第二十五話 緑翠亭
「なんだ、あの態度は!面白くねえ」
充てがわれた宿の一室でガトラが声を荒らげる。イリアスは大きめのベッドの端に座り、ウルヴンは書斎机に片手を置き静かに佇んでいた。ノアとタイクンの姿は見えない。
「だいたいな、陛下とはなんだ。マハタイトは公国だ。公主や諸侯はいても王はいねえ。それをまあ、若の前でぬけぬけと」
なお毒づくガトラにウルヴンが呆れた様子で言った。
「ガトラ、国にはそれぞれの事情や歴史があるのです。確かにレトから見ればマハタイトは公国ですが、どこの国の主でも絶対的な支配力と統治力が求められ、また自らも求めようとするもの。思うに…アイガー公は殊の外、気の小さい人物なのかも知れませんね」
「気が小さい?あれでか?」
嘲笑混じりにガトラが聞く。ウルヴンは特に気にした様子もなく続けた。
「まあその辺はいいでしょう。ガトラも結果的にはよく我慢してくれました。あの場で暴れ回りでもしたら、いくら私でもどうにもなりませんでしたよ」
「──そうそう、あたしなんか後ろでひやひやしたわ」
ガタンと音がして扉が開く。ノアとタイクンが大きな麻袋を持って部屋に入ってきた。
「ガトラ、声大きいわよ。外まで丸聞こえ」
「ちっ、知るかよ」
拗ねたような態度を取るガトラをよそに、ノアとタイクンは中央のテーブルに麻袋を置いた。
「外で食べられないのは残念ね」
「仕方ないよ。さっきのこともあるし、ボクらはいわくつきの客人だ。こうして和やかに皆で食卓を囲めるのも嬉しいけどね」
イリアスは一点の曇りもない笑みで答えながら椅子に座った。他の者もそれに倣い着席する。タイクンが袋の中から慣れた手付きで食事を並べると、ガシュを焼いた香ばしい匂いが部屋に立ち込めた。
「あまり考えたことなかったけど、ここでもクロード(正確にはクローディア硬貨。略して称されるのが一般的)が使えるのね。レトじゃなくてマハタイトなのに」
「商人は国を跨いで世界を相手に商売していますからね。いくつも通貨があったら便宜上よろしくないでしょう。それに、形式的にはレトはマハタイトの宗主国です。言ってみればレトの傘下にある。…アイガー公にその気があるかどうかは別として、ですが」
「なるほど…」
ウルヴンの答えに納得したような、そうでないような顔でノアは目の前の食事をじっと見下ろしている。イリアスがそれに気づき、いただきます、と言うと皆が好き好きに食事に手を付け始めた。ウルヴンがノアに尋ねる。
「街の様子はどうですか」
「入ってきた時と変わらず。通ってきた他の市場にも行ってきたけど、さっきみたいなトラブルらしいことも起きてないわね。相変わらず見聞きするもの全てが新鮮だし、無理言ってタイクンに連れて行ってもらってよかったわ。ありがとね」
「なんのなんの。ノアがいるおかげで皆も鼻の下を伸ばして交渉しやすかったわい」
「あら、お上手ね」
他愛もない話でノアとタイクンが盛り上がっている。
「他の街もこんな感じなのかしら」
もぐもぐと香草で焼いたガシュロを食べながら、誰にともなくノアが尋ねる。豪快に獣肉にかぶりついているガトラがそれに答えた。
「街と言ってもその地方ごとに全く特色が違うからな。とにかくこの街は辛気臭くていけねえ」
「それ、あんたがあの王様とかギリとかいう人に気を悪くしたからでしょ…」
呆れ顔でノアが呟いた。ガトラは気にせずガツガツと食事に手を付けている。
「タイクンの方はどうでしたか?」
ウルヴンの問いにタイクンはうん、と頷くと口を拭ってから答える。
「とりあえずここでの取引は全て終わらせたわい。そうさな、先程の騒動のようなものは無かったが、少しギスギスした感じはあるかのう。皆、あからさまに声には出さんがな」
「…ゴウ族とウカ族、それに少数民族か…。話には聞いたことはあったが、このマハタイトは多民族国家だということを今更ながら思い知ったぜ」
あっという間に自分の分を食べ終わったガトラは満足げな表情を浮かべながら、椅子に背を預けている。先ほどまでの悪態が嘘のようであった。
「ええ。我らが知っているのはゴウ族が多数派を占めているということ。ウカ族の他にも複数の少数民族が存在しているということ。そして、最近になってその軋轢が深まっている、ということですね。今日出会ったあの少女も、その歪みが生み出した存在なのかも知れません」
上品に食事に手を付けながらウルヴンが答える。
「民族っていってもあたしには分からなかったわ。どうやって見分けているのかしら」
ノアがウルヴンに尋ねた。
「実は見た目での明確な識別方法はないんです。出身地による僅かな訛り、身につけている装飾品…それと瞳の色が少し赤みがかっていて血気盛んなのがゴウ族の特徴とも言われていますが…」
そう言って一息置くと、ウルヴンは再び続けた。
「しかし、そもそも多民族であるという事自体に大いなる疑問があります。例えば肌の色は地方によっての日照時間の差、装飾などはそれぞれの地域による趣向でしょう。瞳の色の違いや性格の違いなども、他の国でもよくあることです。現に我らレトの民と彼等の間にも大きな差異があるとは認められない。このイセルディアの民自体が単一民族なのではないか…というのが私の考えです」
「じゃあ、彼等は…必要のない対立をしているということ?」
