第二十一話 エル=エレシア
先ほどまでタイクンと言い合っていた門兵を先頭に、イリアス達の一行は大通りをゆっくりと進んでいた。イリアスとノアは興味深そうに街の様子をきょろきょろと見回している。
色数の少ない街である。二階、三階建ての石造りの建物が一セト(十メートル)程度の間隔で通りの左右に立ち並び、看板など目立った装飾は見当たらない。よく見ると一階部分の内側に、控えめに装飾された錆付き気味の金属製の看板が取り付けられているようであった。手前の右手は肉屋、その奥は布生地の卸し、左手にはガシュを専門に扱う店もある。二階より上は住居であろうか。狭い土地を有効に扱おうとする努力の跡が垣間見えた。
各々の店先には大勢の客と思われる人々が群がっている。細かくは聞き取れないが値段交渉をしているのだろうか、威勢のいい言葉が飛び交っている。イリアス達は時にそこから溢れた群衆をかき分けるように進んだ。フェイの村であれば明らかに目立つ一行であるが、この街では誰も気に留める様子はない。
「すごい…こんなにたくさんのひとがこの街に?」
誰にともなく呟いたイリアスの問いに、タイクンが答えた。
「エル=エレシアはマハタイトの国都であると同時に、交易の重要な拠点。ここにはさまざまな物が集まってきますぞ。例えば」
そう言ってタイクンが目の前に陳列されている小瓶の一つを手にとった。
「これは南方のユスから届いた香辛料。料理や茶、果ては病祓いにまでと、さまざまな用途で使われております」
「タイクンじゃねえか。どうだい、あんたもいい歳だ。自分用に買っていくか」
店の主人と思われる頬痩けた顎髭の男が不敵な笑みを浮かべながら話しかける。
「ほっほ。もう十分に儲けさせてやったろう。あまり欲をかくもんじゃないぞ」
小瓶を元に戻してタイクンは男をあしらう。男の方もそれを予想していたかのように、手のひらを軽く振って先に進むタイクン達を見送った。
「タイクン殿、あまり寄り道をされても困ります。私にも任務がありますので…」
先を行く門兵が振り向いて、苦々しげな表情で注文をつけた。
「そう固いこと言いなさんな。この賑わいだ。多少遅れても不思議ではなかろう」
「しかし…」
飄々と躱すタイクンに門兵が食い下がろうとした時、その背後でがしゃん!、と派手な音がした。
「…おい、待て!」
イリアス達から見て進行方向奥の左手──他よりひときわ大きい建物の中から小さな影が飛び出してきた。一見するにまだ年端もいかぬ子供であろうか──果物のようなものをいくつか両手に抱え、周りをきょろきょろと見渡している。
「若、あれは…」
ガトラが言いかけると同時に、その子供はイリアスの方へと走りだした。
「邪魔だ、どけ!」
その風貌に似合わぬ乱暴な言葉を放ち、子供はイリアスとガトラの間を抜けていく。たまらずイリアスはのけぞり、その後姿を呆気にとられ見つめていた。
「誰か、捕まえてくれ!泥棒だ!」
その後を店の主人と思しき男が追いかけてくる。その声で目が覚めたように、イリアスは子供が去った方へと駆け出した。
「あ、ちょっと──」
案内役の門兵の呼び止める声が後ろに遠ざかる。構わずイリアスは走った。その後をガトラとノアが追う。子供は大通りから外れ、右手の小路へと入っていったようだった。
「…いた!」
入った小径の奥、左手へと折れる子供の後ろ姿が見える。イリアス達が薄暗い路地をひた走ると、目の前は用水路が左右へと流れていた。その手前を並行するように落ち着いた街路が続いている。
「なかなかすばしっこい童子ですな…」
ガトラの言葉を聞きながら、イリアスは左手を覗く。先程の子供は再び左手へ折れ、また小径へと入ろうとしていた。追いかけてきた店主は膨れた腹を揺らしながら辛そうな表情で後を追いかけてきている。
「はあ、はあ…」
