第十一話 銀刃
(…よし、手筈通りだ)
まだ夜が白む前。鳥や虫達も静まる頃、カタン、と小さな音がして、小窓の突き出し扉が外された。予てより少しずつ細工しておいたものだ。雲に覆われた空は十分な光を室内に注ぐことは出来ない。その闇に紛れ、一つの影が部屋に忍び降りた。
(結局、確信を得ることは出来なかったが…恐らくこれが最後の機会…)
影は足音を立てることもなく、部屋の片隅へと忍び寄る。寝息がすぅ、すぅと僅かに聞こえていた。
(…まあいい。やってしまってからどうにでもなる。さて…)
影は懐から何かを取り出す。雲の切れ目から僅かに星明りが差し、それを照らした。不気味にギラリと光るそれ──銀製の短刀を、影はゆっくりと振り上げる。
「その宿命を恨め、呪われた王の子よ──」
縦に持ち直された刃が真下に振り下ろされる。その切先はまさに寝息を立てる、その喉元に向かっていた──
ガギン!
鈍い音を立ててその勢いが止まる。影は弾かれた短刀を既のところで再び掴んだ。
「──なっ!?」
「…使命感に燃える自分に酔って周りが見えていなかったか?残念だったな」
影は驚愕の様を隠すことないまま、刃を止めた張本人を見やった。
「ガトラ、なぜだ…!」
「…酔い知らずの薬湯を予め含んでおいたのです。予想通りの展開でしたね」
そう言いながらウルヴンは、弱々しい光が揺らめく燭台を持って部屋に入ってきた。いつの間にか命を狙われていた張本人も身体を起こしている。
「なぜ…なぜなんだ、アサト」
アルに問い詰められたアサトは今まで見せたことのない形相で三人を見やった。
「…ふっ」
僅かに引きつった笑みを浮かべながら、アサトが話し出す。
「…死んだはずの王子が生きている…どこかの村に潜伏しているらしい…そんな噂を聞いて二年半。ようやくこの村でそれらしき人物を見つけて一年弱…」
アサトはギラリとアルを睨んだ。その瞳にアルが少し怯む。アサトが続けた。
「俺はな、宰相付きの王都兵だったんだ。それが、上官の失態で排除すべき王子の死体は見つけられず…その責は俺に押し付けられ、そのまま俺は王都を追われた。九年前の事変、知っているんだろう…?」
話しながらジリジリと態勢を変えるアサトにガトラの長剣の切先は向けられている。かつて経験したことのない緊迫感に、アルの心臓は押し潰されそうだった。
「恨んだよ。望まない放浪の旅。華やかな王都での生活とはかけ離れた辛い日々が続いた。俺はずっと考えていた。なぜこんなことになってしまったのか。どうすれば元に戻れるか…」
しばしの沈黙が辺りを包む。この生死の境目にあって、なお村の夜更けは穏やかさを捨てずにいた。再びアサトが口を開いた。
「…そして一つの結論に辿り着いた。宰相は今でもその影に怯えておられるはず。いずれ芽吹き、やがては刃を向けるやも知れぬ小さな種にな。そんな時だ。なんと、逃亡中に死んだと伝えられていたはずの王子が生きていると言うじゃないか…!」
そう言ってアサトは目を見開いた。
──狂気。まさにその表情からはそれしか見て取れなかった。ウルヴンは表情を隠したまま、その様子を黙って見ていた。
「俺は興奮したね…。そうだ、これは俺に与えられた天啓だ…。俺自身でその芽を刈り取り、再び王都へ…いや、かつて以上の地位を手にするのよ…」
アサトの右手に僅かに力が入る。ガトラはそれを静かに見やっていた。
「そのための三年…いや、九年だったんだ…命をもらうぞ、亡きホメロイ王が第二子、エレン=イリアス!」
切先がアル──イリアスと呼ばれた彼の喉元に迫る。イリアスは指一本動かせないまま、その場に立ち尽くしている。たまらず、その瞳を強く閉じた。
ひゅんっ
──想像していたような感触がもたらされることはなかった。僅かに風を切るような音がしたかと思うと、ごとりと何かが落ちる音がした気がする。目を瞑っていたイリアスが恐る恐る瞳を開けた。
「アサト…」
ガトラの握る長剣からぽたりと数滴、赤い雫が滴り落ちる。
「…笑顔の見送りと共に、とはいかなくなってしまいましたな。若」
三人は黙って、目を見開いたまま床に転がっているアサトの首を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます