第五十話 死の谷

「ガトラ、ここは……」

「はい、タッド山脈の西端。その山間になります。人々はここを死の谷、と呼んでおります」

 ガトラの言葉を聞きながらイリアスは馬上から辺りを見回す。イリアスの率いる隊は北と南に挟まれた峡谷のただ中にいた。西方にジェンマの街が微かに揺らめいて見える。山々には木々が生い茂ることもなく、その岩肌を顕にしていた。足元は細かい岩と砂が覆い、辺り一面が灰色と薄茶色に覆われている。死の谷と呼ぶには相応しい光景であった。

「不気味なところだね……ここはどの国領になるんだろう」

「はっ、名目上はノイ=ウルの支配地域ではありますが……この土壌と環境ですので、人も住み着きません。加えて冬期から春期にかけ、猛烈な吹雪が山間を東から西へと吹き抜けます。もうしばらくすれば立ち入ることは容易ではなくなるでしょう」

 騎馬に乗ったササクが答えた。イリアスはこくんと頷く。

「軍長からの話では、アラメイニ軍が大規模な移動を開始しているといいます。私達に与えられた任務はその真偽の見定めです。その他にも何か気づいたことがあればすぐに報告してください」

「はっ」

 兵たちが揃って返事をする。短い期間で第六小隊はイリアスとガトラにより、小隊の中でも十分な統率力と機動力を備えるに至っていた。

「よし、二列になりまずは東へと進む。各自警戒を怠らぬように」

 ガトラの指示に兵たちは機敏に動く。第六小隊はイリアス達騎馬兵を先頭に、東へと動き始めた。


 ◇   ◇   ◇


「……心配ですか?」

「え? ……うん……」

 ウルヴンの問いにノアが生返事をする。二人は馬車の中に向かい合って座っていた。

「ねえ、なんでアル達は東方へ向かったの?」

 ノアの問いにしばらく間を置いてウルヴンは答えた。

「……第三軍全てが南方へ赴けば、確実に叛意を疑われることになります。特に若君の率いる第六小隊は警戒の目を向けられている。ある程度範囲を大きく取り、第三軍が偵察活動をしているのだとジェンマ側に認識させる必要があります」

「でも……」

「ええ。危険が伴うのは確かです。しかし……ここを乗り越えなければカラナントへの道は閉ざされる。今、ジェンマが危機に晒されている以上、これ以上の猶予は我々には残されていません」

「うん……」

 溜め息混じりに呟いてノアは馬車から顔を出した。タディオールの騎馬を先頭に、別動の輸送隊を加えた軍勢は後方まで続いている。第一小隊、第三小隊はジェンマより遙か南へと進んでいた。右手には古びた西壁が、前方には山々が霞んで見える。

「とにかく今は若君たちを信じましょう。私達は私達で出来ることをするだけです」

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