第49話 俺は彼女と切り抜けたい

 俺と藤安さんの先に立つ女――折山おりやま貴子たかこ

 彼女は手先の大柄な男数人を引き連れて、俺たちの前に立ちはだかった。

 折山が一歩ずつ近づいて来る。


「どさくさに紛れて逃げようって魂胆だろうけど、私があなたたちを逃すとでも? せっかくの計画を邪魔にしてくれてるのに、何考えてるのかしら」


 俺は怯える藤安さんを庇うように彼女の前に出た。


「計画? 俺たちを巻き込んだのはお前らだろ? この事件を裏で手を引いていたのも、折山、お前だろ?」


 俺は折山に臆さず反論した。

 しかし、折山は涼しい顔で妖しげな笑みを浮かべる。


「本当なら証拠を見せて欲しいけど、あなたたち陽子ようこちゃんと一緒にいたから、それで十分ね。でも、私が裏で関わっていたってよく分かったわね」

福平祭ふくだいらさいが終わった後のお前の動きが怪しかったからだよ」


 藤安さんと早乙女さんの演劇対決の時に大学に来ていたトラックもだが、このビルは折山財閥の持ち物だ。

 さらに、舞台ロケに貸し切った清水寺で浅木の兄が演技に参加していた。

 そして浅木は藤安さん捜しにも協力的ではなかった。


 ここで俺はある仮説を導いた。


――はじめから浅木の計画に加担していた


 しかし、折山は手を数回叩きながら一歩前に出た。まるで小馬鹿にするように。


「すごいすごーい! さすが、文学部の作家先生なだけはあるわ。ラブコメじゃなくて、推理小説でも書けばよかったんじゃない? でも、舞台設定には苦労したけどね。陽子ちゃんがどうしてもあなたたちを始末したいっていうから、協力してあげたの」

「……何が目的なんだよ、お前」

「ん? それを知ってどうするの?」

「"計画" を話せって言ってるんだよ。俺たちがお前に何をしたって言うんだよ」

「ふ……」


 不敵に微笑むと、鬼のような形相で俺たちを睨んだ。


――あなたたちは私がせっかく時間をかけて用意した舞台を滅茶苦茶にしたのよ


 折山の言葉、いや表情に俺は体の底から凍り付いた。得体のしれない恐怖が俺を飲み込もうとする。

 なんとか返す言葉を探し、口から吐き出す。


「いったい……何をする気なんだ」

「私ね、人のためにお金を使うのが大好きなの。でも、貴方たちはそれをぶち壊した。せっかく財産を投げうって陽子ちゃんや早乙女さおとめさんの希望を叶えようとしたのに」


 折山は残念そうな様子で言うが、おそらく演技だろう。俺は彼女の発言が言い訳に過ぎないと考えていた。


「じゃあなんで浅木を捕まえようとしたんだ? 浅木と約束があるって言ってたじゃんか。早乙女さんも、お前のこと愚痴ってたぞ? 別に理由があるんだろ?」


 気を取り直し、俺は疑り深い目で折山を探る。

 しかし、折山は何かを悟ったかのようにニヤリと笑った。そして次に発せられた言葉は、身の毛もよだつ恐ろしいものだった。


――ふっ……やっぱ正直に言うっきゃないか。どうせあんたたちはここで終わりなんだから


「ねえ、高林たかばやし君。世の中で一番大事なものってわかる?」

「……」


 一瞬心が揺さぶられた後の折山の言葉に、俺は口を開けたまま沈黙するほかなかった。


「すぐに思いつくはずなんだけど、わからないかー。すでに答えを言っちゃってるんだけどなー」


――お金。これさえあればなんだって出来る。全てのものが思いのまま


「ね? 簡単でしょ?」


 なぜかウインクする折山に俺は身を引いた。

 折山の目は殺気立っていた。今にも俺と藤安さんを亡き者にせんとするような目つきで。


――だけどね、高林君。あなたはそれを妨害したのよ


「なんで……お金なんて……。お金より命が大事だろ」

「お金ごとき? 私にとっちゃね、お金は命より大事なの。私にとって、お金がいっぱいある今が大事なの。ただの落ちこぼれのあんたらには分からないだろうけど、金があればなんでもできるのよ! 地位、名声、名誉、なんだって手に入るわ!」


 あまりの怒声に俺は怯みそうになるが、頭の中で別の疑問が浮かび上がっていた。

 何で彼女はそこまでお金にこだわるんだ?

