第55話 俺は彼女をヒロインにしたい

 宮部みやべさんのお願いは滅茶苦茶なものだった。結論を言うなら、さっさと自分の想いを藤安ふじやすさんに伝えろというものだが、その予行練習として俺の小説をもとにした演劇をするらしい。スタッフを集められるわけもないので、行うシーンは告白だけらしいが……。

 あの、いくら俺が藤安さんとの付き合いをネタに小説にしたからって、人の小説で告白させようとするなよ……。他人からしたら面白いかもしれないけど、フィクションはフィクションである。

 しかも宮部さん、どうやら千葉ちば部長にも根回ししていたようで、SENNで部長にそのことをからかわれた。


 まあ、早いこと決着をつけたほうがいいに決まっている。ぐずぐずせずに、藤安さんに気持ちを伝えろ! 俺!


 だが、ひとつだけ気がかりなことがあった。


 俺を藤安さんは恋人と認めてくれているのだろうか。

 

 これまでの彼女の反応、決して悪いものではないはず。

 だが、一番気になるのは彼女の心の中で生き続けている恋人のアイツーー松田まつだ純一じゅんいち。奴を超えたと認められなければ、またあの時みたいにフラれて終わりだろう。

 今度は奇跡(と言いたくはない辛い経験だったが)も起きない。


 しかし、今なら大丈夫。きっといけるはず。


 これまで藤安さんとの恋は千葉部長や宮部さんの手助けもあって、なんとか進展してきた。

 だが……この「決着」は自分で決める。ゴールはもうすぐそこなのだ。


 俺はカレンダーを見た。来週はクリスマスか。宮部さんはその日に予行練習をすると話していた。

 ならば、決行日は前日、クリスマス・イヴだ。

 宮部さんをギャフンと言わせてやる! 成長した俺を見せつけてやる!


 俺は深呼吸すると、スマホを取り出しSENNにメッセージを入れる。何回も行っているとはいえ、こちらから誘い出すのは勇気がいる。

 でも、やると決めたからにはやるしかないんだ。


 彼女からの返事を待つ中、俺はコンテストの結果発表を待った。

 サイトの一次選考通過作品と作者に俺の名前がないか確認する。


「…………よし!」


 俺はガッツポーズをした。


 しばらくして、藤安さんから返事が来た。決行日に予定を入れていないとのことだった。


 よっしゃ!!


 俺は部屋が振動するくらい飛び跳ねようとした……がすぐに頭の上から押さえ込む。

 今はよせ。隣の部屋は藤安さんだろ? 気づかれたらどうするんだよ。台無しになるぞ。


 今は、決め手の言葉を考えるだけだ。小説執筆より、現実で先に決めたい。 

 俺はカーテンを開けた。


 満天の冬の星空。

 クリスマス。

 そしてーー


 俺はデート先を考えると、藤安さん宛てのメッセージを入れた。

 デートの最大のイベント、それは告白である。

 俺はある場所で実行しようと考えていた。

 福平には天体観測で有名な場所がある。ちょっとしたデートスポットになっているらしい。当然カノジョなんていたことがない俺には縁遠いスポットなのだが。

 

 とりあえず、その日はアルパで映画見て、隣町のクリスマスの買い物をして、そして夜には……とまあ、こんな感じで決めた。

 藤安さんも行きたいところあるだろうから、意見を聞いた。

 あくまで予定だから楽しめればそれでいいだろう。


 そして、当日はやってきた。


***


 十二月二十四日。天気はまさに狙ったかのような清々しい冬晴れ。日本海側の福平では貴重な晴れ間である。

 俺は藤安さんの部屋のドアをノックした。朝九時に誘いに行くことになっていた。


ーー久しぶり! 高林たかばやしくん!


 ドアが開き、中から彼女が出てきた。 

 俺の体は硬直した。


 赤いローブに身を包み、クリスタルの宝石がついたネックレスをかけた藤安さんーー

 赤と彼女の茶色の髪と調和し、落ち着いた大人の美しさを感じた。

 そして彼女が俺のためにこんな着こなしをしてくれたと思うと、たまらなく嬉しくなった。


 俺たちのクリスマスデートが始まる。


「うん、行こう!」


 俺と藤安さんは二人だけの時間を過ごした。電車に乗って近くの遊園地で遊び、ショッピングモールで買い物……そして映画館で映画を鑑賞――とにかく、時間が許す限り俺たちはこのかけがえのない時間を満喫した。

 俺は藤安さんとデートができるだけでも大満足だったが、彼女も楽しんでいるようでうれしかった。


 俺たちは出会って二か月とちょっとしか経っていない。もともとはラブコメを書きたいという理由で紹介してもらった彼女だったが、俺たちはある意味で波乱万丈な時間をこの短期間で過ごしていた。

 それくらい、ある意味では充実していたのかもしれない。そう、俺は晴れてリア充になれた……え、そうじゃない?


