第二十四話 尖塔での謁見(二)

「これは…ウルヴン殿…」

 アイガー王は少し呆れた様子で椅子の背もたれへと身体を預けた。ぎぃ、と鈍く軋む音が鳴る。一方、対峙するウルヴンは眉一つ動かさず、王の言葉の続きを待っていた。

「つまりは…マハタイト国王の元に、エレン=イリアス殿下を庇護せよということかな?」

「いかにも」

「ほう…なかなか突拍子もない事を思いつくのう」

「…と言いますと?」

「まず第一に、一つの国に主が二人立つことになる。マハタイト国王と次期レト国王…候補、と言えばよいか、の二人だ。このような話、神国の時代からも伝え聞いたことがない」

「形は違えど一つの目的に対し盟を結ぶようなものです。特段珍しいものでもございません」

「第二に」

 ウルヴンに構わず、アイガー王は続けた。

「急に現れてイリアスと名乗った者に、何の担保もなくその身元を信頼しろと言う。なかなかに度胸があると思ってな」

「それについては…」

「ああ、よい。なかなか面白い話だぞ。それ故にこうして謁見の機会も設けておる。しかしな…どうだ、シュローネ」

 アイガー王がウルヴンの言葉を聞き終わらぬうちに、後ろを振り向いた。

「ウルヴン殿はレト国の御旗を加え、最終的には国軍を動かしたいと言っておるぞ。お主の意見を述べてみよ」

「…はっ」

 シュローネは表情一つ変えることなく、続けた。

「エル=エレシア防都軍長(都市の軍備を司る長)のシュローネと申します。恐れながら…マハタイトはイセルディアにおいて一大勢力を得ているとは言え、レトの国力に及ばぬのは周知の事実。現在は中立の関係を築いている状況下で、敢えて敵対的な姿勢を取ることが果たしてどう働くのか…」

 ウルヴンはシュローネの言葉を黙って聞いている。

「加えて、内地では近年民族間での紛争、小規模な反乱なども再び活発化しているため、これの制圧に労力を割いている状況です。この問題は特有の根深さゆえ、軍事的な制圧ではなく対話による辛抱強い対応が求められる…。マハタイトの今後の繁栄と陛下の広い御心を行き渡らせるには避けては通れぬ道であると考えております。まさにその最中に、外に対する憂慮を抱え込むというのは…」

「ふむ…。ギリ、お前は」

 アイガー王が続きをギリに促す。

「…同じく、ウルヴン殿の話は軽々に決断を下せるものでもなく、国の行く末すら左右するものです…。ウルヴン殿、そもそもこのマハタイトをどうして選ばれた?こう申しては何だが…身を偽り他国へと抜け、そこで旗揚げする選択肢もあったはず」

 ギリの問いに、ウルヴンは静かに答えた。

「一つにはこのマハタイトに対する恩義がございます。タジルカーンを追われてより、我らはフェイの村で長年匿われておりました。その国を欺き他国へ向かうなど、これから義を掲げようとしている我らには到底出来ぬこと」

 ギリは黙ったままウルヴンの言葉に耳を傾け続きを促した。ウルヴンがそれに応える。

「そしてもう一つ、マハタイトという国は広く民に対して大らかに接しております。このエル=エレシアをはじめ街々は活気に溢れ、商取引も大いに盛ん。良い統治がなされている国は末永く繁栄します。大義を成さんとするのであれば、このような国が理想であると」

 ウルヴンの言葉に、シュローネが答えた。

「しかし、先程も申しました通り、マハタイト国内での民族間の亀裂は根深い。ロマーノ翁はご存知でございましょう…?フェイの村での滞りない統治、あれに学ぶことはないかと度々この王都にも招いて話を聞かせてもらっておるところです」

「確かに、諍いごとはあるかも知れませんが…シュローネ殿の仰る通りの対応をなさっているのでしたら、賢明なるアイガー陛下の元、ほどなく国土が落ち着くのは明々白々でありましょう」

