第十四話 エメイン王

 ──赤い絨毯の敷かれた大広間に、その人物はいた。片膝をつき、目の前の壇上の上に大仰に座る人物へとその眼差しは注がれている。

「…トーラス自治区に関しては以上になります。やはり気になるのはウル方面かと」

 跪いている人物が報告を終えると、ちらりと横を見た。座した人物の傍らに背が高く痩せ型の男がいる。艶やかな黒髪は肩まで伸び、その顔には笑顔が湛えられていた。

「スーク卿、どう思う」

 肩肘を肘掛けにつき、表情一つ変えずに座した男が話した。スーク卿と呼ばれた長身の男が応える。

「アラメイニ軍の助力とギドク将軍の働きにより、サジクラウ陣営が崩れるのも時間の問題でしょう。…それよりも此度の同盟により、アラメイニを増長させぬことが肝要かと。すでに密偵を放っておりますゆえ」

「そうか…任す」

 座した人物は背を椅子に預けた。目の前に跪く人物はその様子を指一つ動かすことなく見守っている。彫りが深く、無数の皺が刻まれた顔から表情を読み取ることは難しかった。

「…それよりデイタクト殿、不穏な噂が耳に入っていますよ」

「不穏…とは?」

 スーク卿の言葉に、デイタクトと呼ばれた跪く男が白眉を僅かに動かした。

「九年前…近衛隊長として後処理を任されたのは貴方でしたね」

「は…」

「詳しくは報じられておりませんが、西方に災いの種が残り、燻っているとか…」

 笑顔のままスーク卿は続ける。それに対し、デイタクトの眼差しは先ほどよりも厳しさを増したようにも思えた。

「よもや、手心を加えたとは申すまいな」

「…これは…心外ですな。レトに忠誠を誓い、タジルカーンにて務めること三十余年…」

 デイタクトは眼光鋭く、スーク卿を睨んで続けた。

「陛下…エメイン王の御前にて、宰相殿にこれほどの辱めを受けるとは思いもよりませんでしたぞ」

「…まあまあ。気を悪くされるな、デイタクト殿」

 スーク卿は両手のひらをデイタクトに向け、笑顔のまま諌めた。

「あくまでも噂ということでな。わたくしめも俄には信じておらんが、こういった細かいことも確認するのも宰相の役目ゆえ…。許されよ」

「茶番はもうよい、宰相」

 スーク卿の隣で座する人物──エメイン王がため息混じりに言った。

「デイタクト、もうよいぞ。ご苦労だったな」

 黙ったまま深々とデイタクトが頭を下げる。

「お主はこれよりサージ門へ参れ。ギドクの後詰として第二軍を整えよ」

「はっ、直ちに…」

 デイタクトは音も立てずに立ち上がると、後方へと振り向き去っていく。が、突如その足を止めた。

「…陛下。カトライン前王のご逝去、誠に口惜しく…」

 デイタクトは振り返り、続けた。

「しかし。恐れながら私はギドクと同じく、エレノア女王の代よりレトに忠義を誓うもの。その思いは年老いた今となっても一片として変わるものではない、とだけ申させていただきます」

「…しかと聞いたぞ。我が片腕、デイタクトよ。よき働きを期待する」

 特に表情を変えることなく、エメイン王が応えた。

「…」

 デイタクトは深々と頭を下げると再び身を翻し、大広間より出ていった。


「…どう思う」

 既に人影のいなくなった大広間の入り口を見つめたまま、エメイン王が呟いた。

「レトへの忠誠は確かなものでしょう。…念のため手駒を就けてあります」

 終始笑顔を絶やさないスーク卿が応えた。

「そうか…その辺はお前に任す」

 エメイン王がゆっくりと立ち上がる。広間の左右で静かに待機していた給仕が数名、素早くその傍へと近づいた。よろける王の身体をそっと支える。

「私は決して永い命ではないだろう…。しかし、亡き先王の意思を継いだ今…愛する我が息子へと盤石たる王権を譲り渡すことだけが、私の生きる糧だ」

 ゆっくりと絨毯の敷かれた大階段を降りてゆくエメイン王をスーク卿は黙って見送っている。

「宰相、その時までどうか頼むぞ…」

「…しかと。お任せ下さい…」

 か細い王の背中に深く頭を下げるスーク卿の表情は、誰も見て取れなかった──

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