 決して楽しいだけの恋路ではなかったけど、様々な困難を乗り越えて、俺たちの絆は確実に強くなっていったと思う。


 そして陽が落ち、俺たちは福平でも星の名所とされている福平ふくだいら自然保護センターに来ていた。市街地から少し離れた小高い丘にある天文台で、クリスマスの時期は数十万個の青や白色のLEDの電飾が点灯していて、さらに天文台の周辺が淡く青白くライトアップされている。


 俺たちは星空のトンネルを歩いていた。

 星空がすぐ近くまで降りてきて、俺と藤安さんを包み込んだ。俺はまるで星空がすぐ近くあるような、幻想的な光景に見惚れていた。

 ふと藤安さんに顔を向けると、彼女も気持ちは同じだった。

 だが、彼女の横顔が淡く青白く映り、言葉では言い表せない美しさに釘付けになってしまった。


 俺の心臓の鼓動が高鳴った。やっぱり、彼女は綺麗だ。


 本当にここに来てよかったと思う。


 そして天文台の屋上。満天の星空が広がる中、俺たちは一緒に写真を撮った。それぞれのスマホで相方同士の写真を撮る。

 彼女の写真を撮るとき、可能な限り星空と調和するように調整した。藤安さんの美しさと星の幻想感、俺は夢中になって写真を撮った。


 写真撮影が終わると、俺たちは横に並んで星空を眺めた。

 電飾による星空もいいけれど、リアルの夜空は綺麗で、鮮やかだった。


「綺麗ね……」

「うん……」


 藤安さんは俺に顔を向けると、微笑んだ。

 いや、星空に負けないくらい奇麗です……ハナちゃん。


「こんな素敵な星空、まだ松田まつだくんが生きていた時以来だわ」

「あいつと一緒に見てたの?」

「まあ……ね。夜、二人で見てたのよ……。冬の星空がきれいで、布団かぶってずっと見てたっけ……」

「……」


 夜二人で……布団かぶって……?


 まさかあいつ、すでに藤安さんのあれを奪っていたとかないよなあ……!

 謎のプライドが俺の心を燃やした。俺の身体の周りに赤いオーラが生じている。

 イケメンだからって好き勝手やりやがって……!


「おーい、高林君? どうしたの?」


 不思議そうな顔を向ける藤安さん。

 俺は冷水をぶっかけられ、燃え盛るオーラは消えてしまった。


「あ、ごめん。なんでもないです」


 必死になって飛び出そうな本音を隠す。まあ、浅木や近衛じゃないからそれはないだろう。噂も聞いたことないし。

 とはいえ、俺も藤安さんと松田の関係は気になっていた。

 今日の彼女はどこか清々しい表情のようだ。どこか、自分の過去に一区切りをつけた感じだった。


 俺は……印象が悪くなること覚悟で聞いてみた。


「その……松田とはどこまで仲良かったの? 家族みたいな感じだって聞いたけど」

「ん? まあ、いい人だった。私の、大切な人だった」


 彼女の声が一瞬暗くなる。


「……」


 地雷だったか?


「松田くん、私が家族を亡くしたとき、寄り添ってくれたのよ」

「家族を、亡くした?」


 彼女の意外な一言に俺はポカンと口を開けた。藤安さんのご家族のことは知らなかった(というか、知る機会すらなかった)。


「あの、誰か事故で……?」

「弟が自殺したのよ……いじめで」

「えっ」


 いじめ。その言葉で俺の心臓が止まりかけた。

 藤安さんの弟は彼女と三つ年下で気が弱く、大人しい性格だった。同時に心優しき少年で、姉の藤安さんはよく可愛がっていたという。

 しかし彼女が小学生だったころ、クラスメイトからひどいいじめを受けて自ら命を絶った。

 悲しみに暮れる彼女の支えになってくれたのが松田だったという。以降、彼女は松田と行動を共にするようになった。


 宮部さんが言っていたように、藤安さんと松田はまるで家族のように親密だった。

 松田は子供のころから正義感が強かったようで、いじめや嫌がらせがあれば自分から進んで仲裁に入っていた。これは父親が警察官、母親が弁護士であったことが大きかった。

 彼女がいじめを許せない性格になったのは、弟をいじめで亡くしたからだが、やはり松田の正義感に心を惹かれていったというのが大きかった。

 中学時代に彼女が手を差し伸べてくれたのは、ある意味松田のおかげでもあった。


 中学に上がっても二人の関係は続き、いつも行動を共にしていた。今日の俺たちみたいに星空を眺めて、一夜を過ごしたこともあった(幸いにも”大人の関係”にはならなかったが)。


