにひと段落つけるべきだろう。


 しかし、彼はそれほど私にとって大きな存在だった。


 親友に対する答えは口から零(こぼ)れ落ちた。


「忘れられるといいわね……」

「もう……本当に松田くんの話になると途端に暗くなるわね」

「……」

「ま、いいけど。でも、高林くんも悪くないと思うけど」

「そう…かな」

「そうでしょ。これから付き合っていくのにしょげてどうすんのよ」


 しょげてなんかないし。

 私は気分を入れ替えるため、お冷を口にする。

 ふとガラス越しに外を見た。幹線道路沿いに人や車が行き来する。子供と手をつなぐ親、カップル、友人。一人で楽しそうに音楽を聴く人――私をよそに日常が流れていく。

 なぜか、気分は晴れなった。外は清々しい秋晴れなのに。


「ハナ、たそがれてないでさっさと食べなさいな。今は高林くんからの連絡を待とうよ」

「うん」


 昼の時間はゆっくりと流れていった。


***


 夕方、ナエと別れると私はアパートに戻った。私と同じアパートに高林くんが住んでいる。

 彼が同じ大学に通い、同じアパートに住んでいたことは驚いた。しかし、ナエは運命だのなんだのはしゃぎまくっているし、千葉さんも彼を推している。

 ただの偶然なのに。


 カードキーを取り出し、部屋に入ると私はウエストポーチを棚に置いた。その時、持っていたスマホが音を立てて震えた。画面を確認する。


月島つきしまさん】


 演劇部の部長さんからだ。何だろう、いったい……。


「もしもし。藤安ふじやすですけど」

【お、もしもし。月島です。ちょっと今時間いいか? 今度の公演の事なんだけど】

「再来週のやつですか?」

【実はな藤安にお願いしたいんだ】


 部長から聞かされた話は、願ってもいない知らせであった。


「……本当ですか!?」

【ああ! 早速月曜日に話をするから】

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