第十三話 二人の誓い

「…ウルヴン、どうにも解せぬのだが」

「なんでしょう」

 荷馬に乗せた麻袋に手をかけたまま、ガトラはウルヴンに尋ねた。照りつける陽が二人に容赦なく降り注ぐ。ガラン、と蹄が地につく度に砂煙が上がり、白む青空へと溶けていった。

「どうしてあの夜、アサトが若を狙うと分かった。いや、それよりもなぜ刺客が村に入り込んでいると?」

 先ほどまで後ろに見えていた馴染みの村は揺れる蜃気楼の中に消えようとしている。ウルヴンは特に表情を変えないまま、ガトラの問いに答えた。

「…王都から逃れ放浪すること一年、フェイの村に身を潜めてより八年。常に刺客には気を配っていました。風向きが変わったのは五ヶ月前…アサトたちがフェイへとやってきた時です」

 一息置いてウルヴンが続けた。

「本来ならば多少でも穏やかな季節を選び、エル=エレシア、もしくは西方のオークレイ方面より街道沿いに村に入るのが常套でしょう。もちろん、様々な理由でそれを成せなかったとも考えられますが…ともかく小さな違和感は私の中に残り、常にその動向に気を配るに至りました。それに…」

 ウルヴンがにこりと微笑む。

「彼、出会った時から全く目が笑ってなかったんですよね」

 そうか…、とガトラはしばらく考え込んだ後、再びウルヴンに尋ねた。

「…あの夜、襲ってくると予め分かっていたのは?」

「分かっていた…というよりはむしろ、あの夜に襲わせるように布石を打っておいた…というのが正しいでしょうか」

 風に流れる銀髪に手櫛を入れて、ウルヴンが続ける。

「この村から出た後は私とガトラの監視と警戒の眼が強くなる。かと言って力技によって村中で理由なく急襲すれば、外から強盗の類と認識される可能性もあり、旨味よりも危険度の方が高い。それに数ヶ月に及ぶ長い潜伏ですから、何か確信を得られてから行動を起こすであろうことは容易に想像がつきました」

「…それが昨夜だった、ってことか」

 ウルヴンは頷いた。

「若君が十五を迎えられる記念すべき日に、曖昧な理由で村から旅立つことが宣言される。探りを入れるベく機会を伺っていたが、それ以上の確信を得ることが出来ない。…恐らくこれが最後の機会であるとアサトは認識したはずです。誰にも怪しまれることなく邪魔者である私達二人に酒を大量に振る舞い、排除できる。まだあどけなさの残る若君一人であれば問題ないと思ったからこその行動でしょう」

「なるほどねえ…少しばかり頭が働いたばっかりに、自らの命を縮めたか」

 両の腕を後頭部に置き、ガトラは空を見上げた。血生臭い話とは裏腹に気持ちのよい風が身体をすり抜けていった。

「ただ…若君には辛い思いをさせてしまいました。いわば囮としてその場にいて頂いたわけですから…。自らの至らなさに、ただ恥じるばかりです」

「…ボクは気にしてないよ。二人のおかげでボクの命は救われた。それは変わらないんだから」

 ゆっくりと歩みを進める馬の影からひょいと首を出し、イリアスが言った。

「でも…どうしても殺さなくちゃいけなかったのかな。もう一人…イレーヌのように追い払うことも出来たかもしれない。ひょっとしたらアサト自身ともちゃんと話し合えば何らかの理解が得られたかもしれないし…。それに、ボク自身は皆に黙って村から出てもよかったんだ」

「確かに…殺生を若君の前で行なうのは下策ではないかと私も思案いたしました。しかし、アサトとイレーヌは若君への思いに対して、大きな違いがあるように見えます。アサトを見逃し、我らが村から出たとしてもより一層の惨禍を招く可能性が高い。今回はそう判断した次第です」

「うん…」

 イリアスは曇った表情のままウルヴンに応えた。

「昨夜も聞いたが、イレーヌは今後どうするつもりだと思う。近く、また若のお命を狙うのでは…」

 ガトラがウルヴンに聞いた。

「もちろん警戒を怠らないに越したことはありませんが、しばらくは大丈夫でしょう。あの夜に行動を起こさなかったということは、絶対的に有利な条件が揃わない限りは動くつもりはないかと。それに…アサトの話を汲み取ると、この暗殺計画自体が中央の指示というよりは彼自身の私怨に基づくものかと思われます」

「…逆恨み、というやつか」

「私自身も各方面に探りを入れていますが、若君逝去の報が中央で明確に疑われた形跡は感じ取れませんでした。イレーヌは…ひょっとしたら興味本位でアサトに付き合った可能性もありますね」

「興味本位…タチが悪いな…」

 顔をしかめてガトラがこぼした。

「真相は分かりませんがね。何にしても、今まではその虚報に助けられてきましたが…今後はそうもいきません。…若君」

 ウルヴンはイリアスに向き直った。

「記憶を取り戻されてまだ十数刻。大いなる混乱の只中におられるかと思いますが…」

「うん、そのことなんだけど」

 イリアスが続けた。

「確かに父上と兄上は殺され、妹…セスティアは囚われの身となった。ボクは間違いなく亡きエレン=ホメロイ王の第二子、エレン=イリアスなんだろう。ただ、そのことをもって…ただちに王位を奪還しようという気持ちにはなれないんだ」

