第34話 俺は彼女の事情を知りたい
「さ、俺は行く準備に取り掛からねばな」
部長はベンチから立ち上がると、腕を回した。
「どこか行くんですか?」
「京都だよ」
京都、という言葉に俺の目は最大まで見開かれた。
部長は驚いて俺を見下ろす。
「何ビビってんだ? 前言ったろ? クリスマスの公演の練習をするって。今度京都で実際にロケして、本番に備えるんだよ」
京都へに明後日行くことになっていた。
「……早すぎじゃないですか。まだ合宿終わってすぐなのに」
「いや、どうしても早くしてほしいって部員がいてさ」
「え?」
「
その名前を聞いて、俺は凍り付いた。
すぐに朝日を浴びて氷は溶けたが、今度は震えが止まらなかった。
特に
折山は
そんな彼女がいきなり誘ってきたのだ。彼女は藤安さんと早乙女さんの演劇勝負の際に、裏でこそこそしていたそうだが、その素性がよくわからない。
「おーい、大丈夫かー」
千葉部長が俺の顔の前で手を振っている。
俺はすぐに我に返った。
「どうしたんだ? お前、なんかおかしいぞ」
「そうですかね……」
「別に京都行くなんて驚くことかよ」
「……」
部長には話しておいたほうがいいのかもしれない。だが、話して解決する問題でもない。
「そう、ですよね」
「そうだよ。早く帰って、執筆に専念したらどうだ」
俺は部長の言葉にうなずくと、ごみを片付けてアパートに戻った。
***
アパートに着き、俺は二階の階段を上がりきったとき俺の足は止まった。
「あ」
「
目の前に彼女――藤安さんがいた。
藤安さんは驚いた様子でその茶色い透き通った瞳を俺に向けていた。
俺と藤安さんの間に緊張の糸が張り巡らされている。
かなりやばい状況である。
俺は状況を打破するため、
「……おはよう」
「……おはよ」
藤安さんは瞳を隠していた。なおも沈黙が流れる。
しかし、時を動かしたのは彼女だった。
「高林君……その……」
何やら、藤安さんは口ごもっていた。
そして、顔を上げる。
「……明日から、京都に行くことになるの。よかったら……一緒に来てくれないかしら」
彼女の茶色い瞳はなぜか涙が浮かんでいた。彼女は時折流れる涙をぬぐっていた。
「いきなり、どうしたの?」
予想外発言に俺は混乱していた。
京都に一緒に来てほしいって……しかも泣きながら……。彼女に何があったんだ……!?
いろいろ考えてしまうが、答えは一向に出てこない。
「その……」
流れ出る涙をぬぐう藤安さんだが、彼女から放たれたのは衝撃の一言であった。
――助けて。お願い!
「……なにがあったの?」
藤安さんはスマホのSENNの画面を見せてくれた。
メッセージは今朝方来たものらしい。
[藤安さん、お元気でしょうか。あなたは忘れたかもしれませんが、私はこれまで悲しい気持ちを押し殺して生きていました。風の便りによりますと、近々京都に行かれるそうですね。私も偶然京都に行くことになりました。話をしましょう]
メッセージの発信者の名前を見て、俺は驚愕した。
――
彼女は中学時代の同級生であり、俺も恐怖のどん底に陥れたいじめグループのリーダーだった。
あいつの顔、いや名前すら思い出したくない。
物を隠され、ばい菌扱いされ、金をとられ、家に不審電話を入れられ、人前で人格を否定されるような屈辱的なことを、いとも簡単にされ……
思わず胃液が逆流し、朝食を吐き出しかけた。
「だ……大丈夫?」
藤安さんが心配そうな様子で俺を見ていた。
「うん……」
なんとか胃に朝食を押し戻すと、俺は深呼吸した。
「……藤安さんも、浅木が嫌なの?」
彼女はゆっくりと首を縦に振る。
「私も、あいつに……
衝撃的な一言の弾丸に、脳天を撃ち抜かれた。
「こ、殺された……? 事故って聞いてるけど……」
しかし、藤安さんは首を横に振った。
「浅木たちに消されたの……」
「消された」という発言が、脳を揺さぶった。
「どうして……」
「……松田君は私のために……死んだの……」
――私のために死んだ
天地がひっくり返るような言葉の連発に頭がついていけなかった。
「何が、あったの」
唐突な俺の問いかけに、藤安さんはまた押し黙ってしまった。
また沈黙が流れた。
何か、口に出せない事情があるらしい。その事情が理由で、一緒に京都に来てほしいのだろうか。浅木も京都に来るというが、何か企んでいるのだろうか。
俺は――初めは行く気になれなかった。浅木が京都に来るとなれば行きたくないし、それ以上に執筆に使える時間がほとんど残っていなかったのだ。
だけど……藤安さんと(実質フラれたとはいえ)付き合っている身としては看過できなかった。
「ねえ、藤安さん……一体何があったの? 泣くほど助けてほしいって言うからには、辛い事情があったんだよね」
俺はできるだけ優しく語りかけた。
「……うん」
藤安さんは涙をハンカチで拭う。
「できたら……話してくれない?」
「……わかった」
ここで話すのはまずい。藤安さんは時間があるらしかったので、俺は荷物を整理した後彼女とともに近くの公園に向かうことにした。
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