第四十話 酒場
「……なるほど、それでマハタイトからジェンマへ」
宿にほど近い酒場でイリアス一行とタディオールはテーブルを囲んでいる。他に客はおらず、デューラスとルエンは別のテーブルで酒を酌み交わしていた。
「しかし、また難しい時期に来たもんですな。サジクラウ王が戦死されたという話は聞かれましたか?」
「ええ、エル=エレシアで噂程度には。詳しい情報は入ってきていますか?」
ウルヴンの問いにタディオールは首を振った。先程まで兜に隠れていた緑の髪は、薄暗い酒場の明かりに照らされ、その深みを神秘的に湛えていた。
「パドロー首長含め、上の者達は情報を集めつつ練兵を強化する……とは言っていますが、形だけです。そもそも、統括軍長であるワグリオ殿に全くやる気が見られぬ」
「ワグリオ、ってさっきの……」
「なんだ、会っておったのか。騎士の殻を被った貴族崩れだ。家柄で統括軍長の役職に収まったもんだから、責任感も覚悟も定まっておらん。おかげでこっちはいい迷惑さ」
タディオールは少し苛ついた口調でノアに答えた。
「難しい時期に来た、というのはどういうことだ?」
ガトラが尋ねた。頷いてタディオールが答える。
「まずはレトの動向が全く伝わって来ていない。ノイ=ウルは実質的に王が不在の状況だからその領地であるジェンマにも兵が及びそうなものの……今のところ、その気配は感じられぬ」
「うむ」
「もう一つはアラメイニだ。北方の大国だが、此の度の戦ではレトと手を組み、各地で軍を展開させていると聞く。サジクラウ王の命を奪ったのかまでは分からんが……どうも、ウルを統治しているのは、そのアラメイニの軍だという噂もある」
「アラメイニ軍が?」
「確かなことは言えんがな。それに死の谷まで三国の軍は展開していたとの話も聞く」
「死の谷……ここから東に、そう遠くはありませんね」
ウルヴンの言葉にタディオールが大きく頷いた。
「その通り。ですから、いつ戦禍に巻き込まれてもおかしくない状況だとワグリオ殿には申したのですがね……」
ため息混じりにタディオールがこぼした。
「しかし……ジェンマにしてみれば危機ではありますが、同時に好機でもあると私は考えておるのですよ」
「好機?」
ウルヴンの問いにタディオールが頷いた。
「そう。この街は規模こそ大きくないものの、エル=エレシアと同様に西壁に築かれた強固な城塞都市です。加えて東西を山に囲われた天然の要害。更には水や土壌も豊か。開拓できる土地こそ限られていますが、ここを中心として国を築くにも十分すぎる環境です」
黙って皆が聞く中、タディオールはいかにも得意げに続けた。
「こうして周囲が乱れている今こそ、人を呼び、街を広げ、練兵をし、豊かに出来ようというもの。しかし、上の者はそれを全く分かっておらん」
「……タディオール殿はこの地に新しく国を築こうと考えておられるのかな?」
静かにウルヴンが尋ねる。
「俺自身がそれを率いるかどうかは別として、その好機をみすみす逃している首長と政務官共に嘆息しておるのですよ。国を築かずとも、この街の威を周囲に示すことくらいは出来ましょう」
そう言うと、タディオールは目の前の酒をあおった。
「随分とでかいことを言うようになったもんだな。数年前まで一門兵だったというのに」
ガトラの言葉にふん、と鼻を鳴らすと、タディオールは続けた。
「俺はな、この世に生まれた以上、自分の力を世に試してみたい。この手で歴史の一遍にでも書き記されるような、そんな偉業を果たしてみたい。その想いだけでここまで登ってきた。まだまだ道半ばだぞ。見ていろ、何年後かにはこのジェンマか……どこかの国で大将軍にでもなってみせる」
「……二人は長いのかい?」
イリアスがガトラに尋ねた。
「ええ、タイクンと旅をするようになってからの付き合いですから数年ですが……最初の頃は随分と嫌な思いもしましたよ」
「はははっ、それはお前が怪しすぎるからだ。門兵の仕事とは言え、手を抜くわけにはいかんからな」
豪快に笑いながらタディオールが言った。
「私は二年ほど前でしたか」
「そうですな。主には文のやり取りがあったので、そこまで久方ぶりという感じもありませんでしたが」
そう言った後、タディオールは何かに気付いたようにウルヴンに尋ねた。