 震える藤安さんを守るように前に出ると、俺は大きく息を吸って問いかけた。


「なあ、なんでそこまでお金に執着するんだ? 本当に金だけのために俺たちを巻き込んだのか?」

「いい質問じゃない。どうせすぐほうむられるんだから、教えてあげる」


 折山貴子。彼女は折山財閥という日本でも屈指の企業体を運営する名家の出身だった。子供のころから家族に愛され、何不自由のない生活を送ってきたという。

 しかし、彼女はどちらかというと家族に溺愛されていた。

 欲しいと思ったものは手に入り、彼女が願ったことは必ず叶えてくれた。

 彼女の実家には無尽蔵とも言える財力があった。

 そのうち彼女が成長すると、今度は自分がお金の力でやりたい放題するようになっていった。


「好きなことにお金を使える。とてもいい話じゃない」


 彼女は俺たちの前で堂々と言い放った。

 俺は聞き捨てならなかった。こいつの身勝手な動機で、俺たちは……!

 俺の声は次第に重く、大きくなっていった。


「自分のためなら他人なんてどうでもいいんだな。そりゃ命より金になるよな」

「あら、どうでもいいなんて思っていないわよ? じゃなきゃ、早乙女さんや陽子ちゃんに協力するはずないじゃない」

「うるさい! 何度も同じ話をするな!」


 涼しい顔をする折山に、俺は大声を上げた。


「お前は身勝手すぎるんだよ。他人に迷惑かけておいて自分さえ良ければいいとか、お子様すぎるんだよ!」


 俺は怒りを折山にぶつけていた。とにかく、この女がクズすぎて許せなかった。

 しかし折山は、


「身勝手で結構。自分のお金なんだから、勝手に使えばいいじゃない。あと、約束は約束。破ったんだから償うのは当然じゃないの?」

「てんめえ……!」


 更なる怒りが腹の底から噴き出そうとする。しかし、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 振り向くと、藤安さんが落ち着いてと言わんばかりに俺を見ていた。


「……あいつのペースに乗せられちゃダメ」

「だけど……許せなくて……!」


 藤安さんは一瞬目を閉じると、すぐに茶色い瞳を俺に向けた。


――気持ちはわかるわ。だけど、相手にしたら、あいつの思うつぼなんだから


 俺は藤安さんの言葉にはっとした。

 目の前にいる藤安さんが中学時代の彼女の面影と重なった。

 俺がいじめられていたときの、あの彼女だった。


「絶対に相手しちゃダメ」

「……」

「あなたなら大丈夫。今こそ、落ち着いて」


 なぜか自然と俺の腹に煮えたぎっていたマグマがひいていった。


「あなたなら切り抜けられるはずよ。私、何度もあなたが困難を切り抜けてきたところ、見てたんだから」

「……うん」

 

 背後には折山、そして屈強そうな男たち。ひ弱な俺では絶対に勝てない。

 俺は右隣の窓の外を確認した。

 ここは二階。地上五メートルほどだろう。ビルの真下には車が停められている。

 無事に助かっても損害賠償とかされそうだ。

 だけど、今は……彼女とこの窮地を脱するにはこうするしかない!


 俺は折山に向き直った。


 このかん、自分でも不思議と冷静でいられた。

 一方で折山は怪訝けげんそうに俺たちを眺めていた。


「何やら話していたみたいだけど、私はあんたらを逃すなんて一言も言ってないんだけど?」

「どうするんだ? 俺たちを消すのか?」

「まあね。邪魔したんだから、償ってもらわないと」

「むしろ償って欲しいのはお前の方だけどな」


 そして俺は一呼吸置く。


「逃がさないなら、逃げてやるよ」

「何馬鹿言ってるの?」


 俺は藤安さんに耳打ちし、俺が彼女を背負うことを話した。


「え、何する気なの!?」

「ごめん! 話してる時間はないけど、本当にごめん! とにかく、俺を信じて!」

「……わかった。あなたを信じる」


 藤安さんは俺の背中から、肩につかまった。

 折山は鬼のような形相で俺たちを睨む。


「ごちゃごちゃと悪あがきを……! 逃がさないわよ!」

「なあ、一つ聞いていいか? 金より大事なものってあると思うか?」

「は? 馬鹿なの? さっき言ったじゃない、お金だって」

「お金で買えないものだよ。命もだが、他にもある」

「何よ! 言いなさいよ!」


――愛だよ


 そして、渾身の力で窓に体当たりした。

 大きな音を立て、窓ガラスが割れる。ガラスが飛散し破片で痛みが走る。

 眼前に夕暮れに沈む京都の街並みが広がっていた。

 だが、眼下には、地に足つける場所はなかった。

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