暗謀と信義の城楼

第十五話 赤兜王の最期

 フェイよりも遥か東方──偉大なる西壁を越えた先、カラナントを三十リート(六十km)南方に臨む山岳地帯に、怒号と槍剣の交わる音が鳴り響いていた。土埃舞う地には数多の兵士が入り乱れている。

 山岳地帯の中ほど、死の谷と呼ばれる南北に切り立った山に挟まれたそこは、自然が作り出す隘路のようになっている。その東側に陣取る二、三百ほどの兵達の中央からひと際大きな──叫びにも似た声が飛んだ。

「…二軍を右方より展開せよ!これしきの傾斜、回り込めなくてどうする!」

 怒号はそこかしこから響き渡り、声がどこまで聞こえているのかも分からない。更に声は続いた。

「アジルは、アジルは何をしておる!?中央の陣形が乱れておるぞ!」

 その声に呼応するかのように、一人の兵がやってきて跪いた。

「報告します!アジル将軍、討ち死に!既に味方勢は敗走を始め、敵方がこちらへ突破してくるのも時間の問題かと…」

「…なっ!?」

 また別の兵が左前方より急ぎやってきた。

「急報!後方、南の峡谷よりアラメイニの別働隊と思われる軍勢が…数は七、八百ほど!」

「…ええい!なぜだ、なぜこうも読まれる!?」

 苛立たしげに声の主──赤色の派手な兜を被った将は右手に持つ大振りの剣の切っ先をひび割れた地面へと叩きつけた。報を届けた兵達はたまらず後ろに引き下がる。

「すぐに立て直せ!副将の二人は何をやっているのだ!早急に…」

「陛下…!」

 後ろに控えていた一人の男が静かに、しかし力強く将に声をかけた。

「…陛下。万策は尽き、すでに勝敗は決しました。もはやこれまでかと…」

 陛下と呼ばれた赤兜の将は静かな声の主の方へ、目を見開き振り返る。わなわなと身体を震わせ、将は詰め寄った。

「貴様、この期に及んで何を…!だいたい此度の策も元々は、ジェンマより密かにサージ門の背後を急襲すべし、という貴様の提言から──」

 将はそこで何かに気付いた──が、それはドン、という衝撃と、滲み寄る鈍い痛みで掻き消される。視線を落とすと自分の左胸部に短剣が深々と刺さっているのが見て取れた。

「わざわざ国都より出て、このような愚策の一つも見抜けず…。エレン=サジクラウ、もはや時代は貴方を求めておらぬ…」

 赤兜の将──サジクラウ王はなおも見開いた瞳で、あ…あ…という声にならぬ声を絞り出しながら、目の前の男へと震える手をやった。男は表情一つ変えぬまま、その手をゆっくりと握る。しばらくするとサジクラウ王の目からは生気が消え、相対する男の胸へと静かに身体を預けた。

「軍師…軍師殿!貴殿、自分が何をしたのか分かっておるのか!?これは…」

「──キシュル、狼煙を上げろ。どうせ全ての成り行きを見守っておるのであろう」

 軍師と呼ばれた男は詰め寄る将の問いに構うことなく、いつの間にかそばに控えていた者に声をかけた。キシュルと呼ばれたその者は小さく頷くと、その場を去っていく。程なく、か細い紫煙が東の山間から空へと舞い上がった。

「軍師殿!」

 将は尚も男へとにじり寄る。

「まずは落ち着かれい…」

 男が氷のような冷たい目を向ける。将はたまらずたじろいだ。首筋を汗が伝う感覚が襲う。

「目の前の現実に向き合われよ。既に勝敗は決した。貴殿はノイ=ウルの兵をこれ以上無駄死にさせるおつもりか」

「しかし…」

「…安心なされよ。このまま我に従っておれば悪いようにはならぬ」

 詰め寄っていた将はしばらく逡巡した後、そのまま黙り込み、後方へと静かに下がった。様子を見ていた他の将も声を上げることなく従っている。男はそれを是と受け取ったのか、特に気にする様子もなく西へと向き直った。

「それにしても…恐ろしい奴よ。こうまでも見事に操ってみせるとは…」

 周りの兵たちが事の成り行きを呆然と見守るだけの中、男が小さく呟く。戦場に響き渡る怒号は徐々に、しかし確実に収まろうとしていた。

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