第十九話 ノアとナクタ

「駄目です、如何にタイクン殿の頼みとはいえど…」

「じゃから!割符は全員分あると言っておろう!」

「ですので、すでにその効力は昨日までに消失した、と言っています!」

 タイクンと背が高くひょろりとした門兵が大きな声で言い争っている。イリアス達はその様子を黙って見ているしかなかった。

「まったく…ここでまた一日野宿か?」

 ガトラが眉間に手をやり、ぼやいた。

「割符の効力は発行から三日間だと、タイクン殿も十分にご存知のはずでしょう。それに…ガトラ殿以外はいつものお連れの方ではないご様子。こちらも軽々に門を開けるわけには参りません。あらためて申請の上、認可が降り次第にお通りいただきます」

 先程から紋切り型の返答を繰り返す門兵に、地団駄を踏みながらタイクンが詰め寄った。

「貴様、儂の連れを信用できないというのか!だいたいこの御方はな、お前のような者が気軽に検分出来るような…」

「タイクン、大丈夫だよ。もう一日くらいここで過ごしても別に苦じゃないし」

 イリアスがタイクンに優しく声を掛ける。

「若君、そういうことではないですぞ。これは儂の商人としてのプライドも…」

「…ただ単に割符を間違えて早く取りすぎただけじゃねえか」

「貴様!儂が呆けたせいだと申すのか!そもそも、お前がさっさと若君達を連れてこないからこういうことに…」

 今度はガトラとタイクンが言い合っている。そこに、別の兵士が問塔から降りて近づいてきた。

「何の騒ぎだ?つまらぬ諍いならば他所でやっていただきたい」

「はい、タイクン殿の割符が失効しておりまして、お連れに見慣れぬ方もいらっしゃいますので通すのは難しいと…」

「じゃから!この者たちは皆、儂が信頼しておる…」

「…ナクタ?」

 それまで蚊帳の外で傍観していたノアが新たに来た兵士の前に出て、じい、と観察を始めた。

「やっぱりナクタじゃない!あたしよ、忘れた?」

 ナクタと呼ばれた兵士はしばらく訝しげな顔をしていたが、やがて何かに気付いたように手をぱん、と合わせた。

「ロマーノ翁のところの…ノア様ですか!いやあ、お懐かしい!」

「八年…いえ九年ぶりかしらね」

「あの時はまだ幼子だと思っておりましたが…目鼻立ちそのままに、いや、お美しくご立派に成長なされて」

「ふふっ、あなたは昔と変わらないわね」

「いやいや、これでもこちらに移り住んでから妻を娶り、子も授かったのですよ。そうだ、ぜひよろしければ今晩にでも我が家に…」

 ノアとナクタの様子を他の者は黙って見ている。その様子に気付いたのか、ノアが事の次第を話し始めた。

「ああ、この人はナクタ。九年前までフェイの住人だったのよ」

「ええ。身寄りのない中、村ではロマーノ翁によくしていただきまして…ノア様の遊び相手もさせていただいておりました」

「…それで、九年前からこちらに?」

 ウルヴンが静かに尋ねた。

「はい。かねてより兵としてこの国に仕えたいのが私の希望でしたので。翁に計らっていただき、この街へ…待てよ、ということは貴方がたがイリア…いや、アル殿、ウルヴン殿ですか」

「…ええ。九年前ということはボク達とは入れ違いですね」

 イリアスが答えた。それに対し、ナクタが大きく頷く。

「やはり。ロマーノ翁からはタイクン殿を通じて、こちらに来られた際にはくれぐれも…と書簡を授かっておりました。そういうことなら割符を即時発行しましょう。おい」

 声をかけられた門兵は、すぐさま問塔の方へと走っていった。

「ありがとうございます。おかげで野宿せずに済みました」

「いえいえ、これしきのこと」

 イリアスの礼にナクタが照れくさそうに応えた。

「ごめんね、ナクタ。あたし今はアルと旅をしているの。また帰ってきた時にゆっくりと」

「そうですか、それではその日をお待ちしています。エル=エレシアはフェイと違い、賑やかな街です。ぜひ時間の許す限りゆっくりと滞在なさって下さい」

 穏やかな声でナクタはノアに応える。そのノアが得意げな顔で振り向いた。

「ね、あたしを連れていてよかったでしょう?」

「はは、全く。助けられましたよ」

「…やれやれといったところかの」

 ウルヴンが微笑み、タイクンが嘆息する。一方でガトラは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「通れるのはいいが…ロマーノ翁まで俺のことを無視しているのはどういうことだ?」

「え…あ、ほら、ガトラはタイクンと一緒に旅をしていることが多かったからじゃないかな」

 イリアスが取り繕う。そんなもんですかねえ、と納得したようなしてないような顔でガトラはぶつぶつと文句を言っていた。

「ところで…出来ればナクタ殿に頼まれていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

 ウルヴンが静かに尋ねた。

「もちろん、私に出来ることであれば。なんでしょう?」

「ええ、実は…」

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