イリアス達も小径へ折れ追いかけたが、逃げる子供との距離は開いているようであった。取り逃がしてしまうか──そう思った矢先、小径の出口に一つの影が立ちふさがった。
「なんだ、どけよ!」
子供の叫び声に応じることなく、その影は動こうとしない。やがてその隣に更に二つ目の影が並んだ。
「…ウルヴン!」
「やれやれ、随分と街中を駆け回ってきたようですね」
子供は立ちはだかるウルヴンとタイクンを前にその足を止め、じりじりと後退する。しかし、その小さな体はその後ろから追いかけてきた店主に押さえつけられた。
「はあ、はあ…やっと捕まえたぞ。さあ、子供だからといって容赦しないからな」
「離せ、離せよ!」
店主の腕の中で子供は尚も暴れ続ける。店主も負けずと身体を押さえつけていたが、その手に子供が齧りついた。
「ぐあっ!いてえ…!この野郎!」
店主は右手の甲で子供の右頬をめいいっぱい殴りつける。子供の身体は吹っ飛び、建物の壁へと叩きつけられた。
「おい、やりすぎだ!」
ガトラが語気を強めて嗜めた。
「冗談じゃねえ、こっちはそれでなくとも何度も被害にあっているんだ。どうせバロ族かエイレン族辺りの捨て子だろ。容赦することはねえ」
店主は子供の首元を掴み、ぐいと持ち上げた。イリアスが止めようとしたその矢先、ガシャガシャと金属音が路地に響き渡った。
「…そこまでだ!全員、その場から動くな!」
大通りから三人の兵が駆けてくる。店主は舌打ちすると、子供から手を離した。どさっと、地面に子供が投げ出される。
「おい、何があった」
三人の兵の中で先頭に立つ男─恐らくはその長なのだろう。浅黒い肌は色艶もよく、随分と若く見える─が店主へと話しかけた。
「…この小僧が盗みを働いたんですよ。それを追いかけて軽くこらしめてやっただけです」
幼顔の兵は店主と子供を交互に見やり、子供の方へと話しかけた。髪は短く、ひどく乱れていたため分かりづらかったが…よく見ると少女のようであった。
「この男の言っていることは本当か」
「……」
少女は黙ったままでいる。
「どうした、きちんと理由を話さなければ盗みを働いた疑惑で連行しなければならぬ」
「…妹が病気で弱ってるんだ…。それで…なけなしの金を持っていったけど足りないって…」
「それで盗みを…?」
「どうせ金があったって売ってくれやしない。…前もそうだった。バロ族ってだけで…いつも、いつもそうだ!」
鋭い眼光で少女は若い兵を睨みつけながら言った。先程までとは違い、か細い声を絞り出している。兵は店主の方へと目を向けた。
「いや…俺の店はウカ族とゴウ族のための店なんだ。それなのにこの小僧…小娘が…」
狼狽えた様子で店主は兵に答えている。
「…どの民も関係なく、別け隔てなく接するのがこの国の法だ」
「しかし、俺は役人様から直接…」
「ならば正式な文書を見せてみよ。…示せぬのであれば、逆にお前を裁かねばならんがな」
「いや、ちょっと…」
後ずさりながら店主は目をきょろきょろとさせている。
「…あ、そうです。俺の勘違いだったかも…」
「ならばここにもう用はないだろう」
「は、はい…。ではこれにて…」
バツの悪そうな顔をして周辺に落ちている果物を慌てて拾うと、店主は大通りの方へと去っていく。皆がそれを見送っている時、不意に小さな影が動いた。
「あ、ちょっと待て…!」
ガトラの呼びかけに逃げる少女は振り向いて言った。
「助けてくれと頼んだわけじゃないからな!」
そのまま少女は先程のように素早く小径を駆けてゆく。呆気に取られている内にその姿を完全に見失った。
「ふう、やれやれ…」
幼顔の兵は特に咎めることなくそれを見送ると、イリアス達の方へと見送った。
「それで、貴方がたは…?」
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