第五十四話 第三軍

 ジェンマより南に四リート、ゴーダン山脈の麓にジェンマ第三軍の野営地があった。すでに日は沈みかけている。幕舎の外ではノアが落ち着きなく、入り口付近を行ったり来たりしていた。

「ノア、とりあえず中に入ったらどうだ。浮足立った態度は兵へも伝播する」

 タディオールの嗜めにノアは少し呼吸を落ち着けると、幕舎の中へと入っていった。

「そんなこと言っても……もう十日目よ。いくら何でも遅すぎるんじゃあ……」

「何かあれば偵察隊から連絡が入る。我らは待つことしか出来ぬのだ」

「そうだけど……ねえ、ウルヴン。本当に大丈夫?」

 ノアが奥に座るウルヴンの元へ行き顔を覗き込む。ウルヴンは何か思案しているように顎に手を当て、顔を落としていた。

「タディオールの言う通り、何かが起こればこちらにも必ず伝わります。今は若君達を信じましょう。それよりも……私達が考えなければならないのは今後のことです」

「……今後、というと?」

 タディオールの問いに、ウルヴンはそちらへと向き直った。

「ウルよりジェンマに向けてアラメイニの大軍が向かったとの報が入りました。ジェンマは防御線を敷き、これに応戦する構えです。恐らくは第三軍と他二軍で挟撃する、というこちらの提案に乗る形を取り、アラメイニに背いたのでしょう。しかし……」

「ああ、我らには二つの道が指し示されている。一つはその通りにジェンマへ向かい、アラメイニ軍を挟撃する。もう一つは……」

 一息置いてタディオールが続けた。

「……ジェンマを捨て、独立遊軍としてカラナント急襲、蜂起の機を探る」

「タディオール殿、やはりカラナントへ向かうのは……」

「なんだ、俺に気を遣われているのか」

「……貴方も含め、兵達の家族は多くがジェンマへと留まっています。ジェンマを見捨てカラナントへ向かうなど、とても兵達の同意を得られるとは思いません」

「らしくないぞ、ウルヴン殿」

 そう言って微笑むタディオールをウルヴンは黙って見ていた。

「このような事態、俺も兵達もとっくに覚悟はできている。それに今は否応なしに戦乱へ巻き込まれる時代だ。局地だけの防衛で救えるものは限られる。このような時こそ大局を見定めるべし……そうであろう?」

「ええ、その通りです。しかし……」

 少し俯いてウルヴンは続けた。

「今までは如何に我らの立場が悪くならないか、如何に多くの味方をつけるか、ということに注力してきました。だが、これからは違います。確実に望まぬ血は流れますし、相手の裏をつき奪いにいかなくてはならない……」

「……さしものウルヴン殿も怯んでおられるか」

「私は戦の経験があるわけではありません。策は立てますが、全ては机上でのもの。多くの者の生死が懸かっている状況下で果たして正しい采配が取れるのかどうか……」

 珍しく弱みを見せるウルヴンにノアは驚いた。

「……しかしな、それが戦というものだ。血の流れぬ戦などない。あまり気負わぬことだ」

 タディオールの言葉にウルヴンは頷いた。

「分かっています……。いずれにしても若君が到着される時に自信を持って道を指し示すことが出来るよう、私は全力を尽くすのみです」

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