「うんうん、無理もありません。俺が同じような立場なら、その辺を転げ回って三日は平常心を取り戻せませんよ」

 ガトラが深く頷きながら言った。

「…ガトラ、余計な口を挟まない」

 ピシャリとウルヴンが窘めると、ガトラはぐっ、と呻いてそのまま黙り込んだ。イリアスが苦笑して続ける。

「ただボクは…ボク自身の生まれた地を踏みたい。父上と兄上、それに母の面影を微かにでも感じたい。妹に…セスティアにひと目でも会いたい」

 ウルヴンは黙ってイリアスの言葉を聞いていた。

「ごめん、まだ君達の望むような大志は抱けていない…。それでも、君達を旅に付き合わせてしまっていいのかな」

「もちろんですよ、前にも言ったでしょう。若の支えとなることこそが至上の喜びなのだと。ゆっくりと自分を取り戻していきましょう」

 ガトラが自分の胸をぽん、と叩きながら言った。それを横目に、やれやれと言った表情でウルヴンが小さくため息をつく。

「…ガトラの言う通りです。この広い大地。巡っていれば思うこと、感じることもひとしきりあるでしょう。若君が自らを取り戻す一助となれば。我々はそう願うばかりです」

 ウルヴンの言葉にイリアスは小さくありがとう、と応えた。先ほどより幾ばくか表情が晴れたようにも見えた。

「そう。その通りですよ、若。それにしても…」

 ガトラがちらりと後ろを振り向いた。

「なんだってお嬢ちゃんがついてくるんだい?」

 ガトラの冷めた視線の先に一人の少女が歩いている。その左手には紐が握られ、小さな荷車のようなものを引きずっていた。もう片方の手で大きな荷袋を肩に掛けている。

「ご挨拶ね。言われた通り、黙ってついてきてるでしょ」

 不機嫌そうな顔でノアが言った。

「そういうことじゃなくてだな…。おい、この旅がどんだけ厳しいものか、分かってるのか」

 ガトラがノアを指差して言った。イリアスとウルヴンは困った顔をして二人のやり取りを見ている。

「つまらない冗談を連発する程度に困難なことは承知済みよ。心配しなくても、自分のことは自分でやりますから」

 言葉を詰まらせてガトラは黙り込んでいる。ウルヴンが代わりに話しかけた。

「すみませんでしたね。面倒ごとを押し付けてしまって」

「いいのよ、ウルヴン。頑張ったのはお父さんとお母さんだから。それにお祖父さまが村の皆をしっかり説得してるから、心配しないで」

 ウルヴンがノアに笑いかけた。その様子をガトラが苦々しい表情で黙って見ている。

「いいの?シャノとアナトアが心配してるんじゃ」

 イリアスが心配そうにノアに声をかけた。

「いいのよ。…あたしね、考えたんだ」

 ノアは真っ直ぐ前を見据えて続けた。

「アルが自分の意思で自らの場所を取り戻そうとしてるように、あたしも自分のやり方で自分の人生を歩きたい。もちろん村から一生出ずに暮らすことも出来るけど…。あたしは自分の目で色々なものを見て、感じて…そうしてまた村に戻って、お父さんやお母さん、村の皆に貢献したいと思ってるの」

「かっこつけやがって」

 ガトラがボソリとこぼす。ノアは意に介さず続けた。

「だからね、しばらくはアルと一緒に同じ道を進んで、同じように嬉しさも苦しさも分かち合いたい。そうすることがきっと後悔しない生き方に繋がると思うから」

「うん、ありがとう…ボクも嬉しいよ。旅は賑やかな方が楽しいしね」

 笑顔でノアに応えるイリアスの横でガトラがまだ不機嫌そうな顔で呟いた。

「そんなお気軽な旅気分でいいんですかねえ…なあ、ウルヴン」

 クスリと笑ってウルヴンが答えた。

「構いませんよ。先ほども話した通り、しばらくは刺客の手も伸びないでしょう。それに…辺境の地にありながらマハタイトに知れ渡る賢主ロマーノの孫娘が帯同しているとあれば、我等三人だけよりも信頼度は上がるかも知れませんね」

「そうそう。この子だってうちの飼い馬なんだからね。感謝してもらわないと」

 意地悪そうな瞳で馬の背を軽く叩きながらノアがガトラに言う。むう、と唸って彼は口を継げなかった。

「…ところで、これからどこへ向かうの?」

 イリアスがウルヴンに尋ねた。

「行き先は決めてあります。まずは…マハタイトの大都、エル=エレシアへ」

「…西壁の城楼だな…カラナントじゃないのか」

「国境越えは現段階では危険が伴います。まずはこの国で足がかりを得てから。それと、私にひとつ考えが」

「考え?」

 イリアスがきょとんとした表情で尋ねた。

「ええ。楔を打ち込むと申しましょうか…。これについては時が来たら説明いたします」

「おお、そうだ。時が来たらといえば…おい、ウルヴン。例の」

 ガトラの言葉に、ああ、と何かに気づいたかのようにウルヴンは歩みを止めた。他の三人も同じように立ち止まる。

「そうでした。若君、あらためまして…」

 ウルヴンはガトラを見やった後、イリアスの前にゆっくりと跪いた。ガトラも慌ててそれに倣う。イリアスはその様子をぽかん、と見ていた。

「…今後、より一層の苦難が待ち受けましょう。王都を目指す旅は幾年…幾十年に及ぶ気の遠いものになるかも知れません。しかし、我々は誓う!」

「おう、誓おう!」

「…いつ、何事が起ころうとも、越え難き巨壁が目の前に立ち塞がろうとも。心は若君…イリアス様の元にあると!」

「不肖ガトラ!」

「不肖ウルヴン!」

 二人が声を合わせて高らかに叫ぶ。

「レト国の正統後継者、エレン=イリアス殿下に生涯の忠誠を!」


 …風が再び吹いた。か細い鳴き声を震わせながら空高く飛び立ってゆく鳥たちを四人は静かに見送る。まるで自らの運命を、その姿に重ねるかのように──

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