 深い悲しみから立ち直らせてくれたのは、紛れもなく松田だった。


 しかし、そんな松田に浅木の毒牙どくがが襲ったのはその矢先だった。


「あとは、あなたも知っているはず。姿は見えなくても、私のすぐそばで松田君は生きていた……」


 藤安さんは顔を上げた。

 冬の星が一面に広がっている。


「いや……私は幻影を追っていたのね。こんなに近くで、私を守ってくれる人がいるのに」

「……」


 それが誰かはわかっていた。俺は拳を強く握った。


「それとね」


 藤安さんは瞳をこちらに向けて、優しく俺に語りかけてきた。


「ナエに言われて、あなたの小説を勝手に読ませてもらいました」

「え、マジで?」


 藤安さんは首を縦に振った。いや、読んでくれるのはありがたいけど、なんか恥ずかしい……。


「で、どうだった?」

「最近どこかで見たような展開だけど、面白かったよー。評価入れておいたからね」

「あ、ありがとう!」


 思わず藤安さんの手を握った。一作者として、その言葉が嬉しくてたまんないぜ!

 だが、同時に彼女の「最近どこかで見た展開」が気になった。


 まさか、バレてないよな。


「でも、あの小説の元ネタって、あなたと私でしょ?」


 あ。バレてた。

 俺の口があんぐり開けられた。


「ふふっ。当たりだったみたいね」

「だって……コンテストに間に合わせたかったから……」


 口が裂けても、ラブコメを書くために藤安さんと付き合っているなんて言えない……なんか恥ずかしい……。


「でもね、私たちの仲をモデルにしてるのなら、あなたの気持ちもなんとなくわかる気がしてね。あなたは、リアルでも小説でも私を大事に思ってくれた」


 もう一度彼女は星空を見上げた。


「前から思ってたんだけど、私も進んでいかないといけない。だから、この前松田君に話してきたの。ずっと私たちを見守っていてくださいって」

「……踏ん切りを、付けたの?」


 口から震える声が漏れた。

 寒さのせいか体も震える――いや、心も震えている。これは寒さだけでない。


「そうね」


 そう言って彼女は俺に微笑んだ。とびきりに、愛おしい笑顔で。


 俺の心臓の拍動が速くなり始める。今、ここが一番のチャンスかもしれない。

 今なら……きっと……。


 俺は藤安さん……いや、ハナちゃんの手を取った。

 ハナちゃんは不思議そうな顔を俺に向けた。


「ど、どうしたの」

「ふ……は……ハナ……ちゃん」


 心臓の拍動が速すぎ、息が上がる。

 額から汗が吹き出し、俺の足元に滴り落ちる。

 おい、何でこうなるんだよ! 今まで頑張ってきたのに、何で俺の身体はヘタレなままなんだよ! すでに決意は固まっているのに!

 俺の身体よ! 無理やりでもいいから、震えを止めてくれ! 今だけでもいい!


「だ、大丈夫? 風邪ひいちゃった?」


 ハナちゃんは心配そうに俺を見る。


「だ……大丈夫……」


 もう、時間は残されていない。

 どこまでもヘタレなのは仕方ない。だけど、今だけはっ! 今だけはっ! 俺の身体よ、ついてきておくれっ!


 俺は腹の底からエネルギーを感じた。しかし、そのエネルギーは自然と体全体に広がり、震えが沈静化していくのを感じた。


 自然と、もう一度彼女を向き合う。この時の俺は、自分でも恐ろしく落ち着いていた。


「ハナちゃん……」

「?」


 そして、目の前にいる愛おしい人を抱きしめた。


「えっ……」


 彼女のぬくもりを感じると、震えが少しずつ収まる。

 俺は顔を少し横に向けた。目の前には彼女の華凛かりんで艶やかな唇。

 俺は目を閉じた。


 そして……。


 彼女のやわらかな、温かみのある体温が口腔に広がり、身体を満たしていった。

 

 多分、リアルで経った時間は一分足らずだろう。

 しかし、俺にはそれが何時間にも及んだように感じた。

それくらい、長かった。


 そっと口を離し、目を開ける。目の前では、彼女も目を閉じていた。


「……カズキ、くん」


 ハナちゃんの口から出た第一声は、多分、彼女の本当の気持ちなんだろう。

 俺はもう一度彼女に向き合い、口を開く。


「ハナちゃん……」


――俺のヒロインになってください


 そして、俺は目を強く閉じた。この後の沈黙も、リアルでは短かったが感じた時間は相当長かった。

 心臓の鼓動だけがやけに強く耳に響いた。

 沈黙は、唐突に破られた。


――……はい


 その声は紛れもなく、ハナちゃんのものだった。


 俺は目を開けた。目の前でハナちゃんは涙を流していた。涙をハンカチで拭い、彼女は俺に目を合わせた。


「私も……あなたが好き」

「……ハナちゃん」

「ありがとう……カズキくん……」


 俺とハナちゃんはもう一度手を取り合うと、抱き合った。


 こんな夜は俺も……たぶんハナちゃんも初めてだろう。とにかく、俺たちはひとつになれた。


 ヘタレな俺と、幼なじみの演劇部員の恋物語は晴れてひと段落を付けることができたのだ。


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