第二十六話 シュローネとギリ

「──間違いない、神竜の首飾り。その中央に込められし双星の徴…」

「馬鹿な…。偽物、ということはないのか?」

「あらゆる手を尽くし調べた。万に一つも、ない」

「では、彼は…」

「ああ。エレン家…イリアス王子その者に違いないということよ。しかもこれは…」

「うむ、厄介なことになった」

「で、あるならば…いかがいたします?このまま手をこまねいているというのは…」

「しかし、この国の事情というものが…」

「…だから何もしないと?」

「いや、そうは言っておらん。出来ることが限られるということだ」

「そうして状況を俯瞰するのは簡単だがな。実質、策というものを…」

 石造りの薄暗い部屋の中、十数名の者たちが意見を交わしている。その一番奥に難しい顔をして座る、アイガー公の姿があった。

「…陛下、このままでは…」

 横に座るギリが呟く。

「うむ…。しかし、肝心な時に限って皆役に立たないのう…」

 大げさにため息をつくと、アイガー公は言葉を放った。

「皆の者、もうよい。賢明なる答えがすぐに出てこないというのはよく分かった」

 しん、と部屋が静まり返る。一息置くと、アイガー公は続けた。

「…ギリ、お主の考えは」

「は…」

 ギリは丸まった背をさらに丸め、少し思案した様子の後に口を開いた。

「宝具が出てきたことによって皆に動揺が広がっておりますが…あらためて考えを巡らせれば答えは明快」

 ぎょろりと瞳を周りに向ける。誰かが小さく喉を鳴らした。

「…宝具は速やかに処分し、すぐにでもイリアス王子と共の者の首をタジルカーンへ届けることです」

 ざわ、とその場の空気が蠢く。

「随分と物騒だのう、ギリよ」

 すでにその答えを察していたのか、アイガー公は特に表情を変えることなく続けた。

「しかし、クローディア女王より賜りし首飾りはこの国の成り立ちにも深く関わる。簡単に蔑ろに出来ぬとは思わぬか」

「クローディア女王…所詮は他国の…とうに昔の君主です。今更その影に何を怯えることがございましょう」

 一息置いてギリが続ける。

「我々はこの戦乱の世に現実と向き合っています。西にオークレイ、南にノイ=ウル、そして東にレト…この三国と対峙し、さらに内部にも問題を抱える中で、さて…」

 ギリの声が少し大きくなった。まるで自分の言葉に酔いしれているかのような。アイガー公をはさみ、反対側に座るシュローネはその様子をただ静かに見ている。

「そのような折、あろうことか自ら転がり込んできた亡国の王子の首一つで、レトに恩を売れるのです。安いものだとは思いませぬか」

 ──誰も言葉を発しなかった。ギリの言うことは至極もっともである。しかし…。

 重たい空気が部屋に立ち込める。どれくらいの時間が経ったのか、静かにアイガー公が口を開いた。

「…イリアス達は緑翠亭に宿泊しているのだったな」

「はい」

「武装は」

「謁見前より解除させたままに」

「うむ…。よし、直ちに…」

「──お待ち下さい」

 凛とした声が部屋に響く。

「軍長殿…陛下の断りなく具申を?」

 ギリが少し顔を歪めながら、シュローネの顔を覗く。彼女は意に介さずさらに続けた。

「陛下、一点だけ…よろしいでしょうか」

「構わん。申してみよ」

 前傾になっていた身体を再び背もたれに預け、アイガー公が答えた。シュローネは小さく頭を垂れると、一息置いて言葉を続けた。

「イリアス殿下、およびその従者に手をかけてはなりません。間違いなくその行為はこのマハタイトの歴史において、決して拭うことの出来ぬ汚点を残すものとなりましょう」

「ほう」

 軽く相槌を打ってアイガー公が続きを促した。シュローネはそれに従う。

「まず第一にタイクンの処遇です。彼は世界を股にかける豪商。その名はご存知の通り各国に、民衆にも知れ渡っております。彼をこの国の如何なる罪状にて裁きますか。万民が納得するものでなくてはなりません」

「…そのようなもの、後でどうにでもなる。逃亡中の王子を隠匿していたともなれば、それだけで重罪に値しよう」

 不機嫌さを隠し切れないまま、ギリが口を挟んだ。

「例えそうだとしても裁くのはレトです。こちらでの処置が必ずしも向こうの思惑に叶うとは限らないというもの…。第二に、宰相殿はこちらがイリアス殿の首を届けた際に、無礼千万たる懲罰の機会を与えるという最悪の想定をされてはおられぬのか」