「そういえばウルヴン殿。俺に頼みがあると言われていなかったですか? このまま酔いつぶれる前に聞いておかなくてはな」
「はい。実は……ガトラと若君を、貴殿の軍に入れていただきたいと」
「……は?」
ガトラが目を丸くしてウルヴンを見た。
「おいおい、ちょっと待て。百歩譲って俺はいいとして、若はちょっと……」
「いいんだ、ガトラ。ボクが頼んだことなんだ」
「若が……!?」
驚いた表情のまま見つめるガトラからタディオールの方へと向き直り、イリアスは改まった口調で頭を下げた。
「タディオール軍長、よろしくお願いします」
「いや……ちょうどワグリオ殿の機嫌も取れているし、大丈夫だとは思いますがね……。えっと、ウルヴン殿」
困ったような表情でタディオールがウルヴンに救いの手を求めた。
「軍を知るには軍の中で学ぶのが一番。いずれ若君にはこうした機会を設けるべきだとは思っておりました。空いた時間はイセルディアの歴史と地理学、そして兵法の序を学んでいただき、しばらくはジェンマにて若君自身の成長をお助けしようと考えております。タディオール殿、是非ともその一助を担っていただければ」
「……この街に留まり、機を伺うのか」
「そうですね……。地の利、時の利、人の利。今、この地で得られるものを得、遠からず訪れる機を失わぬためにも……」
「ウルヴン殿……いったいここから何をされようというのだ」
ウルヴンはしばらく間を置き、ゆっくりと答えた。
「恐らく蜂起の地は……ここより南の街、カラナント。私の推測通りであれば、いずれ時は満ちます。今はそれに備え、この場で力を蓄えるのみ」
タディオールはしばらく考え込み、ウルヴンに尋ねた。
「一つ約束していただけるかな……。その機が到来した際には、必ず俺にも伝えていただくこと。必ずや一軍を率いて馳せ参じよう」
ウルヴンは黙って頷く。それを見てタディオールはイリアスに向き直った。
「よし……分かりました。しかし軍の規律上、さすがに目に見えた贔屓なども出来ませんゆえ……まずは客分として小隊に入るというのはいかがですかな。俺が率いる第三軍は総勢五百名弱。現在はこれを六の小隊に分け、一小隊の歩兵、騎馬兵の数は八十名ほどとなっております」
イリアスは黙って頷いて、続きを促した。
「そうですな……確か今でしたら第六小隊に急病人が出て数が目減りしているはず。兵たちには外地より賓客を招いての特殊訓練の一環と伝えておきましょう。もちろんイリアス殿下とガトラの身の上は隠したままでな」
「分かりました。……タディオール、改めてよろしくお願いします」
イリアスはタディオールに向かい深々と頭を下げた。
「イリアス殿下……いや、アル。ジェンマ第三軍での活動は厳しい。手加減はしませんぞ」
イリアスは再び大きく頷いた。
「……ノアは私と共に行動してくれますか。ジェンマでの活動をなるべく円滑なものとするよう手伝っていただきたい」
「分かったわ。任せといて」
ウルヴンの願いにノアがにこやかに答える。その様子を見ていたタイクンが顔を赤らめながらこぼした。
「……ふむ、皆しばらくはこの街に留まるか。儂はしばらくお別れじゃの」
「タイクンはどうするの?」
「まずはエル=エレシアへ戻るよ。供物を届けた旨を報告せんと。それからは方々で色々と、な」
ノアの問いに杯を揺らしながらタイクンが答えた。
「そっか……。せっかく仲良くなれたのに、ちょっと残念」
「タイクン、本当に世話になったね」
イリアスとノアは寂しそうに言った。
「いやいや、こんな年寄り商に気を遣わんでもよろしいでな。何かあったらガトラに遠慮なく当たりなされ」
カラカラと笑いながらタイクンが言って続けた。
「それでデューラスとルエンはどうする。手が足りなければ、しばらく預けておくぞい」
「そうですね……二人にはあらためて潜んでいただきたいところがあります」
ウルヴンの言葉に、デューラスとルエンは杯をあおる手を止め、振り向いた。
「……ほほっ、まあ、だいたい予想はつくがの」
「ええ。お察しの通りかと」
ウルヴンはにこりと微笑んでみせた。
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