第二十七話 バロ族の少女

 夕方になり、少し落ち着きを取り戻しつつあるエル=エレシアの東南街。そこにノアの姿があった。後ろからイリアスが周りを気にしながら続く。

「…ねえ、まずんじゃないの?」

「いいから、いいから。せっかくこんな大きな街に来たのに宿屋に籠りっぱなしなんて、もったいないじゃない」

「でも…」

「あ、あそこ見て。綺麗…これは耳飾り…?」

 心配そうな顔をするイリアスをよそに、ノアは装飾品などを扱う店の品物を楽しそうに覗き込んでいる。西側の街路に比べると、この東南街は安価なものが並んでいるようであった。店構えも簡素で、イリアス達がいる場所は露店が左右に所狭しと並んでいる。

「村にいる時は考えもしなかったなあ…こんな世界が広がっているなんて」

「行商なら来てたじゃない」

 きょとんとした顔のイリアスにノアが頬を膨らます。

「そういうことじゃなくて…なんていうか、あたし達が村で過ごしていた時間と、ここの時間は別のような気がしない?まるで違う世界に飛び込んできたみたい」

「確かに、ね」

「今日会った王様とか、あの女兵士さんもそう。ああ、この世界は色んな人がいて色んな国があって…って、あらためて実感してるのよ」

「うん」

 イリアスは慌ただしく店先を覗いて回るノアを微笑ましく見つめている。二人は露天商の並びを離れ、ゆっくりと街中を進んでいた。

「…あれ…?」

 ふと、イリアスが僅かな気配を感じ振り向いた。

「どうしたの?」

「いや…ほら、あの子。今日会った…」

 二人の目線の先には見覚えのある少女の姿があった。少女は突如振り向いた二人に驚いた様子を見せ、右手の狭い路地へと駆け入っていく。

「あ、ちょっと──」

 イリアスが言いかけ、その少女を追った。驚いてノアもそれに続く。二人が路地に入ると、少女は更に先の路地を左手に曲がろうとしていた。

「…ねえ、なんで追いかけるの!?」

 息を切らせながらノアがイリアスに尋ねる。イリアスは少し首を振りながら答えた。

「分からない!でもあんなことがあったんだ。どういうことなのか話を…」

 言いながら二人は更に駆けていく。

「はあ…はあ…なんだか…前も似たようなことした気が…」

「…いた!」

 イリアスが左手に曲がったところで少女の姿を捉えた。先は袋小路となっており、少女はきょろきょろと辺りを見回していたが、やがて覚悟を決めたようにイリアス達に向き直った。

「はあ、はあ…やっと追いついた…。あの、ボクらは何もさっきのことを咎めにきたんじゃないんだ。ただ…」

「ちょ、ちょっと…」

 ノアが少し声を潜めながらイリアスを肘で小突いた。少女は自らの懐から短剣を抜き出した。ギラリとその刃が光る。ふと、アサトの姿がイリアスの頭に浮かんだ。

「……」

 少女は何も言わずに、今度はじりじりと二人に迫っていく。イリアスは唾を飲み込んで、ゆっくりと少女に話しかけた。

「やめよう…。なんで…こんなことを…」

「王に会ってへらへらしてるような…お前らに虐げられているウチらのことが分かるわけがない…」

「なんでそれを…」

 やはりその姿とは似つかわしくない、凄みの聞いた声で、少女はイリアスに言葉をぶつける。その声には恨みだけではない、どこか諦めのような感情も混ざっているようにイリアスは感じた。

