第三十七話 タディオール

 整然と並ぶ歩兵──数は四、五百ほどであろうか──が槍を持ち、規則正しい足音が周囲に鳴り響いている。ジェンマの南方、およそ二リート(四キロメートル)ほど離れた場所にある原野で練兵が行われた。更に東南方の地は砂に覆われており、時折風が吹くと砂煙が混ざり、周囲の視界を奪っていた。

「五列! 歩幅が乱れている! しっかりと隊列を保て!」

 低く、地に響くような声を上げる兵士がいた。飾り羽のついた派手な兜を深く被り、大仰な革鎧にはいくつもの切り傷がつけられている。兜の内から除く目は鋭く、一息整えると両の手で大剣の柄を押さえ、切っ先を地に突き刺した。

「統括軍長もおられる前でその様は何だ! しっかりやらんか!」

 兵士はそう叫ぶと、ちらりと目の前に座る恰幅のいい男に目をやった。男はこの場に似つかわしくない派手な木彫りの椅子に座り、大きく欠伸をすると、緩慢な声で後ろに立つ兵士に話しかけた。

「そんなに細かいことで気を立てることもなかろう……。うん、第三軍も十二分に機能しておる。ジェンマは安泰じゃて」

 よっ、と声を上げて、その男は立ち上がると、蓄えた細い口ひげを撫でてみせる。大剣を持つ兵士が応えた。

「ワグリオ様、しかし上からは今まで以上に練兵に力を入れるようにと承っております。つい先日もサジクラウ陛下が崩御され、レトの動きも不穏との報が……」

「まあまあ、タディオール軍長。我々は上から言われたように練兵をしていればよい。無理のない範囲でな」

 ワグリオと呼ばれた壮年の男はまたひとつ大きく欠伸をし、後ろに控える従者から杯を受け取ると、それを一気に飲み干した。そしてタディオールと呼んだ兵士に更に続ける。

「本日は適当なところで切り上げてよろしい。今夜は政務官達との会食がある。儂はもうジェンマへ戻っておるぞ」

「しかし……」

 尚も食い下がろうとするタディオールに対し、ワグリオは意に介すこともなく、そのまま用意させておいた馬車へと乗り込んだ。ではな、と一声だけかけると、ガラガラと音を立てて北へと去っていった。

「呆け爺め、このような時こそ我がジェンマも世に威を示せる機であろうに……」

 苦々しい顔でタディオールは馬車の後ろ姿を見送った。やがて地平線にその姿が消え去ると彼は颯爽と振り返り、整列したままの兵に怒号を放つ。

「よし、これより小隊ごとに分かれての平地模擬戦を行なう。偶数隊と奇数隊で東西に分かれよ、ぐずぐずするな!」


 ◇   ◇   ◇


「タディオールが?」

 ガトラがジェンマの街中を歩きながら驚いた様子でウルヴンの方を見やる。一行は北門からの案内を受け、ジェンマの役場へと向かっていた。街道は小奇麗な印象だが、エル=エレシアと比較するとだいぶ落ち着いた印象に思える。人通りは少なく、露店のようなものも存在しない。店は街道に沿って点在はしていたが、出入りする人々はさほどいないように思えた。

 先導の兵の後ろにタイクンとノアが、その更に後ろにイリアス、ガトラ、ウルヴンと続いている。エル=エレシア以降、ノアとタイクンの二人は気が合うらしく、よく行動を共にしていた。

「ええ。今は第三軍の長らしいです」

 ウルヴンが答えると、ガトラは空を仰ぎながら感心したようにぼやいた。

「へえ……あいつがねえ……。血気ばかり盛んな男だと思っていたが」

「いえ、なかなか勉強熱心だと思いますよ。ルシュ時代からの数少ない兵法書を読み漁っているとも聞いています」

「軍略家、か……」

「どのような心づもりなのかは分かりませんがね。少なくとも、何らかの大志は抱いているようです」

「それが俺達に通じるもんであればいいんだけどな。どこからそんな情報手に入れた?」

「タイクン、ですよ。正確に言えば……」

「ん? 何か言ったか?」

 ウルヴンの言葉に敏感に前にいるタイクンが反応する。

「いえ、何でも……」

 そうウルヴンが返すと、タイクンはそうか、とだけ言い前に向き直った。ウルヴンは更にガトラに続ける。

「若君に紹介したいと言っていた二人です。恐らくそろそろ……」

「タイクン様!」

 前から少し甲高い声が聞こえてきた。タイクンはそれに手を振って応える。

「おお、お前らだったか」

 甲高い声の主……ひょろっと背の高い男と、対象的に背が低く何か大きな荷物を持った小男が並んで建物の前に立っている。

「若君、紹介しますぞ。この背の高いのがデューラス、もう一人がルエン」

「よろしくどうぞ、イリ……、アルさま」

 デューラスと呼ばれた男がぺこりと頭を下げていった。それに倣うかのようにもうひとりのルエンも仰々しく頭を下げる。

「では任せたぞ」

 北門から案内してきた兵はデューラスにそう告げると、持ち場へと戻っていった。その様子を一行は黙って見送る。しばらくして、ウルヴンが口を開いた。

「デューラスとルエンは元々タイクンの従者です。本来でしたら休暇中なのですが、私の方で無理を言って、ジェンマの役場へ口利きをしてもらいました」

「タイクン様一行が見えられると先刻聞きましてね。慌ててルエンと二人でこちらへ派遣してもらえるよう頼んだんです」

 デューラスが目を見開きながら、にこやかにウルヴンの言葉を継いだ。

「どうぞ、こちらへ。諸手続きは簡素に済むよう、手回ししています」

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