星空とふたり編

第52話 私は彼の小説が読みたい

 あれから数日後、私は退院して福平ふくだいらに戻った。

 季節は十二月。初雪が降り、すでに福平は寒くなっていた。

 命をかけて私を助けてくれたあの人は京都の病院で入院している。しかし、元気そうでたまにSENNに自撮り写真とメッセージを送ってくれる。あの人は笑いながらわたしに向けてピースしていた。


――あと三日くらいで退院できそう^o^


 それは陰鬱な気分になっている私の、数少ない楽しみだった。


 あの事件を通じて、私の中であの人の存在は大きくなっていった。

 これまでも私に対して一途なあの人に想いを寄せていた。

 しかし、私の中には表現のしようがない気持ちが生まれ始めていた。

 このまま、あの人と一緒に前に進んでもいいのか。私には、忘れてはいけない人がいたはずだ。

 スマホの画像欄に私の幼い頃の想い人の写真が収納されている。彼――松田まつだ純一じゅんいちは私のかつての友人であり、唯一無二の恋人でもあった。松田君は私の家族のような人で、精神的な支えでもあった。彼が亡くなってからも私の心の中で生き続けていた。彼のことを思い出すと、辛い状況でも乗り越えられた。

 そして、それは今も同じである……はずだった。


 今は松田君よりも……あの人が……。


 忘れてはいけないのはわかっている。だけど、いつまでも過去にとらわれているわけにもいかない。あの人は……誰よりも私のことを思っていてくれるから。

 私はそっとスマホの画像欄を閉じた。


 いずれ、考えないといけないのだ。


***


 私はしばらく大学に行けなかった。あの事件があってから、私は外に行くのが恐ろしくなった。

 演劇部もしばらくの間活動中止となった。部員の一人である折山おりやま貴子たかこが逮捕されたからだ。彼女は京都で恐ろしい事件を起こし、私たちを恐怖のどん底に陥れた。彼女の行動だけでなく、裏で私たちの同級生と繋がっていたこと、恐ろしい計画を立てていたことは驚愕と恐怖の言葉しか浮かばなかった。

 事件は私たちに深い後遺症を及ぼした。

 部員たちは警察から事情聴取を受ける人やショックで精神を病んでしまった人もいた。

 部長の月島つきしまさんや早乙女さおとめさんは事件のことで事情聴取を受けており、活動再開はまだまだ先になるとのことだった。


 そして、一か月後に開かれるクリスマス公演への参加も辞退することになった。

 部内で犯罪を起こした者がいるため、断念せざるを得なかった。とはいえ、合宿までして頑張ってきた部員たちにとって辛い現実だった。


 そんな中、私はアパートで一人ベッドの上で寝転がりながらスマホの画面を眺めていた。なんとなく今日のニュースが気になっていた。

 その時、SENN《セン》に通知が入った。


ナエ【久しぶり! たまには外でお茶しようよ お日様に当たらないといつまでも元気になれないからさ】


 親友の宮部みやべ奈恵なえからのメッセージだ。ナエはたまに他の演劇部員や千葉さんと会っていたようだが、私は気づけばもう一週間も引きこもっていた。

 少し考えたのち、私は返事を書く。


ハナ【わかった】

ナエ【よし! じゃあ、新しい喫茶店出来たからそこにしよーよ! あたし迎えに行くから】

ハナ【ありがと、ナエ】

ナエ【どーいたしまして じゃね!】


 私はコートを羽織るとナエが迎えに来るのを待った。しばらくして、


「おまたせっ、ハナ!」


 ツインテールの親友はにっこり笑っていた。


「ナエ……」

「相変わらず暗いわね……。ヒロインがしょげてどうすんのよ」

「ヒロインって……何の話?」


 ナエはため息をつくと、


「ったく、あんた鈍感ねえ……。とりあえず、行くわよ」


 夕闇近く道を歩くこと数分、私たちは〈KOMEKO《コメコ》珈琲コーヒー店〉にやってきた。すでに県内では二十店舗ほどあるが、福平では最近オープンした喫茶店だった。


「ここ結構おいしいのよ? アメリカンとかノワールとか、個人的におすすめ」

「へえ……」


 内装は〈プラネットバックス〉に似ているが、やはりメニューが食欲をそそった。とりあえず私はナエのおすすめを注文した。


 そして、話は私たちの近況とかあの人の近況報告となっていた。


「へえ、もうすぐ退院できるんだ」

「うん。けがもだいぶ治ってきたって。あと、コンテストの結果もあと一週間ほど出るそうなの」

「確か、高林くんってラブコメ書いてたよね。それを公募に出したんでしょ」

「そうそう。私はまだ読んだことないんだけど……」


 小説投稿サイトに掲載されているらしいが、私は公演練習などで忙しくてなかなか読む機会がなかった。しかし、気になっていたのは事実だ。


「へえ、高林君のカノジョのくせに読んでないんだ……」


 ナエはにやついていた。


「え……何?」

「読んどいたほうがいいと思うよ? あんたにとって、大事な作品なんだから」

「大事な作品って、どうして?」

「カレシの作品だからに決まってるじゃないのー」


 にやにやしながらナエは顔を近づけた。私は一瞬身を引かせる。


「それで、あの後、コクられたわけ?」

「へ?」


 思わず目が点になる。


「どうなのよ。教えてよ」

「そ……それは……」


 あの人が目を覚ました直後……彼は意を決して私のところに来てくれた。そして、抱きしめてくれた……

 だが、その後は……


「……コンテスト締め切りギリギリだったから、すぐ帰っちゃった……」

「ええええええええっ!!!」


 思わずナエは机を強く叩いた。周りの店員さんやお客さんがこちらに目を向ける。


「ナエ!」

「あ、ごめん……」


 気を取り直したのか、ナエは私に激しく耳打ちしてきた。


「ったく、あのヘタレ作家は……! かっこつけるの好きなくせにいざというときに頼りないわねえ……!」

「……そんな事ないと思うけど。それに高林くん、本当に私をどう思ってるか、わからないし」

「それは分かるよ? でも、覚悟しておいて何も言わないって、主人公としてどうなのよ」


 しばらくナエは考え込んだ。

 そういえば、ナエはたまにあの人を主人公、私をヒロインっていうけど、何の意味があるんだろう……。

 考えを巡らせていると、ナエが人差し指を立てた。


「よし、決めた。あんた、高林君の小説読みなさい。これは命令よ?」

「え、いきなり何?」

「いいから。クリスマス公演も出られなくなっちゃったし、読む時間くらいあるでしょ?」

「ま、まあ……」

「よーし」


 なぜかひらめいたようにウインクするナエ。何か嫌な予感がする……。

 とはいえ、この機会に読んでみるのはありだと思った。

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