「ね、アル…逃げよう?」

 イリアスの後ろからノアが囁く。

「もう遅いよ…悪いけど、あんた達の命はもらう」

 少女は更に踏み出してくる。イリアスとノアは合わせるように少しずつ後退した。タイミングを見誤れば、小事では済まない。イリアスの首元につう、と汗が流れた。

「──それくらいにしておけ」

 突如、イリアス達の背後から覚えのある凛とした声が聞こえた。

「…シュローネ!」

 甲冑姿のシュローネはイリアス達と少女の間に割って入る。少女は恨めしそうな顔で突然の参入者の顔を睨みつけた。

「邪魔するな…邪魔するなよ!」

「そのようなことをするものでない。…誰かに頼まれたか…?」

「…うるさい!」

 少し屈んで話しかけていたシュローネに向かって、少女が突然短剣を向けながら突進した。シュローネはそれを全身で受け止める。

「シュローネ!」

 悲鳴にも似た声で、二人は刃を受けたシュローネの後ろ姿に叫び、駆け寄った。

「なんでだよ…」

 少女の突き刺した短剣はシュローネの左手に掴まれていた。その指の間から手首にかけて、幾筋かの血が流れている。

「…何度でも言う。このようなことはするものではない。…なぜ自らの道を閉ざすような真似をする」

 シュローネの問いに、少女は答えられないでいる。シュローネがゆっくりとその刃から手を離すと、からん、と短剣は地面へと転げ落ちた。

「…大丈夫ですか?シュローネ」

「ええ、軽い擦り傷です」

 イリアスの問いに、シュローネは綿布で手を拭いながら、落ち着いた口調で答えた。

「この子は…バロ族だと自分で言っていました。謁見前の騒動で…」

「そうですか。話は聞いています」

 シュローネは少女の方に向き直ると言葉を続けた。

「…私が憎いか。この二人が憎いか。虐げている者たちが憎いか」

 シュローネの言葉に、少女が睨み返す。

「そうだよ…ウチらは…こうでもしないと生きていけないんだ…。お前らみたいなやつらのせいで…!」

「やはり…金で頼まれたな。正面から切って害を成せないなら、浮浪者か孤児の通り魔的な犯行に見せかける。こんなことを考える輩は…」

 そう言ってシュローネは軽くため息をつき、少女の前に再び屈んだ。

「…よいか。例え理不尽なことを感じようとも、あらぬことで攻撃を受けたとしても、憎しみで返してはいかん。放たれた憎しみは新たな憎しみしか生まない」

「だったらどうすれば…」

 少女は先程までの殺気を失い、肩を落としたまま呟いた。

「自分自身を持つことだ。そして信じること」

 そう言いながらシュローネは懐から何かを少女に差し出した。

「これで当座を凌ぐがよい。それと、あの商店にはこちらから便宜を働いておく」

 少女が渡された手を開けると、そこには何枚かの硬貨が見て取れた。少女は驚いた顔で立ち上がったシュローネを見上げた。

「…生まれの違いこそあれど、この国の民に優劣はない。私はそう思っている。今はお前のような悲しい思いをさせてしまっている子らも多いが、どうか信じて欲しい…。我らが力でそれをねじ伏せようとはしていないこと。対話で未来を開こうとしていること」

 しばらく呆けた様子で少女はシュローネを見つめていたが、やがてバツの悪そうな顔をすると、突如その場から走り出した。少し瞳を潤ませているようにも見えた。

「あ、ちょっと!」

 ノアの呼び声にも答えず、少女は振り向くことなく遠ざかっていく。

「よいのだ。これ以上ここに引き止めておく理由もない」

 言いながらシュローネは少女が消えた先を見つめていた。

「…シュローネ、助かりました」

「いえ…それにしても、このような夕刻になぜ街中に?」

「いや、それが…」

 バツの悪そうな顔でイリアスとノアが見つめ合う。それを見て何かを察したようにシュローネが言った。

「…心配されるので、この度のことは宿で待たれている方々には黙っておいた方がよろしいでしょう。私も何も見なかったことにしておきます」

「助かります」

 そう言ってイリアスはぺこりと頭を下げ、先程少女が走っていった方を振り向いた。

「…あの子、孤児なんですよね。大丈夫でしょうか」

「…バロ族。このエル=エレシアだけではなく北部を中心に各地に点在していますが、その五分の一ほどが親を失った孤児だと言われています」

「五分の一も…なぜそのようなことに?」

「元々、バロ族は北にあるウトという都市を中心に根付いていたのですが…七十年ほど前にマハタイトから独立を目論んだのです」

「独立?」

「はい。発端はバロ族とゴウ族の些細な諍いでしたが…。やがて独立を巡る紛争は周辺地域にも及ぶようになり、最終的にはバロ族が制圧されました。ウトの街はそれ以降急速に衰退しています」

「そんなことが…」

「今となっては私を含め、そのことを知らない者の方が多いですが、独立紛争を発端としてゴウ族の少数民族に対する警戒や威圧が強まっています。中でもバロ族はその程度が激しいというわけです」

「では、バロ族の成年達は否応なく殺されていると?」

 イリアスの問いにシュローネが首を振った。

「いえ、直接的な手はほとんど下っていません。そこがこの問題の根深さでもあるのですが…。現在ほとんどの職業で中心に存在するのがゴウ族です。ゴウ族としても曰く付きのバロ族には関わり合いたくない。一方でバロ族もゴウ族の世話にはなりたくない。簡単に言えば意地の張り合いのような形が、記憶が薄れた今でも代々に渡り続いているのです」

「そんなこと…」

「どうでもよい、と我々は考えてしまいますが…その意地の張り合いは脈々と祖先から引き継がれているのです。簡単に取り払えるものでもない。…働き口のないバロ族の親たちは、自らの手を汚し捕まるか、子を捨てるか…いずれにしてもそういったことが横行しているのが孤児が増えている理由です。そして、彼らは地方では生活できないため、自然とこの都市部に集ってくる」

「なんて身勝手なの…」

 ノアが怒りを顕に呟く。

「大人たちが悪い。そう言うのは簡単だ。しかしその怨嗟もまた、確実に引き継がれていく。それがこの国の実情なのだ。悲しいことにな」

 イリアスがシュローネに向かって尋ねた。

「シュローネが民族間の争いに対話で臨みたい、と謁見で言っていたのはそのことがあるからなんですね…」

「…簡単なことでないことは分かっています。私達の次の代、更に次の代に残していく問題かも知れない。しかし、可能な限り前進させるような種を蒔いていきたいと、私は考えています」

 シュローネが空を見上げながら続ける。

「いずれにしても私はあの少女の瞳を信じることにしました。それがこの国の未来を支えることになるのだと、確信しています」

「この国の…未来…」

 イリアスは呟きながら、目の前の景色にそれを重ねるかのように、ただ見つめていた。

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