「それは…」

 ギリが黙り込む。アイガーは二人の口論を静かに見届けていたが、小さくため息をつくと口を開いた。

「二人の主張は相分かった。それで…シュローネはどうするのが良いと思っておる」

「…はい。他国の王子に何らかの処遇を軽々には与えられない、それでいて留まらすことも御せぬ火種を抱えるようなもの。ならば国外へ…例えばウル方面へと追いやるのが得策かと」

「正気か?逃亡を助けるようなものだ。尚のことレトの怒りを買うぞ」

「まあ待て、ギリ。…シュローネ、続けよ」

 ギリを嗜め、アイガー王がシュローネに続きを促した。シュローネは小さく頷くと、話し始める。

「幸いなことに、今回の歓待はあくまでもタイクンの旅団という形で表向きは行われております。ここにおられる諸侯と一部の兵を除いては…誰もレトの王侯が紛れ込んでいるとは夢にも思いますまい。このまま旅団を丁重にお送りすればよいのです。加えて、宝具も丁重にお返しすべきです」

「しかし…」

 反論を展開しようとするギリをシュローネは右手を差し出し止めた。

「宰相殿が心配されるのも至極もっともなこと。…どうでしょう、此の度は陛下より賜りし貴重な供物を南方へ運び込む取引をタイクン殿となされたということにされては。商取引であれば、軍が関わる必要もありませんし、私が部下に責任を持ってジェンマまで護送させるようにいたします」

「それも、誰かが怪しんだら終わりだ」

「…そこを怪しまれぬよう、しっかりと手回しをすればよろしい。私は宰相殿にその能力が十分にあると信じた上での具申であるが…?」

 シュローネが初めて笑みをこぼして、ギリに向き直った。ギリは顔の皺をなお一層深め、険しい顔をしたが、それ以上口を出すことはなかった。しばらくの沈黙の後、アイガー公が口を開く。

「皆、異存は無いな…よし、それではシュローネの策を取ろう。供物とやらはどうする?」

「…ジェンマはノイ=ウルの属都。下手をすれば争っておるレトから、あらぬ疑いをかけられるぞ。西のオークレイではない理由を聞かせてもらおうか」

 無表情のままギリがアイガー公の言葉を受け、シュローネに尋ねた。

「それもすでに宰相殿も分かっておいででしょう」

「…ふん。オークレイの協力を全面的に得られるかどうかは疑わしい。むしろレトと組まれ、挟撃される可能性も出てくる。ジェンマはノイ=ウルと事を構えねばならぬ事態を避けるであろうから、表立ってマハタイトとの取引を外に出さぬことは明白」

 再び不服そうに答えるギリに、シュローネが頷く。ギリが更に続けた。

「…供物に関しては…軍需に関わらないものがよろしかろう。ちょうど一定数の銀が採掘されたところ。すでに仕上がっている献上用の飾り物の一部…試作でも構わん…を持っていけばよろしい」

「宰相殿、感謝いたす…。では、その手筈で…部下に出立の準備を命じてまいります」

 静かにシュローネが立ち上がる。その様子を見ながらアイガー公が口を開いた。

「今回はシュローネが上手であったな。ギリよ、気を落とすでないぞ。そなたのマハタイトへの忠誠心は揺らぎないものであると皆理解しておる」

「は…」

 ギリは静かに頭を垂れている。その表情は誰にも読み取れない。

「それにしても」

 アイガー公が続けた。

「あの…ウルヴンと言ったか。聡明そうな顔立ちの割に考えが足りん男よ。他国の王に会うなり、いきなり王子を庇護せよとはな…。加えてイリアス自身も抽象的な理想を並び立てるだけでまだまだ若造だ。今回は命拾いしたが、あれではあの一行もジェンマから先、長くは生き延びられんわ」

 豪快に笑うアイガー公に頭を下げると、シュローネは静かに部屋を出ていった。ギリはその後ろ姿を見送ると手近な兵へと話しかける。

「おい…」

 耳元で密かに一声二声。その後に兵士は敬礼して、その場を去った。

「ふん、簡単に事を運べると思うなよ…」

 そう言うと、ギリは僅かにその口角を歪ませた。

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