第25話 俺は危険を伝えたい

 さて、作戦変更! 俺も粟原あわら温泉に向かわねばならぬ……!

 あいつより先回りして、藤安さんを守らねば……。


 昼休みに俺は昼食を持って部室に向かった。もちろん、部長の分も入っている。

 部室に入ると千葉ちば部長はノートパソコンの前で何やら作業をしているようだ。


「部長、昼飯持って来ましたよー」

「うぃー、サンキュー」


 俺はパソコンを見る体制のまま左手を上げた部長にビニール袋を掛けた。


「何してるんですか?」


 横目で部長を覗き込むと、


「今度の舞台の脚本の案を纏めてるんだ。講師の人に見てもらおうと思ってるんだが」

「週末にある演劇部の合宿ですか?」

「よく知ってるな。藤安ふじやすから聞いたのか?」

「ま、まあ」


 俺は後頭部がかゆくなった。それが理由で藤安さんにデートを断られたからな……。


「そうか、ならデートもお流れって訳か。ドンマイ」

「部長、演劇部の予定があるなら言ってくださいよー」

「はは、わりいわりい。まあ、お前も聞いてくれたらよかったのに」

「そうですけどー」


 そういえば部長も粟原温泉に行くんだよな。なんとか俺も合宿に乗り込めないものか……。

 あいつに先越されるのだけは嫌だ。


「あの、部長。折り入って相談なんですが……」

「いきなりどうしたんだ?」

「俺も合宿行っていいですかね? 建前は一人旅で……」

「それは構わんけど……お前は部外者なんだから別行動で行けよ? そもそもどうしてだ?」


 俺は藤安さんとの交友関係で思わぬ事態に陥っていることを話した。突如現れた史上最大の敵に手をこまねいている訳にはいかないのだ。


「やつも藤安さんを追いかけて温泉行くつもりなんですよ。もちろん一人旅でですけど」

「ほう、恋のライバルってやつか」


 ニヤリと部長は口角を上げた。

 俺はため息をつく。


「ライバルって、そんな綺麗なもんじゃないですよお……。奴は俺たちにストーカーしてたんですから」


 あいつの行動は男の俺からしても気持ち悪いわ。

 そんな奴が隠れて合宿に潜入しようとは……藤安さんに一ミリたりとも触れさせないからな!!


「落ち着けって。藤安を取られたくないんだろ?」

「……そうですけど」

「ふむ」


 部長は右手の拳を顔につけ、考え込む仕草を見せた。


「わかった。俺からも月島つきしまにそれとなく伝えておくよ」

「ありがとうございますっ!」

「絶対に藤安を取られるなよ。意地でもいいから、藤安を守り切るんだ」


 俺はこくりと頷いた。

 その後、部長から演劇部員たちが泊まるホテルについて教えてもらい、予定表をSENN《セン》で送ってもらった。

 夕方部活が終わった後俺はすぐにアパートに戻った。すぐにホテルに連絡を入れると幸い部屋は余っているという。

 すぐに予約を入れると、俺はベッドの上に仰向けになった。


――これでよし……


 なんとか俺も主戦場に行く準備は出来上がった。あとは藤安さんに当日俺もホテルに行くことと、その目的をSENNで伝えるだけ。


 やつより先に行動しないと藤安さんは守れない。頭の中に刻み込みながらも、俺は疲れ切ったのか次第に意識を手放していった。


***


 週末まで比較的平穏な日々が続いた。

 俺は公募に出すための小説執筆に専念していた。とにかく、合宿までには半分程度書き上げたい。


「よし……」


 俺は額の汗をハンカチで拭った。

 一息つこうと、他の文芸部員がれてくれたコーヒーに口をつける。


「……!」


 苦みが口の中に充満し、俺の身体が拒絶反応を示す。

 やばいっ!


 俺は無理やり黒い液体を口の中に流し込む。嫌な感触が喉の奥から腹に落とされていく。思わず俺は息を上げた。

 ヤバい、外出て水飲まねばっ!


 俺は急いで部室を飛び出し、食堂に駆け込んだ。自販機に速攻でミネラルウォーターを購入し、ベンチに腰を掛け水に口を付けた。

 水が苦みで汚染された口腔を浄化していく。


 ……ふう


 苦手なものはいつまで経っても苦手である。

 しかし前に部長が言っていたように、いつまでも青い訳にはいかない。藤安さんを守らないといけないのだ。


 ――高林君?


 俺を呼ぶ透き通った声。顔を上げると、茶色い鮮やかな髪を肩まで伸ばした女の人。彼女は夕日をバックに俺を見ていた。

 そこに守るべき人がいた。


 あまりの美しさに俺は思わず見惚れてしまった。


「藤安さん……」

「どうしたの? 休憩?」


 こくりと一つ頷く。


「藤安さんこそ、どうしたの? 部活じゃないの?」

「ちょっと気分転換したくてね……隣、座っていいかしら」

「うん」


 藤安さんは俺の隣に腰掛けた。

 まだ藤安さんに俺も温泉に行くことは伝えていなかった。そして彼女は伊達が手を出そうといろいろ画策していることも知らない。

 藤安さんを守らなければ……!


 周りには誰もいないし絶好の機会だ。


「あの、藤安さん……週末の事なんだけど、俺も温泉に行くことになった」

「あら、どうして」


 藤安さんは首を傾げた。

 奴が藤安さんを狙ってることを告げるのは勇気がいる。


「気分転換もなんだけど……伊達も行くみたいなんだよ」

「え」


 藤安さんの口は開いたままふさがらなかった。


「な……なんで」


 俺は周囲を見回し、安全を確認する。


「どうやらあいつは藤安さんきみを狙ってるんだ」

「……」

「それで……俺は……藤安さんきみ守りたい」


 言葉を放つのにやけに時間がかかった。俺は強く目を閉じた。

 俺と藤安さんの間に沈黙が流れる。しかし、愛の告白ではないが俺の心臓は爆上がりだった。

 やけに時間が長く感じる。


「……ありがとう」

「……」


 藤安さんからこぼれた言葉は硬直した時間を温め溶かし始めた。しかし、気まずい雰囲気が張れたわけではなかった。

 顔を上げると、彼女は瞳を隠して床に目を向けていた。


「高林君、あなたの気持ちは嬉しい。だけど……」


 藤安さんは顔を上げる。


「……」


 そこからまた張り詰めた緊張が場を支配した。


「……いや、なんでもない」

「え……」

「ごめんね」


 俺は何をしていいかわからなくなった。とりあえず、


「こっちこそ、いきなり変なこと話してごめん」

「気にしないで? 大したことじゃないから」


 そう言って藤安さんは軽やかに微笑んだ。だが、その顔はどこか寂しそうだった。

 俺たちはその後ほとんどしゃべらなかった。十分も経たないうちに俺たちは別れた。


 帰宅後、ずっと気分が晴れぬまま俺は天井を眺めた。


 藤安さん、いったい何を言いたかったんだろう。

 まさか、別れたいとか……!? なら、藤安さんにまずいこと言っちゃったかな……それとも嫌われたのか


 そんなことはないと思う。嫌われるようなことはしていないし、言葉は慎重に選んだはずだ。


――どうして


 何を考えてもいたずらに時間が過ぎるだけだった。

 そして、運命の週末を迎えることになった。


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