第五十一話 見知らぬ書簡

「……失礼します」

「ああ、入れ」

 執務室の扉を開き、統括軍長であるワグリオが部屋に入った。眼の前には疲れ切った様子のパドロー首長が椅子に深々と座っている。

「連日の合議で疲れている。手短に話せ」

「はっ……」

 ワグリオは仰々しく一礼をすると話し始めた。

「このまま手をこまねいていては、いずれ軍は瓦解します。そうなれば抗戦も叶わず、アラメイニとのあらゆる交渉の手段を失うことに」

「分かっておる。だから毎日こうして話し合っておるのだろう」

「結論が出せぬまま、いたずらに時を重ねておりますが……」

「貴様、喧嘩を売っているのか……?」

 鈍い動きでパドローがワグリオを睨みつけた。

「いえ、滅相もない……。此の度参りましたのは、第三軍の扱いについてです」

「……? どういうことだ」

 パドローが眉間に皺を寄せて、ワグリオを見やる。ワグリオはまたしても大袈裟に頷くと話を続けた。

「は……。現在第一軍と第二軍は急ぎジェンマに駐屯させ、第三軍は各地に偵察に向かっている状態です。全てこのワグリオの指示により動いておりますが……特例として第三軍の全権限をタディオールに移譲してはと」

「そのようなことをしてジェンマから離れてしまったらどうする」

「タディオールはジェンマの防都に熱心に取り組んできました。今更流浪の軍に成り下がることもございますまい。それに……直轄軍から切り離してしまえば、その動向をアラメイニの監視下から外すことも可能ではないかと……」

「お主の口ぶりだと、アラメイニに戦いを挑むようであるのう」

「首長……よくお考えなされい」

 ワグリオは一息置くと、パドローに近づき声を潜めた。

「例えアラメイニに恭順してジェンマの平穏を保てたとしても……我らは一体どうなるでしょう。明らかに向こうの手のかかったものの厳しい管理下に置かれることは必至です。……いや、それで済むならまだいい方。下手をすればこのジェンマを追われるか、あらぬ罪を着せられ命を落とすやも……」

「…………」

 パドローは落ち着きなく指で机を小突きながら黙って聞いている。ワグリオは尚も続けた。

「しかし、抗戦して退けられれば違います。何もアラメイニ軍を全滅させる必要はない。あくまでも善戦した後、立場を優位にした上で改めての交渉に臨めば、我らの地位も安泰というものです」

「……お主は簡単に言うがな、アラメイニ軍と我らでは兵の規模が違う。ここの防御とてそう持つものではないぞ」

「だからこそです。第三軍を外に置くことによりアラメイニの隙を付き、時を得て一気に挟撃することも可能かと。兵糧も十分に持たせてあります」

「ふむう……」

「パドロー首長。申しました通り、策を持たず軍を一極集中させたとて、ジェンマをアラメイニの手から守り切ることは不可能です。逆らわず恭順したところでも我らに明るい未来はない。ならば隠れて打てる手は打っておくのが必要かと」

「……そのような腹案があるのなら、なぜ合議で上げてこない。この後の合議で話し合ってもよかろう」

「パドロー様……誠に申し上げにくいのですが……」

 ワグリオはパドローの側に近づくと、一つの書簡を胸元から取り出すとそれを見せ、小声で耳打ちをした。パドローの顔がみるみるうちに赤らんでいく。

「誰か! 誰か、すぐにカリオルを呼んで参れ!」

 部屋の入口に控えていた従者が慌てて走り去る。ほどなく、カリオルが引き連れられてきた。

「お呼びでしょうか」

 パドローが顔を赤らめたまま、カリオルに詰め寄る。

「貴様、よくも裏切ってくれたな! それほどまでにこのジェンマでの地位が欲しいか!」

「パドロー様、何を言っているのか……」

「これを見よ!」

 パドローは書簡をカリオルの胸元に投げつけた。カリオルはそれを広げると読み上げる。

「親愛なるアラメイニ直轄将に申し上げる……滞りなくジェンマへの入城を行ない、パドロー首長をはじめ抗戦派を一掃したあかつきには、次期首長の座をお約束していただきたく……」

 カリオルは顔を上げた。パドローが苦々しい顔で睨みつけている。

「貴様が次期首長の座を狙っていることは以前から察しておった。しかし、このような狂った暴挙に出ようとは……儂の見る目も随分と衰えたものだ!」

「パドロー様、この書簡は偽物です。私はこのような……」

「黙れ! おい、カリオルの従者を引き連れてまいれ!」

「パドロー様……」

 しばらくすると一人の男が入ってきた。

「従者よ、正直に答えれば罪には問うことはせん。この書簡、カリオルが書いたものに相違ないか?」

 男はパドローから書簡を受け取るとそれを広げてしばらく見ていた。

「ええ、間違いありません。これはご主人様が先だってお書きになられたものです」

「貴様! なぜそのような嘘を……」

 カリオルが男に詰め寄ろうとするが、パドローの従者に止められた。

「パドロー様、この者の言うことはでたらめです。私がこのような書簡を……」

「言い訳はもうよい。……貴様は現在をもってクビだ。筆頭政務官及び全職の任を解く。さっさとどこへでも行くがよい」

「パドロー様……」

「愚か者めが……。命を取らぬだけでもありがたいと思え! その醜き面、二度と晒すな!」

 パドローの言葉でカリオルは部屋から出された。

「パドロー様! これは何かの謀略です! いずれ必ずや後悔なされる時が……」

 カリオルの叫び声はやがて遠ざかっていった。

「ふう……」

 パドローは深く溜め息をつくと、ワグリオの方へと向き直った。

「ワグリオ、よくぞ知らせてくれた。先程言っていた第三軍のことはお前に任せる。他の政務官達をこちらへ」

「……かしこまりました」

 ワグリオは深く頭を下げ、笑みを浮かべた。


 ◇   ◇   ◇


「なぜだ、なぜこんなことに……」

 降りしきる雨の中、カリオルは憔悴した様子で街道を歩いていた。最低限の荷物だけを持たされ、政務官邸を追い出された。行くあてはない。視点は定まらず、ただ前へと歩いていくのみであった。

 ──誰かがあの偽文書を作成し、従者を買収したのだ。……誰が? 何のために? 自分を引きずり下ろして……そうだ、第三軍……果てはジェンマを得るつもりか。あの場にいたワグリオ。奴の頭ではそんな知恵は回らない。そのような策を立てるのは──

「ウルヴン、か……。すると、あの小僧はやはり……」

 ふいに目の前に立つ人物に気付いた。ローブを被りその全容は分からない。立ち尽くすカリオルに静かに近づいてくる。

「お前は……」

 カリオルが言い終わらぬうちに衝撃が走った。胸元がじわりと赤く染まっていく。事態を理解できぬまま、カリオルはばしゃりと水たまりのなかへと倒れ込んだ。

「……存外に役に立たなかったわね」

 ローブの人物は骸と化したカリオルをただ見下ろしている。

「舞台に立てない者は処分することにしてるの。ごめんなさい」

 そう言うと、踵を返す。

「さて、次は……カラナントかしらね。面白いことになるといいけど」

 笑みを浮かべたその人物は、雨霧の中へと姿を消した。

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