狭蓋の防都戦

第三十四話 星降る下で

 ……イリアス……


 ……イリアスよ、赦してくれ。このような宿命の元に……


 ──仕方ないのだ、このままでは……


 イリアス……そなたに託すは、この首飾りと呪われし……いや、このようなことを、神すらも認めぬ……


 イリアス、どうか赦して──


 ◇   ◇   ◇


 遥か彼方より聞こえる獣の声でイリアスは目を覚ました。遠吠えは特に珍しいことではない。村にいた時は特段気にしたこともなかったが、旅に出てからというもの外音に対しての感度が高まったように思う。

 起き上がろうとすると、手元に何かが当たった。マハタイトより旅立つ際にウルヴンより受け取った神竜の首飾りだった。ウルヴンによると、レトの王都タジルカーンから逃げる際に父ホメロイより託されたものだという。彼はしばらく無意識のままにそれを見つめていたが、手に取ると懐へと忍ばせた。

 しばらくの後、ゆっくりと音を立てぬように天幕から出ると、空を見上げた。星は変わらず数多輝き、イリアスの頬を青白く照らした。

「……眠れませんか?」

 不意の声に少し驚いてその主の方を見やると、天幕の入口横で槍を肩に掛け軽装で座るグリバがいた。イリアスは黙ったままグリバの隣に座った。

「ノア様とタイクン様のおかげで美味い食事には事欠きませんが……荷が重すぎるためか、やはり進みが遅いですね。一日遅れでの到着となりそうです」

 少し崩した笑みを浮かべて話すグリバにイリアスが応えた。

「うん。悪いことをしたね。戻りは大丈夫かい?」

「ええ、その辺はご心配なく」

 二人は黙って同じ空を見上げる。背後に巨大な壁がある以外は極めて牧歌的な夜の光景だった。いくつか流れ星が落ちた。

「……ねえ。グリバはマハタイトに戻ったら何をしたいの?」

 イリアスが尋ねた。想定外の質問にグリバは一瞬きょとんとしたが、その右手を顎に当て、しばらく考え込むと穏やかな声で答えた。

「そうですね……。もちろんシュローネ様の下で勲功を立てていきたいと思っておりますが」

 そう言って、再びグリバは夜空を見上げた。

「私はゴウ族の出なのですよ」

「ゴウ族……マハタイトの民の大部分を占めているんだよね。ウルヴンからは血気盛んだとも聞いてたけど……」

 ははっ、とグリバは笑って続けた。

「それで言えば私はだいぶ怪しいですね……。確かに両親含めて馴染みのものも皆、血の気が多いですが……。オークレイという国はご存知ですか?」

「確か……マハタイトの更に西にある山岳国だと」

「ええ。私はそのオークレイの出身です。ゴーダン山脈を越えた彼方。隔絶された世界。そもそもゴウ族は西方よりマハタイトへと流れ着いたとも」

 星が幾筋か流れる。気がつけば先程までの遠吠えは聞こえなくなり、辺りは静寂で包まれていた。

「……私がまだ幼い時に、オークレイのとある村から家族共々マハタイトへと移り住みました。村は古くから忌まわしき伝承に支配され、結果そこに住むことが難しくなったために離れたのですが」

「うん」

「結局……このマハタイトの地に移り住んでも、何も変わらなかったのです。同じ民族同士が寄り合い、他者を排斥しようとする。弱き者は武器を持ち、力を持ち、自分がやられないために支配を強める……。陛下がウカ族である、という事自体を非難するつもりはないのですし、表向きは対立を禁ずる政策を行なっておりますが……。その影では多くの不正が横行し、今なお虐げられる多数の民族が存在することも事実です。なぜこのような諍いを代々続けなければいけないのか」

「考えたこともなかったな……。村のロマーノ翁にも常日頃から言われていたけど、ボクらは同じ人同士だ。個々の利を得るために争い事は起こるとしても、民族が違うというだけで、そんなこと……」

「ええ。ですから私は、その当たり前のように人同士として認識しあえるような……全ての民が等しく生活できる。そのような国になるよう、尽力していきたいと考えております。シュローネ様に仕えているのも、おそらく目指しているものは同じ……と感じているからかも知れません」

 そう言うと、グリバはイリアスへと向き直った。

「不思議です。このような話は旧知の友とも交わしたことが無かったのですが」

「ボク達は似た者同士かも知れないね。色々と話せて嬉しいよ。ありがとう」

「いえ、そんな恐れ多い……。もうすぐジェンマです。私はそこまでのご案内となりますが……イリアス様にとって、実り多き旅になることを切に願っております」

 夜はまだ深い。また幾筋か流れ星が落ちる。二人はしばし数多の星輝く空をただ見つめていた。

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