 わはは、と豪快にアイガー王の笑い声が部屋に響き渡った。

「なかなか褒め上手だのう。耳が若返ったわ」

 そう言うと、アイガー王は右耳を穿りながらウルヴンに答えた。

「しかし、この二人によれば協力するには随分と障壁があるとも思える。さて、どうしたものか…」

「…ひとつ、よろしいでしょうか」

「どうした、シュローネ」

 アイガー王はシュローネの方を振り向いて促した。シュローネは真っ直ぐイリアスの顔を見据え、話し始めた。

「ウルヴン殿のお考えは分かりました。しかし…まだイリアス殿下はお若い。この状況をどう捉え、殿下はご自身の道をどうされたいと思われているのか」

「私自身…の?」

「はい」

「そうですね…」

 しばし逡巡した様子の後、イリアスは落ち着いた口調で答えた。

「正直なところ、私に王道というものはまだ分かりません」

「王道を理解せぬまま、促されるままにその道を進まれようとしていると」

 少し冷たい声でシュローネが言う。イリアスはそれを特に気にすることなく、頷いた。

「はい、ですので…私はまずは人を見ていきたいと思っております」

「…人を?」

「はい。私は遠く王都より身を隠し、長く辺境で過ごしてまいりました。いつか見つかってしまうのか、いつか捕まってしまうのか…。か細く頼りない命…」

 訝しげな表情ながらも、シュローネは黙って聞いている。

「それでも、ささやかながら日々を営む喜びを知り、陽の力強さ、星の美しさを感じ、さらには心強い仲間たちに囲まれ…こうしてアイガー陛下にお会いすることも叶っている。私が今日まで生かされている意味とは何なのか。それを考えずにはおられないのです」

「それが…人を見る理由、ということですか?」

「ええ」

 尋ねたシュローネの方に向き、イリアスが答えた。

「私は、この地に生まれ落ちた全ての人が何らかの役目を持っていると思っています。畑を耕す者、機織る者、愛する人を守る者、信念を持ち戦う者…」

 イリアスが一息ついて続ける。

「そして大志を抱き統べる者。ここにいるウルヴンやガトラは私にそれを望んでいるようですが…まずはこの地に生きる人達の声に耳を傾け、同じように汗を流し、喜びを共有し、悲しみを分かち合う。まだ見ぬ人々と交わり合う…。その上で私に道が指し示されるようなら…私はそれに従いたいと思っています」

「それでは…ウルヴン殿のご提案のような、挙兵する理由にはなりませぬ」

「ならぬので、今、私に解は得られなかったのでしょう」

 シュローネは少し気まずそうにこめかみを掻くイリアスをまっすぐ見据えている。

「失礼を承知で正直に申せば…イリアス殿の命、このマハタイト…アイガー陛下が握っておられるのですぞ。現状を鑑みれば極めて厳しいと言える。なぜそのように、平然といられるのか」

「平然…というわけではありません。暗闇を光なく歩いてゆくような旅路です。加えて私は灯火となる力も持ち合わせていない。それでも…」

 イリアスは少し力を込めて続けた。

「それでもボク…私は人と交わり、人を信じて生きていきたい。アイガー陛下も、シュローネ殿も、ギリ殿も、もちろん今まで信じてきた仲間たちも。人が信じ合うことに、身分の貴賤は無いんです。そうしていれば、きっと道は開けていく」

 シュローネの目が僅かに見開かれた。今まで出会った人物とは違う…。それは十五歳の若者がまとうそれとは大いに異なるのだと、彼女は直感した。それと同時に何か危うさのようなものも感じずにはいられなかった。

「ふん、理想論を語るのは大いに結構だが…それよりも、ウルヴン殿」

 アイガー王は再びウルヴンに向き直った。

「その…先ほどギリが申した件について答えを得ていないが…これだけ話しておいて今更だが、そこの証左については難しいということかな」

 ああ、とウルヴンが何かに気付いたような表情で返事をした。

「これは失礼を。恥ずかしながら失念しておりました。…こちらをご覧ください」

 ウルヴンは懐から何かを出すと、衛兵を介してそれをアイガー王に渡した。鈍色に光る首飾り。何の気なしにそれを見つめる王の表情が見る見るうちに強ばる。

「おい、これを…」

 アイガー王が後ろに立つシュローネとギリに手元のものを見せた。やはり同じように二人とも緊張した面持ちとなってゆく。

「ウルヴン殿、あい分かった。ええと、ギリ。この場合は…」

 狼狽えた様子でアイガー王がギリに助けを求める。ギリは先ほどまで浮かべていた厭らしい笑みを抑え、眉をひそめたまま答えた。

「イリアス殿下、ウルヴン殿。先程から申し上げている通り、此度の件に関しましていかに聡明なる陛下とはいえ直ぐに結論を出せるものではありません。しばらくお時間をいただけますよう…」

 アイガー王がそれに続ける。

「おお、おお。それがいい。まだエル=エレシアに到着して間もないであろう。今日のところは街に留まり、ゆっくりしていっては如何かな。今宵の宿はこちらで手配しておこう」

 ウルヴンは笑みを浮かべ答えた。

「かたじけない。それでは一晩お世話になります。陛下の温情に忘ることなき感謝を──」

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