イリアスの問いに、ウルヴンは少し間を置いて答えた。
「いえ…そうとも言えません。元々マハタイトは小規模な国の集合体であったものが時を経て融合した国家だと聞いています。その小国が民族という名に変わり、今なお燻っていると考えれば、あながち間違いとも言えないでしょう」
「しかし今は一つの国だ。そんな争いをしても意味のないことだと思うがな」
ウルヴンがガトラに頷く。
「ええ。本来はそうでしょう。しかし、人は争う…。マハタイトだけではありません。レトとノイ=ウルの争いもそうです。その影には人の欲が必ず介在します」
「欲、ねえ…。俺たちが若を担ごうとしているのも、その欲なのかね?」
少し意地の悪い顔でガトラが言った。
「ちょっと、こんなこと言ってるわよ、ウルヴン」
ノアが咎めるようにウルヴンの方を向いた。
「さて…それはこれからの私達の行動にかかっているかも知れませんね」
僅かに笑みを浮かべながらウルヴンが答えた。
「…しかし、それにしても」
ガトラがテーブルに身を乗り出して言った。
「若には驚きましたよ。いつの間にあんな丁寧な言葉づかいを…」
「…あ…え?」
先程まで下を向いて何か思いつめたような顔をしていたイリアスが、不意を突かれたような上ずった声を上げる。
「そうそう。あたしもびっくりしちゃった」
珍しく、ノアがガトラに相槌を打った。
「…私が何年もの間、ただ無作為に若君に接していたとでも?」
ため息混じりに、呆れ顔でウルヴンが応える。
「村ではたまにウルヴンから教えてもらってたよ。と言っても、さっきのはほとんど村を出てから数日の付け焼き刃だったけどね」
イリアスがウルヴンの代わりに笑いながら答えた。
「へえ…。ん?…ってことは…若はアイガー公に会うことはもっと前から知っていたってことか?」
ガトラがウルヴンの方に向き直って尋ねる。
「おい、俺は聞いてないぞ」
「すみませんね、どう転ぶか分かりませんでしたので…。しかしシュローネとの会話は私が想定した問答ではありません。私自身も驚いておりますよ」
そう言うと、ウルヴンはイリアスの方へ向き直った。
「うん、自分でもあんなに話そうとは思っていなかったんだけど…。記憶を取り戻してから何か心の中から湧き上がってくるような、不思議な感覚があるんだ。あれは何だったんだろう…。とても暖かなものを感じた」
そう言うとイリアスは自分の胸に手を当てた。それはまるで母が子を抱くような、慈しみに似たもののようにも見えた。
「恐らく…それが若君が持ち合わせておられる賢王の血脈ゆえのものかもしれません」
「血脈…」
ウルヴンの言葉にイリアスはしばし逡巡し、やがて静かに口を開いた。
「ボクは血脈、血筋というのはどうでもよいことだと…一人ひとりが与えられた環境で日々の暮らしをまっとうしていればよいのだと思っていた。…それよりも、過去に城を追われ…父と兄を失ったことで、血脈そのものに呪い的な抵抗すら覚えていたかもしれない。それが記憶を閉ざす理由だったのかとも…」
気がつくと皆、食事の手を止め、イリアスの言葉に耳を傾けている。イリアスが続けた。
「でも、今は少し考え方が変わってきている。ボクに王家の血が流れていることも、変えられない現実なのだとしたら…。それを拒絶するのではなく、受け入れた上で自分に出来ることを考える。進みたい道を考える。そのための見聞を広める。…そう思うようになれたのかも知れない」
そう言って、イリアスは皆を見渡した。
「なーんか、かっこいいこと言っちゃって…」
その空気に耐えかねたように、ノアが椅子の背もたれに寄りかかり、ふざけて見せた。
「何言ってるんだよ、これを教えてくれたのはノアじゃないか」
「…え?」
「ほら、ここに来る前。村を出てすぐの時。あたしも自分のやり方で自分の人生を歩きたい、自分の目で色々なものを見て、感じて、って…」
「やだ、ちょっとやめてよ。あらためて言われると恥ずかしい!」
ひどく照れた様子でノアが大きく両手を振った。イリアスはそれを気にする様子もなく続ける。
「そんなことないよ!あれでボクはとっても感動したんだ。普段ボクに説教くさいことばっかり言ってるノアが、自分や世界での自らのありかたについてあんなにも考えているなんて…。目の前に横たわる環境だけじゃなくて、もっと広い視野で物事を見ることが大事だって気づいたんだよ!それに…また村に戻って、お父さんやお母さん、村の皆に貢献したい、ってのもさ、すごくノアが二人を大事にしてる気持ちが伝わってきて…」
「ちょっともう、いいから!あと、いちいち言い方が無駄に丁寧!なんでそんなことまで覚えてるの!?」
「そりゃあ…」
イリアスとノアは尚も言い合っている。その様子を呆れた顔でガトラは眺めていたが、ふと気づいたようにウルヴンに尋ねた。
「血脈といえば…そういえば、アイガー公に渡していたあれは、もしかして…」
ウルヴンはガトラへと静かに向き直る。
「ええ…」
イリアスとノアの喧騒はそのままに、ウルヴンは続けた。
「レトの類まれなる賢王、クローディア女王の遺されしもの。代々受け継がれし秘宝の片分です」
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