第六話 罅割れ
「ガトラ、帰ってきたなら帰ってきたと早く教えてよ」
アルがガシュロ(ガシュを磨り潰して作られた料理)を口に含みながら言った。
ガトラがそれに笑って応える。
「いや、黙ってるつもりはなかったのですがね、他の者に捕まってしまいまして」
窓の外はすっかり闇に覆われている。薪の爆ぜる音がパチっと鳴った。
「…どう?旅商の護衛にもだいぶ慣れた?各地を回っているんでしょう?」
「ええ、大変ですがね…。今はタイクンと共におるのですが、これがなかなか癖のある糞ジジ…老人で。だいぶ昔この村に立ち寄った時、若はまだ幼かったから覚えておりませんか」
「いや、なんとなく覚えているよ。お元気であるなら嬉しいことだね」
頭を掻きながらガトラが続けた。
「しかし、世界は広いですよ。想像もし得なかった様々な体験、様々な人々で満ち溢れています。もちろん、それなりの危険も伴いますが…是非、若にも体験していただきたいなあ」
「ボクは無理だよ。この村のこと以外はほとんど知らないし。自分の身ひとつ守れるかどうか」
笑いながらアルが答えた。ガトラは少し困ったような顔をしたが、話題を逸らすようにアルに言った。
「…それより若。もう少しでお誕生日ですね。今年で十五になられますか。いやあ、この村に来た時はまだこんな小さなお子だったのに、ご立派になられて」
アルの対面に座るガトラは、右手で自らの腰の位置辺りを指し示した。
「そんなに小さかったかな…。ノアにも言われたんだけどさ、どうもピンと来なくて」
「記憶…のことですか?」
「うん…」
ガトラの問いにアルは食の手を止め、少し俯いた。
「ウルヴンとガトラはボクのためだと言って詳しく話してくれないけど…記憶を失っていたとしても、ただの戦災孤児でないことはなんとなく分かるよ。それに…」
奥からウルヴンがやってきて、ガトラの隣に座った。二人は黙ってアルの言葉の続きを待っている。
「…近頃、夢を見るようになったんだ。…広い、緑に溢れる庭で駆けているボク。その後ろを追いかける、まだ年端もいかない女の子…なのかな。それから、遠くから見つめる温かな瞳と、空に響き渡る笑い声」
ウルヴンとガトラはお互いの顔を見やった。
「他には…」
ウルヴンが探るようにアルに尋ねる。アルの顔はみるみるうちに強張っていた。
「…昏い空…立ち上る幾筋もの煙…血の匂いと数多の叫び声…赤黒い炎が広がって…赤き…洗礼?…粛清…そこに佇んでいるのは…」
突如、ぐっ、と呻いてアルがその場に蹲った。
「いかん!若、もうその辺で…」
ガトラがアルの背に手を回し支えた。ウルヴンも目の前に跪く。
「大丈夫、ちょっと目眩がしただけだから…」
アルは優しくガトラの手を退けると、ゆっくり立ち上がった。
「…失礼しました。無理に思い出すことはありません。…しかし」
ウルヴンはアルを真っ直ぐに見据えて言った。
「時代の流れは容赦なく全てを飲み込みます。その時に若君が迷いなく、真っ直ぐな心で自らの道を…運命を突き進んでいかれるよう。それが我等の願いに他なりません」
「ウルヴン…」
怯える顔を見せるアルに、優しげな瞳を向けウルヴンは言った。
「…今日はもう休み支度としましょう。ほどなく若君にその一端をお話する時がやってくるかとは思いますが…どうか、それまでは安らかに日々を過ごされますよう」
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