第四十八話 池の畔にて
「危なかったな」
ガトラは溜池の畔に腰を下ろし、小石を手にしている。
「シュレイの紹介状っていうのは何だ?」
「ああ、予め作っておいた偽の文書です」
事もなげにウルヴンが答える。ガトラは目を丸くした。
「おい、大丈夫なのか」
「カラナント防都軍長のアルバー=シュレイ。貴方も知っているでしょう。大丈夫です、この状況でわざわざ確認したりなどしません。それにシュレイ殿も検められれば文を書いたと答えていただけるはず」
「そうかもしれんが……。しかしありゃ、カリオルには完全にバレてるだろ。どうする、タディオールに協力を仰いで、第三軍ごと奪い南へ向かうか」
ウルヴンは首を振った。
「三軍の兵達はタディオールの練兵もあって規律は取れているが、実戦経験が乏しい。故郷であるジェンマ防衛は士気を上げられますが、例えタディオールの協力を得られたとしても……他の地への進行というのは難しいでしょう」
「じゃあどうする。俺たちだけでもカラナントへ逃げるか」
「残念ながら、ジェンマに長く留まることは最早難しいと言えます。カリオルのあの口ぶりからすると、我らに対し今まで以上に監視の目を強めるかも知れません。なんとかカラナントに活路を見出したいところですが……。しかし私の推測ですと、恐らくはもう……」
「ううむ……」
ガトラは唸って黙り込む。目の前の現実に対応できるだけの策が、彼の中では用意できなかった。手に持つ小石を溜池に放つといくつかの波紋が出来、岸へと行き渡る。その様子を見ていたイリアスが口を開いた。
「密告をしたというのは……多分、イレーヌだね」
ウルヴンが頷いた。
「恐らくは。やはりこの状況を楽しんでいるのでしょう。むしろ厄介なのはカリオルよりも、イレーヌに我らの居所が筒抜けであることです」
「確かにな。こうしている間にも茂みから襲ってくるかもしれん」
そう言いながら、ガトラは辺りを見回した。ここはジェンマの外れより西に一リートほどの場所にある密林。冷ややかな風が気持ちよく、今は雨が止んでいる。ここより少し北方は有閑階級の別邸が立ち並んでいた。
「イレーヌは……ボクをどうしたいんだろう」
座り込むイリアスがこぼした。
「ボクの存在がこうして皆を苦しめている……。身を偽って街に潜伏したり、命を狙われたり……。いっそのこと」
ウルヴンとガトラは黙ってイリアスを見つめている。
「いっそのこと、ボクがイレーヌの元へ向かえば……全てが解決するんじゃ」
「いけませんぞ、若!」
ガトラが腰を上げイリアスに向かって言った。
「でも……このままだと皆に迷惑が」
「迷惑をかけているのは若ではありません。イレーヌの方です。いいですか」
ガトラはイリアスの前に立ち、あらためて続けた。
「我らは自分たちの意思で若に尽くし、行動しておるのです。全ては大いなる志の元に」
「でも……」
「若君」
言い淀むイリアスにウルヴンが静かに言った。
「いずれ、行動しなければならなかったことも確かです……。ちょうどよい、これを機と捉え、次の指標を打ち出しましょう」
「ウルヴン……」
ウルヴンは一呼吸置き、イリアスとガトラに向き直った。風が一陣通り過ぎる。
「ガトラ……これより先、若君のお命は貴方にかかってきます。くれぐれもよろしくお願いしますよ」
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