第26話 俺は彼女に寄り添いたい

 それから数日。ついに、合宿の日がやってきた。俺は準備を整えると、さっそくアパートの近くにある第三セクターの駅に向かった。

 当然だが、演劇部とは別行動である。

 多分、伊達だてももう出かけているだろう。


 土日なのか、海外からの観光客が多い。彼らは家族同士、友人同士、恋人同士で楽しそうに喋っているが対照的に俺は沈んでいた。

 電車の中で俺はいろいろなことを考えながらも、車窓を眺めた。まだ七時過ぎなので外は暗い。

 俺はこの前藤安ふじやすさんが言っていたことが気になっていた。


――高林たかばやし君、あなたの気持ちは嬉しい。だけど……


 彼女は何が言いたかったんだろう。度々頭の中の記憶を辿るが、思いあたるものは見つからない。

 あらためて彼女に聞いてみるか。だが、ひょっとしたらデリケートな内容なのかもしれない。

 俺は藤安さんの力になりたいけど、どうしたらいいのやら……。


***


 俺は演劇部員とは別で温泉に向かう。小春日和の空を眺めながら、俺は第三セクターの最寄りの駅を降りた。

 湯の町駅――粟原あわら温泉の玄関口となる駅である。


 俺はずっと藤安さんのことが頭から離れなかった。

 そのせいか、俺に近づく足音に気付けなかった。


――おーい、若弟子よ! そんなとこで何耽ってんだい?


 その声に気づくと、ツインテールの髪を肩に垂らした俺と同じくらいの背の女の子が飛び跳ねるように手を振っている。

 俺の師匠だった。


宮部みやべさん、合宿じゃなかったの?」

千葉ちばさんに送ってもらったの! 演劇部は現地集合。まだ時間があるからそれまでの暇つぶし! そんな高林君はハナをエスコートしに来たんでしょ?」

「……?」


 身体が硬直する。


「ははーん、図星ですな。キミの顔を見れば一発でわかるわよ。師匠を甘く見るでないぞ?」

「……」

「それで、ハナを狙ってるライバルがいる、と」

「顔に書いてあったの?」

「まあね」


 さすが宮部さんだ、と言いたいところだが千葉部長あたりが彼女に話したんだろう。別に問題はないけれど。

 そういえば、藤安さんの友人である彼女なら何か解決策を知っているかもしれない。


「あの、宮部さん。相談なんだけど……」

「どうしたの? まさかハナのこと?」


 俺は一つ頷くと、この前藤安さんとあった出来事を話した。彼女は俺に何を言いたかったんだろう。何か後ろめたいものでも持っているのだろうか。


 話し終えると、宮部さんは少し考えこむしぐさを見せる。そして腕時計を眺めると、


「うーん、まだ時間あるしこっちで話すよ」

「え?」

「高林君はもうご飯食べたの?」

「まあ、ちょっとだけ」

「これからハナを守らないといけないのに、腹ごしらえしてないのはまずいでしょ。あたしもまだ食べてないから、こっち来て」


 宮部さんに連れられてやってきたのは、駅の近くにあるから揚げの屋台。俺たちと同じくらいの歳の女の子が店番をしている。

 まだ九時前だが、営業していおりこの前スマホニュースで載っていたから揚げ屋さんだった。


「ちょっと待っててね……」

「うん」


 しばらくして宮部さんが帰ってきた。彼女は「えっちゃんのから揚げ」と書かれた紙を持ってやってきた。


「お待たせ。ここのから揚げめっちゃおいしいの。あたしの友人が作ってるんだけどね」

「ありがとう」


 近くのベンチに腰掛ける。周りに人はいない。

 紙袋を開けると湯気が香ばしさを漂わせ、食欲をそそる。

 腹ごしらえ……になるかはわからないがから揚げをほおばる。

 カリッとした衣そして、ふわっと口の中に広がるジューシーな鶏肉。

 腹だけでなく心まで満たされていく……。

 あまりのうまさに声が漏れた。


「う、うまひ……!」

「でしょ? 友達が作ったから揚げなんだけど、一級品なのよねえ」


 腹ごしらえがひと段落すると、宮部さんは本題を切り出した。


「さて……ハナのことだけど、キミは何か思い当たることはないの?」

「……それが分からなくて」

「キミ、ハナと同級生なんでしょ? 中学の時、ハナが誰と一緒にいたか覚えてる?」


 俺はそっと記憶の糸を手繰った。

 中学二年の時、俺のいじめを止めに入った藤安さん、そしてその隣にいたのは……

 だが、名前が思い出せない。あんまり喋ったやつじゃないし、俺は人の名前を覚えるのが苦手だ。


――松田まつだくんって子じゃなかった?


 松田まつだ純一じゅんいち。彼の名が俺の前に立ちはだかった。彼も俺の同級生であり、学級委員だったが、事故で亡くなったとされていた。


「どうして宮部さん、松田のこと知ってるの?」

「ハナから聞いたの」

「……」

「松田くんは、ハナにとって特別な人だったの」


 事実が衝撃となって俺の頭をぶん殴る。


「特別な人……?」

「ハナはね、小さい時から松田くんと一緒にいたそうなの。それも、家族同然の付き合いだった。そんな彼が突然消えたのよ」

「……」


 開いた口が塞がらなかった。既にこの世にいないとはいえ、藤安さんに彼氏がいた事実。

 宮部さんは言葉を続ける。


「ハナにはいつまでも彼の姿が忘れられないの。あたしも、区切りをつけるべきって言ってるんだけどね」

「……」


 何も言わなかったが、答えが出た気がした。


――高林君、あなたの気持ちは嬉しい。だけど……


 私には、大切な人がいる、そう言いたかったんだろう。

 俺に虚無感の波が襲い掛かった。藤安さんに対する憐みと俺のこれまでの努力の否定が俺を引きずり込む。

 大きな壁にぶち当たってしまった。


「俺、何のために必死だったんだろう」


 本音がこぼれた。

 師匠はため息をつく。


「カレシが自信なくしてどうすんのよ。ハナはキミのことも信頼してると思うわ」

「師匠、俺はどうすればいいんでしょうか」

「とにかく、今はハナを守るのよ。キミにライバルがいるんでしょ?」

「うん……」

「前も言ったけど、少しでもいいからハナに寄り添ってあげて。松田君のことはハナが乗り越えなくちゃいけない課題。キミは手助けしてあげればいいの」


 宮部さんの助け船に俺は少しだけホッとした。少しでも、藤安さんに寄り添えばいいんだ。


「さ、そろそろ集合時間ね。あたし先に行くからね」

「ありがとうございます、師匠」


 俺は宮部さんに頭を下げた。


「あんまり深く思い込んじゃだめだよ? ライバルに負けたら、あたし許さないからね?」

「うん」


 俺は右手の拳を握り、前を見た。


「よし、じゃあ頑張りなさいな。また後でね」


 宮部さんは手を振ると駅のロータリーへ歩いて行った。

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