第44話 俺は彼女を救いたい

 近衛このえ基樹もとき――彼は俺をいじめていたいじめグループの副リーダーであり、浅木あさぎの右腕的な男だった。俺への仕向けられたいじめは主に近衛が行ったものだ。奴から受けた仕打ちは言葉で表せないほどに、俺の心をえぐった。

 しかし、ある日彼が忽然こつぜんと姿を消したのだ。

 中学二年の秋の遠足の時だった。場所は俺たちの実家があった街の近くにある山、五十谷山いそだにやま。帰りのバスの点呼で、藤安ふじやすさんと近衛の姿が見えなかったのを覚えていた。

 後日、藤安さんは腕に包帯を巻いて学校に復帰したが、近衛は行方不明。捜索は続けられたというが、とうとう戻ってくることはなかった。


「あんたでしょ? 基樹を崖から突き落としたの。答えてくれる? ねえ」


 浅木は藤安さんに顔を詰め寄るように近づけた。藤安さんは本能的に顔を逆方向に向けた。


「……あれは……」


 藤安さんの弱々しい声。

 だが、虫をつぶすかのごとく、浅木は藤安さんの横腹に足を乗せ、力を入れた。

 藤安さんのうめき声が聞こえる。


「黙りなさい。あんたは事故だって言いたいんだろうけど、どこからどう見ても殺人じゃない。基樹に言い寄られて、うざかったから突き落としたんでしょう? でもね、うざい男でも私にとっちゃ命の次に大事な人だったの。基樹は戻ってこないの。どうしてくれるの?」

「……」

「答えないの。ま、予想はしてたけどね。どうせ事故だ事故だとしか言わないって。それなら、もっと痛めつければいいのよ」


 そして、浅木は右足を上げると思いっきりその足を振り下ろした。


 うっ……っ!


 俺の彼女が……大切な人が……苦悶の表情を浮かべている。

 女の足が振り下ろされるたびに、俺は反射的に目を閉じた。見ていられない……。

 こんなの、もう見たくない。

 この状況を切り抜けなければ。

 絶体絶命の状況を変えねば。

 そして、俺の彼女を……救わなければっ!!


 俺は腹の底から、とんでもないエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。


「浅木いいいいいいっ!!!! やめろおおおおおおおおおっ!!!!」


 大声は波となり、部屋を飲み込んだ。ガラスは軋み、照明は揺れた。

 周りの者は耳をふさぎ、身体を震わせた。


 声が止むと視線は俺に向けられていた。

 浅木も、義明も、そして藤安さんも、何が起こったのかよくわからない顔をして、その目を俺に向けていた。


 俺は肩で息をしていた。


「藤安さんは……やって……ないっ!」


 息を切らせて、晩秋なのに滲み出る汗を拭い目の前にいる敵の女を睨みつけた。


「殺すなんて、するわけないだろっ」


 とにかく俺は感情を爆発させていた。多分、中学の時には見られなかった光景だと思う。

 俺は、目の前で傷つき、苦しんでいる彼女を救うために、俺は必死だった。


「……ふっ」


 敵の女はニヤリと口角を上げた。


「殺したって証拠があるのに? 命乞いしてるのかしら?」

「本当に証拠があるのかよ。浅木、近衛の遺体が近くで見つかったからって、藤安さんが突き落としたって証拠になるのか? そもそも、誰かが見たのか?」

「状況的に見て、藤安さんが突き落とした。それだけよ」


 俺は無性に腹立たしかった。俺も居合わせたわけじゃないからわからないけど、藤安さんがそんなことをするとは信じられなかった。

 何よりも、この女は初めから藤安さんが突き落としたと言い張っているのだ。

 俺が言い返す言葉を考えていると、それを見越してか、浅木が口を開く。


「それだけ藤安さんがやってないって言うなら証拠を持って来なさいな。藤安さんを救いたんでしょ?」

「……!」

「まあ、いじめられてたヘタレ野郎にできるなんて思ってないけど」


 軽々しく言い放つ浅木に対し、俺の答えは決まっていた。


「乗ってやるよ。その喧嘩」


 俺は低い声で言い放つ。


「あのとき何があったか……証明してやるよ」


 俺がすべきことは、一つしかない。彼女の無実を証明することだ。

 浅木は不敵に笑うと、


「あら、たいそうな口聞くじゃない。無理とわかってて挑むのねー。馬鹿みたい」

「やってみなきゃわかんねえよ」

「そう……どうせやめるつもりがないなら、時間をあげる。二十四時間後にここに来なさい。それまでに無実だと証明すること。出来なければ……」


 浅木はうずくまる藤安さんを侮蔑の目で見る。

 藤安さんは弱々しい息で顔を上げようとするが、すぐに目を背けた。

 浅木は俺にその目を向け、


「まあ、精々頑張りなさいな」


 やるしか、道はないのだ。


***


 男が消えたのを確認すると、女は勝ち誇ったかのように笑った。

 しかし、隣にいた彼女の兄はそんな妹を哀れんだ様子で見ていた。


――なあ、陽子。始末したければすぐにれたはずだろ?

――いいのよ。面白くなってきたから

――はあ? お前の考えてることはよくわからないよ。さっきまであれだけこのりたがっていたくせに。本当は何がしたいんだ?

――私と基樹と同じ目に遭えばいいのよ

――同じ目に? そもそもお前、あいつが死んだところを見たのか?

――死ぬ瞬間なんてどうでもいいの。でも、私は少しでも生きているって希望を持っていた。だけど、こいつは基樹を奪って私を孤独と絶望に突き落とした。そんな奴が、幸せそうにしてるのが許せないの

――……それで、上げて落とす訳か

――まあね


 はあ……と男はため息をつく。


――結局唯一の家族である俺はいつも蚊帳の外かよ。まあ、いいけど


 兄は顔を妹に向けた。


――お前、復讐のためなら手段選ばない感じだけど、たまには冷静になれよ。清水寺もだけど、お前はあの子に計画を援助してもらってるんだろ?

――事が終わればいいのよ。事が終われば

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